第2話

「全く、近頃の連中ときたら、爆弾だけじゃなく化学兵器まで製造しおって……」

「まあ、仕方ないですよ。最近じゃ日本の治安維持能力も右肩下がり、水際でテロを食い止めるしか有効策がないんですから」

「公安は何をやっとるんだ? CIAやらNSAやらと協力して、より早期発見に努めるべきだとは思わんのか? 波崎」

「これが現実ですよ、丸木警部補」

「……」


 私――神矢忍は、後部座席の二人の先輩刑事の話を聞くともなしに聞いていた。

 半年前、まるまる二年間の飛び級を経て日本の警察学校を卒業し、先日アメリカでの研修を終えて帰国、巡査部長を拝命した。

 ただ、経験が未熟であることと、単に女性だから、という理由でこのパトカーの運転を任されている。二〇三〇年現在に至るも、男尊女卑の傾向は根強く警察組織に残っている。こんな雑事を任されることもしばしばだ。まあ、私の気に障るほどではないが。


「ところで波崎、お前、いくつだ?」

「先日二十五になりましたが」

「なんだお前、俺の半分も生きてねえのか!」

「そういう年齢の測り方、古いですよ、丸木さん」


 先ほどから軽口を叩いているのは、同階級の波崎巡査部長とベテラン刑事の丸木警部補だ。


「それより丸木さん、見てくださいよ、これ!」


 ヴン、と軽い振動音がする。携帯端末の立体映像表示音だ。


「昨日も見たぞ」

「今朝も撮ってきたんです!」


 波崎が何を撮っているのか。これには、同僚の私たちもほとほと呆れるばかりだった。やがて音声も流れ始める。それは、波崎の妻と、二ヶ月前に産まれた赤ん坊の声だった。


《ほら絵美ちゃん、パパにいってらっしゃ~い、って》


 しかし、赤ん坊に通じるわけがない。どうしたらいいのか分からず、喉から声にならない音を発するのが聞こえる。やがてそれは不機嫌な色を帯び、赤ん坊は泣きだしてしまった。ぎゃーーーっという喚き声が、パトカー中に響き渡る。


「おい、うるさいぞ波崎! 映像を止めろ!」

「これは絵美が元気な証拠です! いいことじゃないですか!」

「他人の家族自慢に興味はない! おい神山、波崎を黙らせろ!」


 ふう。やっと私にも話題が振られてきたか。


「波崎巡査部長、私にも赤ん坊の泣き声は耳障りです。それと丸木警部補、私は『神山』ではなく『神矢』です」


 私は我ながら不愛想に応じた。


「ほら見ろ! 神山……じゃない、神矢だってそう言ってるじゃないか!」

「神矢さん、せっかく同じ階級なんだからちょっとはフォローしてよぉ!」

「お言葉ですが、私はあまり他人に介入するようなことは致しませんので」


 すると音声が止んだ。波崎が映像をストップしたらしい。


「だから神矢さんはモテないんだよ! ツレないっていうか、人との取っ掛かりがないっていうか」

「確かに」

「あ、丸木さんもそう思ってました?」


 波崎はさも嬉し気に声を上げた。余計なお世話、というより無駄なお節介だ。


「神矢、駄洒落のつもりじゃないが、もう少し髪を伸ばしたらどうだ? いわゆるイメチェン、って奴か。まあ、娘が通ってる高校の校則に抵触しない程度にな」

「それは私個人が決めることです。ご無礼」


 と言ったが、後半は波崎の呑気な言葉に掻き消されてしまった。


「あーっ! なんだかんだ言って、丸木さんも娘さんの自慢したいんでしょ?」

「そんなんじゃない! 俺は神矢がずっとショートヘアなのが気になってな……」

「別れた奥さんに似てるから?」

「バッ、馬鹿を言うな!」


 慌てた丸木をおちょくる波崎。いつもの光景だ。しかし、こんな調子でいいのだろうか?

