第2話

「今日は、奥さまずいぶんウキウキなさっていた。一番良い訪問着を着て、ほら藤色の」

「旦那さまの賞与が出たから、三越までお買い物かな」

「そうみたいよ、帯留めちゃんが言ってた。真珠が三つ横に並んだ可愛い子。いいなあ、彼女は人間にくっついて、外に出られるものね。私達が外に出られるのなんか、引っ越しのときくらいじゃない?」

「帯留めちゃん?あの子も『話せる』んだ?へえ…この家には、君と僕以外、『話せる』物なんて存在しないと思ってた。危ないあぶない、帯留めちゃんの悪口を言わないでおいて、良かった」

「ふふふ、ひょっとして、他にも『話せる』のに話せないふりをしてるのもいるかもよ、ご用心、ご用心」

「三越の後は、資生堂のパーラーでお食事だね、きっと。僕はご飯茶碗だから、洋食の味をよく知らないんだよね。資生堂ならカレーライスとか、オムライスとか。で、食後にアイスクリームかな」

「洋食ねえ、体験してみたい。唾が沸いてきちゃった」


「…聞こえる?」

「うん、聞こえる、きこえる!」

「ずいぶん元気がいい産声ね。初産だから心配したけど。奥様もご無事で良かった…本当によかった」

「男の子かな、女の子かな」

「どちらがいい?」

「そりゃ神様仏様の思し召しだから…でも、女の子がいいなあ」

「どうして?」

「僕たちを大事に扱ってくれそうな気がする。男の子は乱暴ですぐに物を壊してしまうからね。このうちのお清さんは、うつわでも何でも、丁寧に扱ってくれるから安心だけど」

「あら、偏見ね。乱暴な女の子もたくさんいますよ」

「ほらほら、旦那さまがこちらに来たよ。やっぱり嬉しそうだね、虎造とらぞうの『石松三十石船いしまつさんじゅっこくぶね』と、ハイネの詩を口ずさんでる。あの二つが出るということは、上機嫌の頂点にいるという証拠だよ。あ、産婆さんの声が聞こえる。『やはり一姫二太郎いちひめにたろうがよござんすよ、この度はまことにおめでとうございます』だって。てことは、女の子かな」

「旦那さまと奥さま、どちらに似ても可愛くなるでしょうね」

「ふふふ、そのうち小さな茶碗が一つ増える」

「お箸もね。早く赤ちゃんの顔が見たい」


「カン、カンと羽子板の音がする」

「いかにもお正月らしいねえ。もっとも、この時期はお重やよそ行きの塗り盆が大活躍だから、僕達は暇になるけれども」

「旦那さま方は、初詣はどこまで行かれたのかしら?」

「冷え込んでいるけどお天気も良いし、浅草さまも、湯島さまも大賑わいだよね、きっと。お子さんがお小さいから、混雑を避けてどこか近くの神社にいらしているのかも」

「ふああ…それにしても、こんなに体を休めているなんて、一年にこの時期くらいなものよ、私達も」

「お屠蘇とそに門松、お年玉に鏡餅…平和だなあ。『蝸牛かたつむり枝に這ひ、神、そらに知ろしめす、すべて世は事もなし』っていうのはこういうことを言うんだろうな」

「なに、その蝸牛何とかって?」

「ロバアト・ブラウニングの詩だよ。訳した上田敏の『海潮音かいちょうおん』は、旦那さまの愛読書でね。知ってる?奥さまと知り合われたのも、この詩がきっかけなんだよ」

「あら、そうなの。いいわね、特に『すべて世は事もなし』って句が。このお家もこのままそうであってほしい。私達は初詣にこそ行けないけれど、せめて新しくお迎えしたかまどの神様にお祈りすることにしましょう」

「おっと、竈の神さまも、いまはガスの神さまだよ。ふふふ」

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