第6話

 キャットウォークの手摺の下から見下ろすと、制服に身を包んだ警官たちがこちらに向かって銃撃していた。


「神矢、あんたはどっちを選ぶ? このまま仲間の元に帰るか? それとも俺と一緒に来るか?」


 当然前者だ、と本能が叫ぶ。しかし理性がそれに追いつかない。

もしヴィルから離れようとしたら、先ほど彼が宣言した通り、私は彼に殺されるだろう。

 それに、今の私は自分自身を定義するための『正義』というものを見失いつつある。ここでヴィルと別れてしまったら、一生その『正義』を見失ったまま過ごすことになってしまいやしないか。

 正直、それはとても恐ろしいことだった。両親から躾けられてきた、そして託されてきた『正義』というものを見失う。それは、私が生きていく精神的支柱の崩壊を意味する。

 工業機械の陰に身を潜めながら、私は決意した。


「私はあなたについていきます!!」

「何だって?」


 私のそばに滑り込みながら、ヴィルは訊き返す。そんな彼の耳元で、


「私はあなたについていきます!!」


 と繰り返した。

 すると一瞬、ヴィルはぽかんと口を開けたが、すぐに視線を鋭く戻して


「そいつは心強いな」


 と言って唇の端をつり上げてみせた。しかし、すぐさま機械越しに鋭い金属音が集中し、嫌が応にも言葉を続けられなくなった。

 この期に及んでようやく、ヴィルはホルスターから拳銃を抜いた。先ほどまで、私の頭蓋骨をぶち抜こうとしていた銃だ。


「あんた、何を見た?」

「何って……?」

「何でもいい、目に入ったものを言え!」


 突然そんなことを言われても。しかし思いの外、私の口からは冷静な言葉が出てきた。


「交通課の警官が数名、刑事が数名、合わせて十名近く。ここから見て奥の非常用出入り口から突入してきました」

「他には?」

「え、えっと、彼らの武装は拳銃がせいぜいで、重火器は見られませんでした」

「やはりな」

「えっ?」


 分かっていたなら訊くな、と反論したいのを抑えて、私はヴィルを睨みつけた。が、彼は既に立ち上がり、先端に鏡のついた棒切れを取り出して敵の配置を確認していた。


「素人だな。殺さなくて済む」


 私は一瞬、その意味を図りかねた。しかし、どうやら真正面から撃ち合いをせずに済むらしい。

 ヴィルは私たちが盾にしている機械の操作盤に向き直った。まるでピアノを弾くかのような滑らかさで、ボタンを押し込んでいく。すると、


「うわっ!」

「何だ!?」


 階下から悲鳴や怒号が飛び交い始めた。そっと影から顔を出すと、重機械群――ベルトコンベアーや耐震テスト用の特殊テーブル、大型攪拌機など――が各々動き始めるところだった。

 溶けた鉄があちらこちらで流され、冷やされ、縁どられていく。本来人間の出入りを想定していないこの製鉄所で、警官たちはとても危険な状況下にあった。

 銃撃が納まったのを見計らい、ヴィルは


「そこだな」


 と一言。そして愛銃を手に、撃鉄を上げ、ゆっくりと引き金を引いた。

 直後、雷が頭上に落ちたような、凄まじい発砲音が木霊した。私は思わず目をつむり、耳を塞ぐ。

 アメリカで散々扱ってきた拳銃。だがそれは、機能性を重視した消音機つきのオートマチック拳銃だ。リボルバー拳銃などを今さら標準装備にしている特殊機関など、聞いたことがない。

 しかしそれは、オートマチック拳銃、それも小口径のものの方が、敵を行動不能に陥らせることが容易だからだ。無駄に人命を奪ったり、威力のあまり巻き添えを出したりすることのないよう、最近はどこも気を遣っている。

 

