中編
五月の土曜日深夜――俺が子宮と同棲を始めてから二年ほど経った日。俺は八木とだべりながら歩道を歩いていた。
俺も八木もすでに大学を卒業し、就職していた。久しぶり――といっても二か月ぶりくらいだ――に会ったからか話が弾んだ。話した内容といえば、ほとんどが入社したばかりの会社での愚痴だったが、学生時代に戻ったようで楽しかった。
ここのところ、俺は子宮を持ち歩いていない。あいつは家で静かにお留守番だ。どうにもここのところ子宮は元気がない。最近はセックスもしてくれない。子宮の横で、俺はむなしくオナホを使っている。いったいどうしたものか、と思う。今度、駅前の子宮病院にでも連れて行こうか。
ちくしょう子宮なんて、子宮なんてええええー。
という八木の大声が、夜の街に響いた。
二年前から八木は、子宮と関係を持つどころか、子宮の姿さえ見ていないらしい。あの出来事以来、三次元の子宮がトラウマになっているようだ。前より一層、二次元の子宮にのめりこんでいる。
歩いていると、前のほうが少し騒がしいことに俺は気づいた。夜の街に、大声が響いている。酔っ払い、ではない。大勢の人間が歩きながら声を張り上げていた。プラカードや横断幕を掲げている、どうもデモ行進のようだ。
子宮に人権をー!
子宮虐待を赦すなー!
こんな時代遅れの国でいいのか!
非人道的な扱いを今すぐ止めるべきだー!
世界じゃ人権を与えている国家がほとんどだぞー!
子宮人権団体の一つである「日本子宮権」の連中だ。叫んでいるのは若者から老人までさまざまだ。皆、必死の形相で声を張り上げている。やかましいことこの上ない。いい迷惑だと思った。
「おかしな話だよなあ」
と八木が鼻で笑った。
「人権も何もどこから見ても人じゃねえだろ、子宮は。ただ子を孕んでよ、俺たち男のDNAを未来へと繋げていくためだけのモノじゃねえか。あんな知性もないもんに人権なんか与えてもどうしようもねえよ。俺たちのためにチンポ突っ込まれてればいいんだよっ! ……ぅうぅうえっ!」
八木の顔が急に青くなった。彼は近くのガードレールに捕まると、もげぇーっと胃の中のものをすべて道路に吐き出した。
俺は八木の背中をさすりながら、宥めた。
「まあ確かに変な団体だけど、人の考え方はそれぞれだからな……」
日本子宮権は、数年前から急に会員数が増え、今では国内でもっとも大きな子宮人権団体となっていた。会員数が増え始めたのは、なんでも会長が交代してかららしい。その新しい会長は、少し奇妙な人物だということで有名だった。
なんでもそいつは、自分が別の世界から来たのだと主張しているという。元々そいつがいた世界では、人は男と子宮ではなく、男とオンナというものに分かれていたそうだ。
オンナは俺たちと同じく二足歩行をする人型の生物で、その体内に子宮を有しているのだという。つまりは人間の形をしている生物が、俺たちを産むという訳だ。……考えただけでも気味が悪い。鳥肌が立つ。
そいつのいた世界では男とオンナに格差こそあったものの、それでもこの世界よりはずっとマシだったという。子宮がモノ扱いされているのは納得がいかない。人権を勝ち取ろうとしている、とのことらしい。
はっきり言って少し頭がおかしいと思う。
八木と別れた俺は、マンションのエントランスへと入った。就職したのを機に、あのぼろいアパートから職場近くのマンションへと引っ越していた。
エレベーターに乗り四階で降り、ふらつく足取りで廊下の突き当りにある角部屋まで行く。ここが今の俺と子宮の家だ。
鍵を開けると、廊下の真ん中に子宮が倒れていた。
「!? ど、どうしたっ!」
ここのところ具合が悪くずっと布団に入っていたはずなのに、なぜこんなところまで。触ってみたが、熱はない。
と、そこで俺は気づく。
子宮の腹がこころなしか膨らんでいるように思えた。俺はすぐにタクシーをマンションまで呼び寄せ、産子宮科へと行ってくれるよう伝えた。
結論から言うと、子宮は子を宿していた。
妊娠二か月だそうだ。
検査で判明したが、宿していたのは人ではなく、子宮のほうだったそうだ。人の親になれないのは少し残念だと思う反面、安心感もあった。まだ仕事をはじめたばかりの俺には、ベビーシッターの力を借りても、子供を育てきれる自信はなかった。
妊娠が発覚してから八か月――日曜日の昼に、子宮を抱いて公園を散歩していたときのことだ。
子宮もだいぶ大きくなり腹が膨れ、新たな生命が宿っていることがはっきりとわかる。妊娠していることが分かるよう、風呂敷も赤色に変えた。すれ違う人が、おめでとうございますと祝福してくれる。もう子宮はかなり重く、長時間持つとこちらの腕が疲れてくるほどだ。
陽も暮れはじめそろそろ帰ろうかと思ったときだ。
突然、子宮の様子がおかしくなった。腕の中で痙攣したかのようにばたばたと暴れ出し、穴から不規則な息を吐き出し始めた。
予定日まではまだ一ヶ月以上あるはずだが、お産の兆候だ。急いでかかりつけの産子宮科へいくと、すぐに入院してくださいと言われた。
翌日、俺は仕事中も気が気ではなかった。果たして子宮はちゃんと子を産めるだろうか。大丈夫だろうか。早く仕事を終わらせて駆け付けたい――。
午後になって、俺のスマホに電話がかかって来た。
産子宮科かと思ったが、表示されているのは知らない番号だ。不審に思いながらも出ると、相手は子宮病院だった。……なぜ産子宮科ではなく、子宮病院のほうから?
