第4話

「無線を使えるようにしろ。ただし、こちらから応答はするな。他のパトカーの展開状況を知りたい」


 私は無線機のスイッチに手を伸ばしかけた。が、手が震えて上手く回せない。こんな手で警視庁の通信網を傍受するのは不可能だ。


「おい、何をやってる?」


 ヴィルは私の側頭部に自分の拳銃を突きつけた。その時、はっとした。

 警視庁内部でのヴィルのあだ名は、確か『銀翼のマグナム』だったはずだ。以前見せられた映像を思い返す。金属製のバレルに、翼のような彫り込みがなされていた。まさにそれが、私の頭蓋を撃ち砕かんとしている。

 銃の種類はリボルバーの四十四口径のカスタムモデルで、装弾数は六発。

 しかしヴィルは、それを一発も使うことなく波崎と丸木の二人の刑事を相手取り、そして仕留めてしまった。


 現実遊離だろうか、そんなことを考えていると、


「しっかりしろ!!」


 と怒鳴りつけられた。私の震える手の甲に、ヴィルの大きな掌が載せられる。


「ッ!」


 私はもう、恐怖で声さえ出なかった。しかしそんなことはお構いなしに、ヴィルは


「ったく、日本の警察はまだこんな旧式の無線機を使ってるのか」


 と毒づきながら、チャンネルを回した。すると、


《……警部補、応答を。繰り返す。丸木警部補、応答を》

「やっと繋がったか。よし、車を出せ」

「はッ……」


 私は全身が麻痺したような感覚に囚われていた。しかし抵抗できない恐怖からか、ヴィルの指示通りには動くようだ。足はスムーズにアクセルを踏み込んだ。


「沿岸に出ろ。しばらくこのまま西に走れ」

「……」

「分かったのか!?」

「は、はッ!!」


 ヴィルはふう、と息をつきながら背もたれに寄り掛かった。


「あと、その上官の指示に復唱するような応答は止めろ。俺はあんたの上官でも、面倒見のいい近所のおばさんでもない。下手をすればあんたを殺しかねない殺人犯だ。それでもあんた、刑事なのか?」

「じっ、自分は……!」


 と言いかけた時、ヴィルの手が私の胸元に伸びた。


「いっ!?」

「馬鹿、変な声を出すな!」


 ヴィルはすぐに手を引っ込めた。が、その手には、私がコートの胸ポケットに仕舞っていた警察手帳があった。


「神矢忍巡査部長、か。なるほど、経歴は立派なものだな」


 私は黙って聞いていることしかできない。


「ふむ、アメリカで半年間の研修……。どおりで車の運転が冴えてるわけだな」

「はい……」


 私は蚊の鳴くような声音で返答した。


 私たちのパトカーはと言えば、現在、京浜工業地帯の中央を走る幹線道路を、時速八十キロで飛ばしていた。『沿岸に出ろ』との指示を受けていたが、一般車両が通るには、ここが最も海に近い。


「神矢巡査部長、少し運転を代われ。あんたに見せておきたいものがある」

「……え?」

「正直言うが、俺が敵対したどの組織も、人質のことなんか構っちゃいない。俺を殺せればどうでもいいんだ。だからあんたには、俺の人質ではなく協力者になってもらう。そうして理解し合っておいた方が、お互い悔いがない。違うか?」