 が、ヴィルは違った。リボルバー式四十四口径拳銃。威力に関していえば、人命に配慮した警官たちの拳銃とは比較にならない。

 恐る恐る目を開ける。耳から手を離すと、いまだに発砲音がぐわんぐわんと反響していた。しかし、ヴィルが狙ったのは人間ではなかった。

 非常事態用緊急冷却配管群。狙いすまされたヴィルの弾丸は、まさにその中央の主要配管を貫通した。一瞬で、冷却ガスがあたりを真っ白に染め上げる。


「ぐっ!」

「何だこの煙は!?」


 混乱する警官たち。

 それだけではない。あたりには、未だ高温を発する鉄が行き来しているのだ。とてもまともに動けはしないだろう。


「すごい……」


 私はその腕前に唖然としていた。たった一発の弾丸で、これほどの状況を作り出すとは。


「行くぞ、神矢!」


 再び腕を引かれ、私は急いで立ち上がった。ヴィルは油断なく白煙の方に視線を遣りながら、キャットウォークを駆けていく。

 私たちが、警官たちが突入に使った非常用出入り口に近づいたその時、


「!」


 応援の者たちだろう、三、四名の警官と出くわした。


「う、動くな! 武器を捨てて両腕を上げろ!」


 しかし、そんな決まり決まった台詞で立ち止まるヴィルではない。

 動くなと声を上げた警官を指揮官と判断、一発で眉間を撃ち抜いた。

 慌てふためく警官たち。残り三名。狭い通路からこちらを狙っている。

 ヴィルは、跳んだ。通路の壁に向かって跳び、その間に一発発砲。しんがりの警官の腹を貫通する。

 同時に壁を蹴り、空中に躍り出た。思いっきり足を振りかぶり、つま先を警官の側頭部にめり込ませる。着地と同時に、昏倒した警官を盾にするように引っ張り上げ、残る一人の警官に銃口を向けた。


「ひっ!」


 一瞬で行われた『近距離戦闘』という所作に、相手――通信係らしい――は完全に圧倒されている。警官は拳銃を手放した。そんな彼に、ヴィルは


「無線機を寄越せ」

「は、はい?」


 突然の申し出に戸惑う警官。ヴィルは軽くため息をつきながら、盾にしていた警官の首を捻り、わきに放り捨てた。


「うわ、ああ!」


 壁に背をつける警官の腹部に、下方向から蹴りを見舞った。丸木を殺した時と同じく、つま先から仕込みナイフが飛び出している。

 ゴボッ、と吐血する警官の手から無線機を奪ったヴィルは、その場に落として踏みつけ、完全に通信機をスクラップにした。


「行くぞ、神矢」

「待って!」


 訝し気な目でヴィルが振り返る。


「……置いていけない」


 仕込みナイフで致命傷を負った通信係の前に、私はひざまずいた。じわり、と液体――当然血液だろう――が膝にまで広がってくる。


「げほっ!」


 通信係は、咳き込みながら吐血した。


「待って、今処置をしますから!」


 何とか止血しようと、私はあたりを見回そうとした。その直後、

 ズドン、と耳元で轟音が起こった。びくん、と通信係の身体が跳ね上がる。


「ッ!」


 私は危うく、再び悲鳴を上げるところだった。はっとして顔を上げると、通信係は側頭部を撃ち抜かれていた。明らかに事切れている。視界の端では、ヴィルの拳銃が硝煙を上げていた。


「ヴィル、あなたは……!」


 怒りに任せて振り返ると、


「それはこっちの台詞だ」


 ヴィルは冷たい瞳で、通信係の亡骸から私に視線を移しながら、


「あんただって分かったはずだぞ、神矢。もうこいつを助ける術はない」

「だからって!」

「それに」


 立ち上がった私を、頭一つ分は上から見下ろしながら、


「俺の目的ははっきりしている。邪魔者は排除する。必要とあらばあんたもな」


 さっさと行くぞ、と言い捨てて先行するヴィル。

 こちらに背を向けている。そして私の足元には、今殺された警官の手にしていた拳銃が転がっている。


 その時の私には、冷静さは一片も残されていなかった。

 さっとしゃがみ込んで拳銃を握り、セーフティを外した。カチリ、と思いっきり音が出たが、構うものか。あの男を殺してやる。


「ふっ!」


 息を整え、一気に引き金を引いた。パン、と軽い音がする。しかし銃口の先に、ヴィルはいなかった。否、一瞬で消えたのだ。


「!?」


 ヴィルは目にも止まらぬ速さで前転していた。私の撃った弾丸は、ヴィルを掠めもせずに彼の頭上を通過。私が再び引き金を引く前に振り返ったヴィルは、躊躇いなく私に向かって発砲した。


「!!」


 悲鳴も息も、出なかった。ああ、私は死んだのだと思った。

 しかし、再びヴィルの声が聞こえてきた。


「随分と洒落たことをしてくれたな」


 私は、生きてる……?


「はあ……」


 安堵感とも脱力感ともつかない理由で、私の口から息が漏れた。

 拳銃を握っていた右手を見下ろすと、バレルがねじ曲がって使い物にならなくなっていた。

 まさか、相手の拳銃で自分の拳銃が弾かれるとは。


「次は指を弾き飛ばす。それが嫌なら、ここで死ね。さもなくば、俺の指示なく他人に銃を向けるな。分かったか?」


 私はようやく感じ始めた恐怖感に苛まれながら、こくこくと頷いた。

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