第7話

 製鉄所を抜けた私たちは、再び自動車に乗っていた。ピッキングしてドアを開けた、一般の自家用車だ。ハンドルはヴィルが握っている。私は再び立体映像端末に見入っていた。


「彼が、旗山基樹?」

「そうだ」


 短く答えるヴィル。あらゆる方向に注意を払わなければならないということと、先ほどの私の反抗的な行為。その両方が相まって、車内は緊張感溢れる状況だった。

 そんな状況から脱するために、私は視線を旗山基樹なる男の立体画像に戻した。


 歳は四十。男性。GF隊長。つまり、ヴィルのセーフハウスを急襲して、彼の妻の殺害に最も関わった人間ということだ。

 立体画像には顔写真も載っている。角ばった輪郭に、信念を強く表象するかのようにきつく結ばれた唇。左目は負傷していて、縦に生々しい傷が走っている。明らかに隻眼だ。肩幅は広く、細身のヴィルと対照を為している。

 一言でまとめると、いかにも歴戦の猛者、といったところだ。


「こんな男を相手に……?」

「誰も真正面から立ち向かおうなんて思っちゃいない」


 ヴィルは素っ気なく答えた。


「狙撃でも爆殺でも、手段は問わない。奴を殺せればそれでいい」

「でも、彼だって警視庁の上層部から指示を受けてやったことでしょう?」

「何が言いたい?」


 じろり、とヴィルに一瞥された私は、思わず身体が震えそうになるのを堪えながら


「もし殺すなら、あなたを殺すよう旗山に指示を出した人々を殺した方が……?」

「いや」


 既に怒りは過ぎ去ったのか、ヴィルは淡々とした口調で


「実際に妻を殺した弾丸を放ったのは旗山かその部下だ。奴らを殺していく」


 飽くまで作戦の責任は現場にあった、と言いたいのか。


「今まで八人は殺した。それと、二十五名のGF隊員のうち、俺を殺す作戦に従事していたのは十二名だ。旗山も含めてな」

「それじゃあ、あと四人……?」

「そうだ」


 軽く車線変更をしながらヴィルは答える。


「ただし、その四人というのはGFの中でも腕利きだ。俺が寝込みを襲ったところで、仕留められやしないだろう。今は情報の収集が第一だ。だから俺は、シールズにいた時に知り合った情報屋とコンタクトを取ろうとしたんだが……」

「それがさっきの『ジャック』?」

「ああ」


 すると、先ほど通信用のイヤホンを壊してしまったのはまずかったのではないか。

 そんな疑問が顔に出たのか、ヴィルは


「心配するな」


 と一言。


「ジャックとのコンタクト経路はいくつも配置してある。問題なく――」


 そう言いかけて、


「伏せろ!!」


 ヴィルは叫んだ。

 既にシートベルトをしていたのは幸いだった。さもなければ、私の身体は車内で宙を舞っていただろう。

 右隣車線から、大型トラックが飛び出してきたのだ。それを回避すべく、ヴィルは左にハンドルを切った。


「どうやら向こうから来てくれたようだな!」

「軽口叩いてる場合じゃないです!」

「軽口じゃない!」


 一気にアクセルを踏み込み、ガードレールとの間に挟まれるのを回避する。しかし、敵の攻撃はそれだけではなかった。スタタタッ、というキレのいい音と共に、天井で何かが弾けるような振動が伝わってくる。


「わ、私たち銃撃を受けているんですか!?」

「そうらしい!」


 私は咄嗟に頭の中で手探りをした。先ほどヴィルに渡された立体画像を思い返す。

 確か、彼の『抹殺リスト』に入っていた人間の中で、車両取り扱いのプロフェッショナルがいたはず。名前は――。


「尾崎の野郎、腕を上げてきたな」


 そう、尾崎雄介という名前だった。二十七歳という若手でありながらGFに採用された、元白バイ隊員。街の治安を守る象徴たる白バイ。まさかその元運転手が、街中でカーチェイスをやっているなどとは考えにくいだろう。私のように、この事件に巻き込まれた人間でなければ。

 チリチリという銃弾の弾ける音が、相変わらず頭上から響いてくる。

 ん? 待てよ?