「……ええ」

「分かったら助手席に移れ」


 ヴィルはぐっと上半身を乗り出してハンドルを握った。座席を倒して互いの場所を入れ替える。

 その時になって、ようやく私はあたりを見回す余裕を得た。

 パトカーのフロントガラスはそこかしこにひびが入り、助手席側のドアのガラスは完全に消し飛んでいる。

 道路の左右には鉄柵が張り巡らされ、高架橋からの車の落下を防ごうとしている。

 さらにその外側には、赤や青や緑といった、色とりどりのランプが灯り、排気ガスが低く垂れこめている。


「もっと飛ばすぞ」


 そう言って、ヴィルはさらに車を加速させた。時速九十キロをオーバーしている。

 凄まじいクラクションがあちらこちらから浴びせかけられるが、ヴィルは涼しい顔で、減速する気配を見せない。

 何というドライビング・テクニックだろうと呆然としている私に、ヴィルは


「こいつを見てもらおうか」


 と言って、ポケットから掌大の、円形の機械を取り出した。立体映像再生装置だ。

 受け取った私は、とにかく見ておかなければと思い、起動しようとして取り落とした。


「きゃっ!」

「おいおい、そんな機械、あんたに噛みつきゃしないぞ。今時立体映像なんてよくあるだろうが。さっきから慌てすぎじゃないか?」


 その元凶であるあんたに言われたくはない。

 そう思いながらも、私は反論できなかった。素直に映像装置を拾い上げ、今度こそ起動させる。

 しかし、そこに映されたのは音声を伴った映像ではなく、


「機密文書……?」

「さっさと目を通せ」


 私は言われるがまま、紙の本をめくるのと同じ要領で情報の読み取りを開始した。

 その文書は、


「これって……『グリーンフィールド』の……?」

「ああ」


 グリーンフィールド。略称GF。正式名称、警視庁公安部特殊任務実働部隊。

 日本国内に潜伏中のテロリストに対する先制攻撃を主任務とする、少数精鋭部隊だ。メンバーは総勢二十四、五名であり、公安部副部長である影沼正弘という男の指示で動いているらしい。

『らしい』というのは、それだけ秘密のベールに包まれているということだ。


「神矢、といったな」


 私は無言で肯定の意を表した。


「この文書の内容を信じるか否かは任せるが、取り敢えず読んでみろ」


 さらにページをめくる。するとそこには、信じがたいGFの実情が記されていた。


「こ、これって……!」


 書かれていたのは、『GFは民間人の犠牲も問わず、隠密任務に従事する』という意味の文言だった。

 GFは、無論世間一般に知られている組織ではない。SATやSITとは違うのだ。その作戦内容も、規模も、倫理的価値観も。

 私の見ているページに一瞥をくれたヴィルは、


「やはりなとは思った。俺の妻が殺された理由も、この文書のお陰ではっきりした」

「……?」


 私は再び無言。だがこの無言は、『意味が分からない』という意思表示だ。


「俺の妻、キャロル・クラインは、GFの連中に殺された」


 その言葉に、私は息が止まりそうになった。日本の警察組織の一旦を担う部隊が、そうもあっさりと殺人を犯したのか? 先ほどの文言、『民間人の犠牲も止む無し』という言葉が、何度も私の脳裏を駆け巡る。


「それって一体どういうことなの!?」

「どあ!?」


 突然身を乗り出してきた私に驚き、ヴィルは反対車線に飛び出しかけた。


「どういうことかって? お前こそどうしたんだ、急に?」

「確かめさせて」

「何をだ?」 

「この国の警察組織が、裏でどれほど後ろ暗いことをやってきたのか」


 目の前の男は、この国の正義に身を捧げた者たちによって最愛の妻を殺害されている。

 その衝撃的事実が、私の恐怖感を少なからず消し飛ばした。


 確かに私も、GFの存在は知っていた。しかしそれが殺人者部隊になっていることに、戸惑いを隠せなかったのだ。私は警察学校入学以来、最大のショックと興奮を覚えていた。

 すると、今度はヴィルが黙り込んだ。唇を湿らせながら、何から話したよいか迷っている、そんな雰囲気だ。


「お願い。私には知る義務がある」

「いきなり食いついてきたな……。驚かせるな」

「驚いたのは私の方よ!」


 この男は、ただの人殺しではない。何らかの信念に基づいて行動している。

 無論、殺人は許される行為ではないが、『何がこの男を動かしているのか』、その一点に私は惹きつけられていた。

 私は、どうしても真相を知りたかった。自分を定義している『警察』という土台が揺らぐような、地に足がつかないような、そんな一種の焦燥感に駆られていた。

 ふっと息をついてから、ヴィルは


「多少長い話になるかもしれんが――」


 とヴィルが言いかけたその時、


《京浜地帯で警備活動中の全車へ。刑事課車両一台が、容疑者に乗っ取られた模様。タンクローリー爆発地点付近で、刑事二名が殉職。犯人は、殺害された丸木警部補の車両で逃走中とみられる。巡査部長一名が行方不明。人質と思われる。繰り返す――》

「やっと勘づきやがったか。神矢、話は後だ」


 そう言い捨てて、ヴィルはさらにアクセルを踏み込んだ。

 グン、と背中が背もたれに押しつけられる。


「シートベルトだ!」

「何ですって?」

「シートベルトを締めろ! 少しばかり、荒っぽい運転になるぞ!」


 すると間もなく、パトカーのサイレンが後方から響き渡ってきた。

 まさかこの国でカーチェイスが起きるとは、全くの想定外だった。だが、私には何故かヴィル・クラインという存在に、一抹の心強ささえ覚えてしまっていた。

 彼の信条を、戦いを、生き様を見届けたい。そんな思いだった。

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