第19話 蟹鍋は幸せな冬のファンファーレ
蟹をもらった。
ふたり暮らしにはちょうど良い小ぶりの蟹。
今年は蟹が豊漁らしく私たちにもおすそ分けが回ってきたのだ。
冷凍庫に鎮座すること2週間。
今年一番の冷え込みの夜、とうとう夫がこう言った。
「今夜は蟹鍋にしよう」
蟹も私も大喜び。
一緒に入れる具材は、白菜や春菊、長ネギ、焼豆腐、エノキやシメジ。
十字に切り込みを入れた椎茸や、細く切った人参。
蟹鍋にはくずきりも必須だ。
愛用の土鍋に黄金色の出汁スープを入れて火をつける。
銀色に鈍く光るステンレスのキッチン台の上には
鍋へ投入されるのを待つ具材たちが
白い大皿の上にお行儀よく並んでいる。
まずは、味がよくしみるようにそぎ切りにした白菜。
スーパーで買うときにはカットされたものを買うが
本日はいただき物の丸ごと一個の白菜。
もちろん一度に食べるのは無理なので
新聞紙にくるんで暗冷所に立てて保管する。
生えているときと同じ向きで保存するのが長持ちさせる秘訣だ。
次に使うときには、外から順に葉を外して使う。
サイズが小さくなったら、冷蔵庫の野菜室へお招きして最後まで食べきる。
次は斜めに切った長ネギ。
加熱すると、とろりとやわらかい口当たりになって甘みを感じるところが好きだ。
蟹鍋には蟹の臭味取りに必須の野菜だ。どうしてもこれは外せない。
そして、えのきやしめじを食べやすい大きさにばらし、
十字の切り込みを入れた椎茸に更に包丁を入れて花の切り込みにする。
細切りの人参を入れると、ぱっと土鍋の中が華やぐ。
タイミングを見ながらくずきり、焼豆腐を入れていく。
鍋の具材がにぎやかだと心が躍る。
それはかつてバブル真っただ中の忘年会などで
贅沢な鍋を食べた、古い記憶がなせる業なのかもしれない。
いい塩梅になったところで下処理済の蟹を入れる。
立ち上る湯気の中に赤い蟹の色が美しく、思わず笑顔になる。
おっと、追加で油揚げも入れる。スープを吸って、抜群においしいのだ。
リビングのテーブルに置いたカセットコンロへ土鍋を移して
最後にひと煮立ちさせて火を消す。
ふたを開けると、ふわっと白い湯気が立ち上り、その向こうに赤い蟹。
私たちは無言になって蟹を食べた。
蟹の脚から中身をするっと取り出してはにやり、口に入れてにやり。飲み込んでまたにやり。
ついつい、ほほが緩む。やがて落ちてしまいそう。
いつものハイボールも格別においしい。
蟹鍋は蟹が旨いのはもちろんのこと、鍋の中の野菜ももれなく美味である。
甲羅の蟹肉と(火)に味噌を味わったら、締めがまた、メインと同じくらいに楽しみ。
夫は無言で立ち上がり、ごはんと卵、冷凍の刻み葱をもって来て締めの雑炊を作り始めた。
この人はいわゆる鍋奉行なので、任せておけば間違いなし。
菜箸とお玉が土鍋の中でくるくると舞い踊り、とろりねっとり輝く卵雑炊が作られていく。
それを待つ時間もまたいいものだ。
やがて、卓上コンロの火をカチッと消す音がして、夫が満足げに「出来たよ」と言った。
土鍋の中には卵と葱の雑炊がつやつやと輝いていた。
夫は私のとりわけ皿にお玉でひとつ、雑炊を入れてくれた。
木製のスプーンでひとさじ、すくって食べると、これがまた優しい旨味と甘さで頭がくらくらする。
これは雑炊の旨さのせいなのか、ちょっと濃いめのハイボールのせいなのか。
はたまた一週間の疲れのせいなのか。
いわゆるそれらの相乗効果というべきか。
津波のように押し寄せてくる満腹感と眠気。これ以上の幸福があるだろうか。
私はソファの上でうとうととした。
最高に幸せだ、蟹よありがとう。
蟹を食べるなどという贅沢で始まった冬。
しかもいただき物という幸運。
これはいい冬になるに違いない、と確信した夜だった。
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