「この車、これだけ銃撃を受けて平気なんですか?」

「ジャックもいい車を用意してくれたようだな」


 無傷で返すことはもはや不可能だが。そう言って、ヴィルは右に左にと蛇行運転を始める。


「どういう意味です?」


 と私が身を屈めたまま尋ねると、


「防弾車両だ。でなけりゃ今頃、俺たちは二人共ハチの巣になっていたはずだ。ということは――」


 ヴィルは一瞬、考え込むような顔つきをしてから、


「神矢、運転しろ」

「え?」

「このまま蛇行運転でいい。俺がやっていたのと同じように走行しろ」

「あなたはどうするんです?」

「撃ち返すんだ。さあ、席を代われ!」


 私とヴィルは再び座席を入れ替え、私がハンドルを握った。するとヴィルは座席を思いっきり倒し、後部座席に身を乗り出しながら、


「随分と奮発してくれたじゃねえか」


 と言った。楽し気な雰囲気だった。


「わ、ちょっと!?」

「俺に構わず運転しろ!」


 ヴィルは強引に座席の隙間に身をねじ込み、後部座席に移った。同時にガチャリ、という金属音がする。まさか――。


「神矢、目をつむれ!」

「は、はあっ!? 運転中ですよ!?」

「いいから! でないと運転どころじゃなくなるぞ!!」

「流石に目をつむっての教習は受けてなくて――」

「んなことはどうでもいい!!」


 ヴィルはぐいっと顔を突き出しながら、


「三つ数える! そうしたら五秒間目をつむっていろ! 車は直進で構わない!」


 その直後、背後からゴオッ、という重い音が響いてきた。尾崎が速度を上げたのだ。


「もう距離的にゆとりはない、数えるぞ!」

「はっ、はい!?」


 するとヴィルは後部座席の窓を開け、上半身を乗り出した。


「三、二、一!」

「ッ!」


 私は言われた通り、アクセル全開のままぎゅっと目を閉じた。すると、瞼の裏がぱっと明るくなった。そうか。ヴィルは閃光手榴弾を投げつけたのだ。恐らく、ちょうどこの車とトラックの間で起爆するように。


「やりましたか!?」


 しかし応答はヴィルからは来なかった。代わりにズドン、と後部から車が突き飛ばされるような衝撃が走った。

 私は歯を食いしばり、衝撃に耐える。


「畜生!」

「どうしたんです!?」

「遮光板だ」


 遮光板? そうか。過度な光の侵入を防ぐための処置が、トラックの窓に施されていたのだ。

 トラックは再びスピードを上げ、右車線から追い上げてきた。そのまま側面をぶつけるように、私たちの車に迫ってくる。これでは、ガードレールとトラックに挟まれ、車は使い物にならなくなってしまう。


「仕方ねえな」


 するといつの間に噛んでいたのか、ヴィルは口からガムを取り出し、手榴弾に粘りつけた。


「何してるんです!?」

「今に分かる! 取り敢えず、今は耐えろ!」


 私は半壊したバックミラーを見た。

 なるほど、遮光板を兼ねたフロントガラスに穴が開いていて、そこが銃眼になっているらしい。

 すると、前方の大型バスが目に入った。これはトラックも回避せざるを得まい。ギリギリと挟まれていた車が、ふっと圧力から解放される。


「いいぞ神矢、そのまま運転しろ!」


 バスを追い越したトラックは、再び車体の側面を接触させようと迫ってくる。


「そのまま、今のスピードで真っ直ぐ走れ!」

「りょ、了解!」


 するとヴィルは、ガムをはりつけた手榴弾のピンを抜き、右側の窓を開けて再び身を乗り出した。

 何をしているんだ? 私がまたバックミラーに目を遣ると、ヴィルは手榴弾をトラックの側面の窓に押しつけていた。

 そうか。手榴弾を零距離で爆破し、トラックにダメージを与えるつもりだ。そこからなら、銃撃するなり手榴弾を投げ込むなりして尾崎を止められる。

 狙いに気づいたのだろう、尾崎は慌てて右側へとトラックの軌道を右に切った。しかし、


「もう一度だ、神矢! 目を閉じろ!」


 直後、真っ赤な爆光が瞼の裏に広がった。続いてズン、という空気の振動と、くぐもった爆発音が私の身体に響き渡る。

 しかし、尾崎はその程度で諦めはしなかった。本人も負傷したはずだが、銃身の短いサブマシンガンでこちらを狙ってくる。

 先ほどトラックに挟まれて、こちらの防弾ガラスの強度はずっと落ちていた。

 お互い、ノーガード状態になった。

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