第20話 黄色いやかん
私にとって黄色いやかんは幸せの象徴であり憧れでもある。
けれど、私は実際に黄色いやかんを買ったことも使ったこともない。
あまりにも憧れが妄想すぎて、どんな黄色いやかんも自分が求める「黄色いやかん」として納得できないのだ。
30代になったばかりのころ、知り合いの男性が「ここまで待ったんだから理想の女性とじゃないと結婚したくない」と言ったのを聞いて驚いた。
どんな女性が理想なのかよくわからなかったけれど、私自身は理想の人とは結婚したくないと思っていたので、人間の価値観の違いを強く実感したことを覚えている。
私の理想の男性は、知的でお洒落で会話が楽しくて、人当たりの優しい人で努力家でまじめな人。
実際にそういうタイプの人だろうな、と感じる男性と知り合う機会もあったけれど結婚したいとは思わなかった。
だって、そんな素敵な人と一緒にいたら、私自身がずっと緊張してずっとちゃんとした自分で居続けなければいけなくなると思ったからだ。
私が結婚したのは、素の私でいることを容認してくれるような、決して知的でもなく、おしゃれでもなく、会話も楽しいわけでもなく、ただ人当たりはかなり優しい人で、あまり努力家とは言えない人だ。
正直なところ、気楽で快適だ。物足りなさがあるのはご愛敬。おそらくお互いさまだろうと推察する。
私にとって黄色いやかんは「理想」そのもので、だからこそ、日常的に使って汚れたり傷付いたりして、いずれは捨てるようなことになるのは嫌なのだ。
人生はどうなんだろう。
黄色いやかんを使わずにあこがれのものとして好きでい続けることが幸せなのだろうか。
それとも、幸せの象徴を手に入れてもっと上を目指す生き方が幸せなのだろうか。
私個人としては、自分の好きな黄色いやかんが映画やドラマの小道具として使われているのを見つけては喜ぶような、そんな単細胞でいることが幸せなんじゃないかと思ったりする。
いつか、黄色いやかんを買う日がくるだろうか。そう思うということは、いつか買うのかもしれない。
仕事をやめて、台所仕事を楽しめるようになったら、いつか、きっと。
黄色いやかん 詩_YOKO_la @yoko_t
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