病院の担当者が言うには、こうだった。
事故により子宮は危険な状態である――。
――事故?
俺は仕事を放り出して病院へと向かった。俺が病院に駆け付けたとき、子宮は包帯でぐるぐる巻きにされ、アクリルケースの中に静かに横たわっていた。包帯は赤く染まっており、血がにじんでいる。片側の卵巣は、切除されていた。
何でも、産子宮科で用いるベッドはだいぶ古いもので、子宮の重みに耐えきれず壊れてしまったのだという。妊娠していた子宮は床の上に落ち、さらにはその上に壊れたベッドが倒れ掛かった。子宮はあっけなく押しつぶされてしまったらしい。
宿していた子はそのとき、潰されてしまったらしい。なんとか緊急手術を行い、潰れた子を取り出すことには成功したというが、子宮は出血多量で瀕死の状態だった。内部も傷ついており、例え回復しても子供はもう産めないだろうとのことだ。
俺はアクリルケースの外で、必死に子宮が回復することを祈った。手を合わせ、生まれて初めて真剣に、神に祈った。
「残念ながら……」
翌朝、俺の願いもむなしく、子宮は静かに息を引き取った。
子宮を撫でる。
もはや脈動はなく、ただゴムの様だった。
子宮のぬくもりが失われつつあることが分かった。
こうして、俺と子宮が過ごした二年という短い月日は、幕を閉じた。
俺は業者に頼み、子宮用の葬儀を執り行った。
地元からは親父が駆けつけ、俺を慰めにやってきてくれた。そこで俺は初めて、俺を産んでくれた子宮の最後について話を聞かされた。
俺を産んだ子宮が死んだのは、俺がまだ二歳、物心もつないていない頃だそうだ。俺と、俺を産んだ子宮は、庭で追いかけっこをしていた。土の上を這う子宮を、後ろから俺が転びながら追いかけていたそうだ。
隣の庭でキャッチボールをしていた父とその息子のボールが、フェンスを飛び越えこちらの庭まで入り込んできたのだという。硬球は子宮に直撃し、子宮は吹っ飛んでしまった。父が必死の思いで子宮病院へ連れていくも、着いたころにはすでに息を引き取っていたという。
結局、隣に住んでいた親子は土下座して、父に謝罪したという。
「土下座して謝罪……」俺は、言葉を復唱した。
「ああ、土下座して謝罪だ」父がうんうんと頷いた。
「……訴えなかったのか?」
「訴えるって、誰を?」父は首を傾げた。
「いや、その親子を……」
「どうしてだ?」
「どうしてって、だって……俺を産んだ子宮は、殺されたんだろう?」
「殺されたんじゃない、事故だ」父は顔を顰めた。
「いや、でも、事故でもさ……赦せるのかよ? 赦せたのかよ?」
「長い付き合いの親子だったし、泣いて謝られてはな……。仕方のないことだった。それに向こうから品も貰っている」
「品って、賠償金ってことか?」
「もらえるわけないだろ、そんなもの。長い付き合いなんだぞ」
「じゃあ何をもらったんだよ」
「果物だよ、高級な」
「果物」
「ああ、それも高級な果物だ」
「高級な果物」
「かなり高そうだったぞ。何万円したんだろうな……」
「そ、それで、いいのかよ……?」
「当時のお前も、喜んで食べてたぞ」
「……」
俺はそれ以上、何も言えなかった。
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