魔方陣 ~引越の準備

引越の二日前、三月だというのに夜半から雪が舞っている。

シルバー人材センターの白河さんは、使いなれた道具一式をつめた紙袋をひっ下げて、伸びるジーンズに腕カバーというヤル気満まんのスタイルでやってきた。


「まあ、なんて天気でしょ。今日がお引っ越しの日でなくて、よかったわねえ」

「散らかっててすみません。あさってが引っ越しなもんで」

荷造りのために散らかしたような顔をして、いちおう心の準備を促してから上がってもらう。


「明日の昼前に大家さんが見にくるまでに、部屋を片付けたいのでよろしくお願いします」

正直に話したら、

「なるほど。これでは、見てもらう場所がないものね」

とニヤニヤしながらつっこまれてしまった。

これでも一昨日と昨日で、見られたら恥ずかしそうなものだけは減らしたんだけどな。


「私もいっしょにしますから」

どぎまぎしながら応じたのだけど、私と部屋とを疑わしそうに見比べて、

「2時間で?」

そうなのか、セミプロでももっとかかるんだ。

手伝ってさえもらえば、百人力と思ってたんだけど‥。


白河さんの顔が、左から右へゆっくりと巡っていき、約45度ごとにシャッターを切るようにまばたきする。

一回転して見渡しおわると、白河さんは大きくうなずいてふり返った。

「片付け‥いえ、荷造りは慣れてらっしゃいますか」

「いえ‥」

答える声がだんだん低くなってしまう。


「片付けないと掃除はできませんが、今日片付けたものを、明日また出して荷造りするのは、二重手間ですよね。段ボールの中に片付けていけば、そのまま荷造りにもなりますが、いかがでしょうか」

一石二鳥の提案だ。

「それでお願いします!」

にわかにゴミの部屋が明るくなった気がした。


「では、分担を決めましょうか」

白河さんは持参の紙袋から、大判の先月のカレンダー一枚とBの鉛筆を取りだした。

なんでそんなものを持っているんだろう、という疑問にはお構いなく、カレンダーの裏に作業を書きだし、横に二人のイニシャルを入れていく。

私を表すMには丸がついた。


《今日》

①ゴミ:分別S →ゴミ袋に詰めるM →ゴミ置き場へ運ぶM

②服・靴:分別M →箱詰め(間に小物・食器・調理器具)M

③本:分別M →箱詰めM →リサイクル業者

④食品:分別S →箱詰めS

⑤文房具・書類:分別M →箱詰めM

⑥掃除:S


《当日》

⑦カーテン・布団:布団袋に詰めるM

⑧生鮮食料:紙袋に詰めるM


なんだか菊池メモを思いだすけど・・

「ご了解いただけますでしょうか」

「りょ、りょうかい」

「では、スタート!」

‥この人は口も達者だ。


ゴミ捨てと掃除をしてもらう脇で、自分は荷造りをするイメージを抱いていたのだけど、有無をいわさず計画表に組みこまれている。

でも考えてみれば、私の担当のゴミ出しだって、普段に済ましているべき家事なんだから、文句をいう筋合いではない。


本だって、他人が側にいれば、読みふけるのはさすがに気が引ける。

古本を選りわけておけば、今夜CDを引きとりに来てくれる業者にいっしょに渡せるというもの。

ゴールとまではいえないけど、折り返し地点ぐらいまでは、私にも見通せた気がした。


私が中途半端に置きっぱなしていた、ビン・缶・ペットボトル・不燃ゴミ・燃えるゴミの袋の前に、それぞれの中身が続々と運ばれてくる。

私がそれを詰めて満杯になれば縛って、また新しい袋を広げる。

そうして、分別されたゴミの袋が次つぎに並んでいく。

三、四袋並んだところで、渦まく雪のなかを、一階のゴミ置き場にまで運びおろす。

どんどんはかどるから、コンクリートの階段にまで吹きこんでくる雪もなんのその。


賞味期限切れのカレーのレトルト、いつぞやのツナ缶、その他の缶詰も続々と発掘され、

「もったいない!」

を連発されながら、開封してトイレで水気だけ切り、燃えるゴミと缶の袋に分けられていく。

「セール品は賞味期限が短いんだから、まとめ買いしちゃだめですよ」

と諭され、一、二カ月ほど過ぎただけの品は、

「これくらいは毒じゃないから、引っ越すまでのご飯になさいね」

とミニテーブルに陳列された。


二つ開封してしまって両方使いかけになっていた酢は、片方に注いで一本にまとめられ、空ビンはゴミ袋に納まった。

こうして、予定の二時間をオーバーし昼過ぎまでかかったけれど、計21袋をゴミ置き場へ運びおろすことができた。


「さすがに、手早くていらっしゃいますね」

と感心すると、

「若いころは、介護保険のほうで、お年寄りのお宅のお手伝いしてたんだけど、やっぱりこんな感じなの。きれい好きだった人でも、最後はみーんなこう」

と白河さんは笑った。


「うちの母もまさにそれでした」

「あら、お若そうなのに」

「若年性認知症で‥。もっと早くに治療をはじめていれば、進行を遅らせられたらしいんですけど」

「そうなの。利用者さんの状態によってはね、こうやってカレンダーの裏によく書いたものなのよ。いっしょにしてもらうことが作業療法の代わりにもなるでしょ。シルバー人材のほうでは普通はやらないんだけど、南さんは一緒にやるっておっしゃったのでね。久しぶりなもんで、私もついはりきってしまったわ」