 

 私はこの緊張感のなさを、いつも危惧していた。

 両親が警察官だったこともあり、私は厳しく躾けられてきた。が、それを悪かったとは思ったことはない。だからこそ、二十歳という身の上でありながら、警視庁お抱えの刑事になることができたのだ。

 昨今の、いわゆる物騒な情勢下で、どうすれば罪のない人々を凶悪犯罪から救うことができるのか。それをいつも考えている……というと自画自賛的だが、事実そのようにしているのだ。

 それに比べ、先輩刑事たちのこの体たらく。私はため息をつきたくなるのを堪えて、ハンドルを握りなおした。

 確かに、爆破予告のあった現場に急行し、付近住民を避難させ、化学捜査班の誘導とその爆弾処理を見届けた後となっては、緊張感が緩むのも仕方がないだろう。 だが、それにも限度というものがある。

 もしその爆弾を仕掛けた犯人が計画を変更し、火器による殺傷事件に走ったとしたら。真っ先に矢面に立たなければならないのは、我々一般の刑事なのだ。拳銃を携帯し、現場を駆け回るのも得意。おまけに、軽量化防弾ベストを着用しているとあっては。

 だがこの二人は、その防弾ベストさえ着用しているのかしていないのか、怪しいものである。

 私はフロントのメーターを見た。警視庁到着まで、あと十分ほど。報告書を上げれば今日は終わり。

 そのはずだった。


《警視庁より入電、警視庁より入電。東京湾横浜港にて、重要指名手配犯の目撃情報あり。付近巡回中の各車、現場へ急行せよ。座標ポイントは――》


 続けざまに、無線機から座標が吐き出される。すると後部座席は、先ほどとは違う意味で慌ただしくなった。


「波崎、神矢、武装しろ。警戒レベルを勘違いするなよ」

「はッ!」


 二人の声に、三十秒ほど前の余裕はない。しかし、さらに加えられた情報――次に無線機から言い渡された犯人の名前に、私たちの緊張は極致に達した。


《逃走中の容疑者はヴィル・クライン、警戒レベルはレッド。繰り返す。容疑者名ヴィル・クライン、警戒レベルはレッド。発見次第即射殺せよ》


 カタリ、と気の抜けるような音がした。波崎が装填中の弾倉を取り落としたのだ。


「ヴィル・クラインって……!」


 私にも聞き覚えがある。いや、思い出せないはずがない。私は自分の頭から、この人物に関するデータを引き出した。


 名前、ヴィル・クライン。男性。現在三十五歳。国籍はアメリカ合衆国。二十五歳から二十八歳までの間、特殊部隊シールズに所属。その後、すなわち七年前から消息不明。世界各国での工作活動に従事との情報あり。

 殺人、拉致、器物損壊その他の容疑で国際指名手配中。数ヶ月前から東アジアを中心に目撃情報あり。ただし、物証は得られず。


「ほ、本当にヴィル・クラインなんですか!?」

「だからそう言われているだろう!? 早く射撃準備を完了しろ!」

「そんな……。家内には何もないって言って出勤してきたのに……」

「俺もだよ! だから命令通り、ヴィルを殺すんだ!」


 私は黙って二人の会話を聞いていた。しかし、自分でも『ヴィル・クラインとの遭遇』という事態に、命の危険を覚えなかったわけではない。

 ハンドルを握る手が汗で滑り、頭に血が上ってくる感じがする。心拍数は秒単位で高まり、視界が狭まるような錯覚に陥る。


 何故私たちがここまでヴィル・クラインを恐れているのか。それは、ある映像がきっかけだった。

 ヴィルがシールズ除隊後の戦闘を記録した映像が、世界各国の警察機関に提供されていたのだ。

 しかし、そこで繰り広げられていたのは『戦闘』ではなかった。まさに『虐殺』と呼ぶに相応しいものだった。

 

 公式記録では、ヴィルの最後の戦闘は中東某国ということになっている。しかし、その映像には続きがあった。そこに映されていたのは、茶褐色の大地でも、モスクや宗教関係の施設でもない。

 日本から派遣された諜報員のものと思しきセーフハウスだった。

 それまで表沙汰にされてこなかったが、日本もかなりの数の諜報員を中東に派遣している。いざという時の、油田確保のためだ。

 映像は、ヴィルが拳銃を手に進んでいくところから始まる。その映像というのも、ヘルメット側頭部に取りつけたようなブレの大きいもの。そして、寝静まった諜報員の頭部を一発で撃ち抜く、という凄惨極まるものだった。

 映像の数は合わせて八本にも上り、それだけの数の日本人諜報員が殺害されたことを意味している。

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