第3話

 恐るべきは、ヴィルの挙動の隠密性の高さにあった。無音、としか表現しようのない動きで標的に近づき、一撃で仕留める。もちろん、映像に音声編集を施された形跡はない。

 こんな映像が、日本の防衛省、警視庁、警察庁、及び各国諜報機関に送りつけられたのだ。

 これは日本に対する明確な挑発行為であり、同時に宣戦布告でもあった。

 警視庁はその認識に基づき、東京都内での、ヴィルによるテロ攻撃に対する案件を取りまとめることとなった。一個人が国家を揺るがすなど、常識的に考えればあり得ない。しかし上層部は『奴ならやりかねない』という共通見識に至っていた。

 しかし、一体何が彼をそこまで駆り立てるのか、知る者はいない。それが余計に恐怖を増大させたという背景もある。


 しばらくの間、無線通信での遣り取りが為された。警視庁と丸木との間でだ。


「神矢、我々はこの先の交差点を封鎖、迎撃する。飛ばせ」

「了解」


 私はパトランプの警報音を最大ヴォリュームに調整した。警視庁から送られてきた情報がカーナビに反映され、私たちの待機場所が示される。


「丸木警部補、人口密集地ですが発砲許可は下りましたか?」


 私は念のために尋ねたが、


「やむを得んだろう!」


 丸木は声を荒げた。カシャリ、とカバーをスライドさせて、自分の拳銃に初弾を装填する。


「相手は警戒レベルがレッドの即射殺対象者だぞ! 民間人に被害が出るのもやむを得ない!」

「しかし……」


 私は反論したかった。私たちは『民間人を守るために』拳銃を抜くのだ。『民間人への被害も止むなし』というロジックは、私のポリシーに反する。

 だが、私が組織の中の歯車の一つであり、トップダウン式に命令が下されるのであれば、それに従うしかない。

 私はマイクのスイッチを入れ、左手で口元にマイクを持っていった。


「こちらは警察です。この付近で、銃撃戦が発生する可能性があります。すぐに屋内退避してください。繰り返します――」


 群衆が慌てて道をあけ、皆一目散に屋内へ引っ込んでいく。家屋に限らず、商店やビル、地下街へ逃げ込む人もいる。それを見ながら、私は思いっきりアクセルを踏み込んだ。


「緊急事態です。道をあけてください。屋内へ避難し、窓や出入り口から離れてください。銃撃戦の恐れがあります――」


 こうして走行すること約二分。


「そこだ、神矢」


 私はタイヤを軋ませながら、ブレーキを踏み込んだ。


「おっと、流石だね、忍ちゃん」

「何がですか、波崎巡査部長」

「車の扱いさ」


 波崎は運転席の背もたれに手をかけながら、


「ちょうどこの通りを封鎖するように停めてくれたじゃん?」

「車両の特殊な扱い方については、アメリカで学んできましたので」

「そうか! これでヴィルも逃げ場がないな!」


 私は察した。波崎は完全に参っている。不安や恐れの感情が大きくなりすぎて、何とかそれを払拭すべく去勢を張っているのだ。

 先ほどからの警戒アナウンスが功を奏したのか、煌びやかなビル群の合間ながら、人影は少ない。その僅かに残された人々も、慌てて商業施設に駆け込んでいく。


「車のドアを開いて盾にしろ! 拳銃のセーフティを解除して、この街路の右端を狙え!」


 丸木が野蛮な声を張り上げる。

 その直後だった。

 タンクローリーが、炎に包まれた状態で右角から突っ込んできた。向かって左側にあった薬局にめり込む。


「なっ、何だ!?」

「慌てるな、波崎! 神矢、大丈夫か?」

「は、はッ!」


 復唱したはいいものの、私は呆気に取られていた。実際に現場に出るようになってから、まだ一ヶ月と経っていない。それなのにこんな派手な状況に巻き込まれるとは。

 そして次の瞬間、


「お前ら、伏せろ!!」


 直後、ズズン、と腹の底を圧迫するような振動に揺さぶられた。一拍遅れて凄まじい轟音がして、爆風が私たちの頭上を通り抜けていく。盾にしていたパトカーのドアの防弾ガラスすら割れてしまった。