うん、実地で教えてもらいながら共同作業でやるって、いいような気がする。

もしかして、白河さんに当たったのって、すごい幸運だったのかも。

母の場合は、近所の人びとの心配が公の支援につながり、私たち家族に届くまでに何年もかかってしまった。

そして、どうしようもなくなるまで、母は一人ぼっちで老いていったのだ。


「やっぱり、肝心の掃除までは行きつかなかったわねえ。予約外だけど、なんなら午後からもう一回来てもいいですよ。どうなさいます」

もちろん、願ったり叶ったりでとびついた。


午後からの箱詰めも二人ならはかどった。

白河さんは自分の仕事をこなしながらも、私の担当の文房具や本や服が見つかると、どんどん運んでくる。

私はその中から要るものを、段ボール箱に放りこんでいくだけ。

白河さんは段ボール箱をのぞき込んで、

「この隙間は・・」

と辺りを見回して、パズルのようにぴったりな小物をはめんでくれる。

衣類やタオルも、割れものや角のあるものを包みながら、いっしょに詰めていく。

母のような分類なんてしない方法もあることに、感動した。


「この際、服を減らしたいんですが、うまくいかないんです」

捨てられずに困っていた衣類についても、ついでにたずねてみた。

すると、

「サイズは」

「このシルエットはまだ流行ってる?」

と一つずつ聞かれ、ちゃくちゃくとより分けられていった。

私も一着ずつ質問されれば、○×を答えることができたし、処分するのを納得できた。


「これはおでかけ着としては色あせてるけど、自転車には乗りにくいし、ホームウェアにも向かない生地だわねえ。着られる機会思いつく?」

気に入っていたワンピースなので手に取って、

「んー、たぶん‥」

と答えたら、

「具体的にどこに行くとき」

と重ねて聞かれ、思いつかなかったら、

「ないのね」

と見破られた。

そこでやっと、自分でも見きりをつける気になり、えい!とばかりに、リサイクル用の紙袋に押しこんだ。


ようするに、私は一人ではあれこれ考えすぎて迷ってしまい、何がその服にとって致命的なのかを、見定められないのだった。

ふさわしい選定基準さえ示してもらえば、私にも判断することができた。

そうして、紙袋二つが一杯になり、

「知り合いのやってる慈善団体に寄付してもいいかしら?」

と聞かれた。

もちろん、予定外まで手伝ってもらったお礼がてら、持っていってもらうことにした。


「当日閉める」と書きなおされた段ボール箱には、残る二日間の最小限の食器や調味料、ティーバッグ、下着や洗面具などをまとめてくれた。

そんなこんなで予定時間を大巾に超えて、7時間5950円。

なんて安く済んだんだろう。

小銭が足りなかったら、端数の50円もいいと言ってくれた。

恐縮して頭を下げていると、

「うちの娘は三十過ぎても、まだ親元に寄生してるのに、南さんは一人で健気にがんばってるようだからね」

と言ってくれた。


「この床の色ムラは何万も取られるわよ。水性ニスでも買ってきて、自分で塗り直しておかないと」

と最後に忠告されたが、今からホームセンターまで自転車を走らせるには、もう夜が更けていた。

明日の朝一番でも間に合うかな。


それにしても、なんてすっきりしたんだろう。

有能な主婦ならやはり一日あれば片が付くものなのか。

それに比べて、私がおととい丸一日かけて疲労困ぱいしながら、まがりなりにも自力で処理できたのは、CDと洗濯とゴミ少々だけ。

今までさぼってたんじゃない。

できないんだ、とことん、真実、本当に。

‥けど、人の手助けがあれば、なんとか格好をつけられるともわかった。それは大収穫。


「帰るまえに、ちょっとおトイレ借りていいかしら」

「どうぞどうぞ」

というと、白河さんは、

「そういえば、トイレとお風呂は手つかずだったけど‥」

と浴室を開けてみて、うわ、と叫んだ。

しまった、こないだΩの上に放りこんだゴミその他もろもろ!


「見られたくないものが散らかってるかも」という恥ずかしさと、「あれを独りで全部処理できるのか」という焦りと、「排水口が詰まってたら幾ら弁償させられるかわからない」という不安が、脳内をかけめぐり正面衝突しあった。

今さら隠しようもないのに、あわてて駆けつけると、

「これ、なにかのおまじないなんですか」

白河さんがうす気味悪そうに、ふり返った。


‥もしも、はるか一万年前に噴火した出来たての富士の成層火山を、上空から鳥が見たとしたら、こんな感じだったろうか。

火口と見まがう排水口を中心にして、黒っぽい土のようなものが見事に盛られている。

そこで力つきたのか、周りには変化しそこねた雑多なゴミが、樹海代わりに散らかっている。


今の今まで親身だったのに、白河さんはその魔方陣もどきを見たとたん、

「じゃ、失礼します」

と用は足さずに静かに引きとっていった。

同情を誘っておいて引きずりこむ新手の宗教と、勘ちがいされたのかもしれない。

けれども、私のほうは勧誘どころか、挨拶を返すことさえできなかった。


‥この土はなんなんだ。Ωが作ったものなのか。

ほんとうに、あのゴミの山が変化したものなのか。


触ってみるとふかふかして、ちょうど腐葉土か堆肥のようだ。

排水口のなかをのぞいてみると、磨いたようになんの付着物もない。

とすると、Ωはやはり、地球温暖化か環境汚染かで進化した新種の菌だったのだろうか。

あるいは、一番信じられない推論だけど、嵐を呼ぶ使者のいうように、地球で共生または乗っ取りを図ろうとして果たせなかった、異星の生物だったのか。

そしてこれは、私の自家製堆肥の話に反応した、Ωの最後の作品なのか。


一人きりで謎の土を袋に詰めながら、堂々巡りとわかっていても、私は考えつづけずにはいられなかった。

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