あの愛おしい子宮に人権を
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前編
「なあ
友人である
そうかそうか、お前もついに意を決して風俗に行ったのか。
俺が無理に作った笑顔を張り付けて言うと、八木は首を横に振った。なんでも先週の金曜に出会って即座に家へと連れ込み、土曜の夜にはもう童貞を卒業していたという。心を落ち着けるために飲んでいたお茶を盛大に噴き出し八木の顔面に引っ掛けてしまったが、それでもなおあいつは笑顔だった。俺はそこに、童貞を脱した大人の余裕を垣間見た。
八木と俺は、大学に入ってからずっと気の合う友人だった。
ついこの前も俺の自宅でアニメを見ながら安酒を飲み、「二次元最高! 俺たちは一生童貞だ!」と誓いを立てたにもかかわらずこの仕打ち。マラソン大会で一緒に走ろうね、といった友人がゴール前で走り出したとかそんなレベルの裏切りではない。マラソン大会自体が友人の主催で、ゴール後に俺だけ失格にされた感じ。
八木はその後、自分の股間にぶらさがっているムスコについて長々と解説を始めた。お前のは租チンじゃねーか!と俺が罵っても笑って流す。完全に童貞を脱している。だめだ、勝てない。限界を迎えた俺は泣いて八木の前から逃げ出した。
泣きながら大学構内を走る俺を、すれ違う人たちが奇異な目で見つめていた。羞恥で悲しみが癒えるかと思ったがそんなことはない。自分がみじめな童貞だという思いが、心の中を渦巻いている。
途中、眼鏡をかけたひょろい男子学生とすれ違った。彼は手に、紫色の風呂敷につつまれたあれを抱いていた。
「この淫乱野郎! 大学でいちゃついてんじゃねえ!」
と俺が泣き喚きながら罵ると、向こうは訳が分からないという様子だったが、頭を下げてきた。俺は彼に非童貞の余裕を見た。
俺は泣きながら大学の敷地を飛び出た。
何が非童貞だ。セックスの快感だなんてオナホールを使えば誰でも味わえるじゃないか。早くアパートへ戻ってオナホールを使うぞ!と思っていた矢先だ。
「やっぱさ、オナホじゃなくて本物の膣は違うんだよなぁ~」
すれ違った年下のちゃらい男子高校生が得意げにそんなことを語っていた。周囲を見れば、どの男も風呂敷を大事そうに抱えている。抱えていない男は俺くらいだ。
ああ、ちくしょう。なんなんだ。一体俺はいつから地獄に迷い込んでいた? 俺の居場所はどこにあるってんだ。
ちくしょうちくしょうちくしょう――。
二階にある自室へと続く、錆びだらけのボロっちい階段。俺はそれを思い切り蹴りつけた。かん、という金属音が響く。蹴りつけた足が痛い。
「ちくしょう……」
俯き、ぽたぽたと地面を涙で濡らしていたとき。
視界の端で、何かが動いた。
さっと、庭の草むら中へと何が入っていった。
「……?」
俺はそっちへと顔を向ける。ごそごそと、草むらの中で何か動いている。ここらにいる動物なんてネコとカラスくらいのものだ。だが、草むらの間からのぞくそれはネコよりは明らかに小さく、カラスのような黒色でもなかった。
体毛は一切生えていない。体表は薄桃色で、うっすらと血管が見える。もぞもぞと、それはまるで姿を見せるのを恥ずかしがるように草むらから出てこない。
まさか――。
俺は向こうに警戒心を与えないためにかがんだ。そして努めて優しい声で呼びかける。大丈夫、怖くなんかないよ――と。
草むらから、それが這うように出てきた。
全長は五十センチほど。頭部のほうは細長く、後ろは丸く膨らんでどっしりしており、耳のような丸い二つの卵巣がついている。
間違いなく、生きた子宮だった。
アンドロヒステリコ――プラトンの『饗宴』の中で、詩人であるアリストパネスが語った話として有名である。