 爆風の通過を見計らってからか、


「また狙え! 狙いなおせ!」


 と丸木。また狙えと言われても、街路のネオンは配線が切れて暗くなっていた。タンクローリーの残骸だけが、明々と夜空を照らしている。

 私たちは、あの炎の向こう側からヴィルが現れるものと判断し、ずっと狙いをつけ続けた。

 しかし、


「……ん?」


 あまりにも静かすぎやしないか、と私は思った。まさか――。


「波崎、逃げて!!」

「え?」

「ビルの上!!」


 直後、黒々とした人影が飛び降りてきた。波崎の目の前に。

 そうか。タンクローリーの爆発は陽動で、逆光で私たちが目を背けた隙にビルに上り、上から奇襲を仕掛けてきたのだ。

 私は慌てて銃口をそちらに向ける。が、人影は波崎の後ろに回り込み、片手でコンバットナイフを彼の首元にかざした。


「うっ!」


 短い悲鳴を上げる波崎。もはや彼は、完全な人質状態である。それでも、彼は声を上げた。


「隊長、俺ごとヴィルを撃ってください! 今を逃したら……!」


 しかし、そんな波崎の勇気をまるで無視してヴィルは波崎の身体を蹴飛ばした。


「がはっ!?」


 予想外の勢いで、波崎は丸木のいる方へと放り出された。


「ぐあ!」


 もんどりうって転倒する、波崎と丸木。直後、ヴィルは先ほどのナイフをすっと水平に投擲した。


「!」


 もはや声も出なかった。ナイフは波崎の背中、それも心臓にあたる部分に深々と突き刺さった。即死であることは明らかだ。


「この野郎!!」


 波崎の死体をどかす間もなく、丸木は拳銃を弾倉一個分撃ち込んだ。が、既にそこにヴィルの姿はない。

 その時、私は背筋にぞくり、寒気が走るのを感じた。はっとして振り返ると、ヴィル・クラインその人がそこにいた。

 落ち窪んだ目に高い鼻、僅かに白髪の混じった黒い髪。顔しか確認できなかったが、間違いなくこの男は、たった今波崎巡査部長を殺害した奴だ。

 と、そこまで認識した次の瞬間、


「うっ!」


 強烈なアッパーカットが、私の腹部にめり込んだ。『痛み』というより、息が詰まって胃袋が反転するような『異様』な感覚が私の全身を駆け巡る。思わず私は、自分の拳銃を取り落とした。

 ヴィルは、それを見逃さなかった。私の拳銃を蹴飛ばし、


「ッ!?」


 丸腰の私を肩に載せて、パトカーの運転席に押し込んだ。それから勢いよく助手席から飛び出す。

 すると、ようやく丸木も事態に気づいたらしい。こちらに向かって銃撃した。


「ひっ!」


 私は小さく悲鳴を上げ、頭を手で覆った。恐る恐る目を上げると、ヴィルは円を描くように駆けて丸木の銃撃をかわしていた。速い。丸木の手が追いつかない。虚しい弾丸が、街路に面した商店のショーウィンドウを破砕していく。

 やがて丸木の弾が切れるのを見計らったように、ヴィルはその場で半回転して一気に接敵した。勢いをそのままに、長い足で丸木の腹部を蹴り上げる。ほんの一瞬だったが、私はヴィルのつま先に、金属質な鋭い光沢があるのを認めた。ブーツに仕込んだナイフだ。

 それが腹部にめり込み、丸木の口から赤黒い液体が吐瀉される。ヴィルはすぐに足を下ろし、腰を折った丸木の後頭部に肘打ちを見舞った。ガクン、と丸木が力なく崩れ落ちる。


 今、この現場に残されたのは私だけだ。私だけ。その事実が、ヴィルのブーツと共に私の眼前に迫ってくる。

 武器はないのか? 武器は?

 私は助手席のカーボックスを開いた。あった。予備の拳銃だ。

 慌ててそれを手に取った私は、しかしタンクローリーの炎を背景に近づいてくるヴィルを見て、完全に竦みあがってしまった。

 ヴィルは何を警戒するでもなしに、どんどんこのパトカーに近づいてくる。やがて運転席側に回った彼を見て、私は助手席へと腰をずらしてうずくまった。震える腕で拳銃を握りしめる。


「きゃっ!」


 私は思いがけず発砲した。突然のタイミングで意外だったのか、慌ててヴィルが身を引く気配がする。しかし、


「止めておけ」


 流暢な日本語で、しかし重い野獣のような声がした。


「ひ……」


 言葉を失った私に向かい、


「あんたには人質になってもらう。悪いようにはしない。指示するから、車を出せ。分かったか?」

「……」

「分かったかと聞いてるんだ!!」

「は、はッ!!」


 思わず復唱するような声が出た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る