古代、人間は陰茎と子宮の二つを有する形をしており、それらはアンドロヒステリコ(日本語訳:ふたなり)と呼ばれていた。しかしゼウスの怒りに触れた結果、それらは分割され、男と子宮の二つに分けられてしまった。だから、元々一つの身体だった男と子宮は、互いに求め合う。
その子宮が今、目の前にいる。
何度か見かけたことはあるが、こうして面と向かいあう経験は初めてだ。
呼吸が浅い。
股間が熱い。
自分が、いまだかつてないくらい緊張しているのが分かる。
子宮が、膣と呼ばれる部分をもたげた。
穴が見え、俺は思わずくらっとした。AVでもエロ漫画でもない生の穴は、とてつもなく淫靡だった。冷静になればグロいとさえ思える形なのに、それがここまで刺激的で情欲を煽るとは不思議だ。
子宮が地面を這い、ゆっくりとこちらへ進んできた。底部に生えた
手を差し出すと、身体を寄せてきた。「膣」と呼ばれる細長い部分を俺にこすりつけてくる。暖かい。ぬくもりを感じる。思い切って、膣の先端をちょこちょこと撫でてやった。嫌がるどころか、こちらへさらに身体を寄せる。ああ、すげー可愛い…。
胴体に手を当ててみると、子宮は少し火照っているようだった。授業では、子宮の体温は俺たち人間と変わらないと言っていた。つまりは、そういうことだ。向こうも――子宮も俺に興奮しているのだ。
両手を差し出してもまるで抵抗しない。俺は子宮をゆっくりと持ち上げた。ずっしりとした重み、暖かさ、脈動。そのすべてが愛おしい。
「……う、うち、にっ」
どもりながら、俺はなんとか言葉を紡ぎ出す。
「う、うちに、来るかっ?」
当たり前のことだが子宮は言葉を解さない。
だけれどそのとき俺には確かに、子宮が頷いたように思えた。
俺はその日の夜、二十年間付き合ってきた幼い貞操に別れを告げた。
カーテンの隙間から入ってくる、眩しい朝陽で目が覚めた。
横を見ると、そこには子宮がいた。眠っているのか、ひゅーひゅーと穴から音を出している。可愛らしい奴だなと思い、横のほうを指でつんと突く。
生きた膣の気持ちよさは、オナホールなんかとは比べ物にならなかった。今なら世界の全てを赦せるような、愛せるような、そんな錯覚に陥るほどだ。
俺は午後から大学に出るため、準備を始めた。子宮はどうも俺が恋しいのか、盛んにすり寄ってくる。大学にまでついてきたいようだ。
俺は棚の奥から、桐箱を取り出した。中には、薄桃色の風呂敷が入っている。大学生になり一人暮らしを始めようとした時、父から渡されたものだ。いつかお前にも大切な子宮ができるから、そんときは包んでやれ――と。
俺は子宮を風呂敷で包み、腕の中に抱えた。
外へ出る。
気温は温かい。
夏が近づいている。
今日の世界は輝いているように思えた。
今日の八木はすさまじい形相をしていた。頬はこけ、眼窩はくぼみ、唇は乾燥し、人間一日でここまで変われるのかといったあり様だ。
なんでも彼が言うには、八木がアパートへと帰ったらすでに子宮はいなくなっていたらしい。セックスをしたあとすぐに子宮がいなくなるとはつまり、そういうことだ。セックスが下手、子孫を残すには値しないと、そう値踏みされたのだ。
思えば兆候はあった。本当に子宮が八木を気に入っているのなら、大学までついてきたはずなのだから。今こいつが俺の腕の中でこうしているように。
話し終えると、八木はようやく俺が風呂敷を持っていることに気づいたようだ。ぱくぱくと口を開け、俺の手元を指す。
俺も童貞を卒業したことを告げると、八木は食っていたカレーを俺の顔面に盛大にぶちまけやがった。だが今は、全て赦せる気になっていた。
そうか、世界とはこんなにも輝いているものだったのか。
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