一夜漬け ~初めの一手

残りの五日間は有給休暇を使って、引っ越し準備に専念することにした。

いざとなったら、試験だって一夜漬けは得意だった。

学校祭の準備だって、寝食忘れて驚異的な集中力を発揮した経験もある。

今まで片付けは苦手だと決めつけて、食わず嫌いのまま放っておいたのが、よけいいけなかったに違いない。


やるべきことは先月の作業療法で確かめて、なくさないよう携帯電話のメモに入れてきてある。

「付箋は落ちてなくなるんです」と訴えたら、「では、ホワイトボードがいいでしょう」とも教えてもらった。

ただ、引っ越し前に物をこれ以上増やしたくはないから・・


私はホワイトボード用マーカーを片手に、冷蔵庫の前に立った。

うん、これなら絶対なくならないし、物もゴミも増えない。

私は携帯電話を見ながら、引っ越しの段取りを、冷蔵庫の扉に直接書き写していった。


《4~3日前》

 ①ゴミ:分別→処分

 ②本・CD:分別→リサイクル・荷造り

 ③服・靴:分別→処分・荷造り

 ④台所道具・食品:分別→処分・荷造り


《2日前》

 ⑤清掃

 ⑥手続き等:公共料金引き落とし変更・郵便物の転送・引っ越し代用意


《前日》

 ⑦家賃・保証金:大家チェック後に精算(昼前)

 ①~⑥でやり残したこと


《引っ越し当日》

 ⑧下着・洗面道具・食器等:荷造り

 ⑨布団・カーテン:布団袋に

 ⑩冷蔵庫の生鮮品:ポリ袋+紙袋に(手荷物)

 ⑪支払い:引っ越し代


前日は予備として空けてあるなんて、先生もニクいじゃない。

さて、つまり今日は、①ゴミを捨てて、②~④を種類別に段ボールに詰めればいいだけでしょ。

(いちいち「分別」から始まるのがちょっと気になるけど。)

なにはともあれ、積もった玉ネギの皮と付箋の雪かきからいこう。


勇んで始めたら、まあ出てくる出てくる肌着や靴下が。

そこで、ベランダでホコリをはたいてからまとめて洗ったら、当分洗濯をしなくてもよくなった。

引っ越しでごたごたするあいだ、明日からは室内干ししなくていいなんて、幸先いいじゃない。


さてと、お次はいよいよゴミ山脈の分別ね。

自治体指定の可燃ゴミ・不燃ゴミ・ビン・缶・ペットボトルと専用ゴミ袋を並べたら、あとは地道に入れていくだけ。

ところが、一つ、一つと取りあげては、

「何ゴミかを判定すること」

「その行き先が、何番目の袋だったかを見極めて入れること」

この二つになぜかものすごく時間をくった。


いきなりテンションが下がり、十分もしたら、一つ取りあげるごとに、ため息やらあくびやらが出るほど疲労した。

だめだ、初日からこれでは‥。

お昼にはすこし早かったけど、気分転換に温かい弁当を買ってきて食べた。


気分がもち直したところで、苦手の「①ゴミ」は後回しにして、午後からはリサイクルで売れそうな「②本・CD」を優先することに作戦変更。

換金できるとなれば、モチベーションもあがるってこと。


手始めにゴミの山をきり崩して、引っ越し当時のままの本棚を発掘する。

そうそう、ここに来てすぐ、はりきって収納特集の雑誌を買ったんだっけ。

この本のとおりに、透明で中身が見える引きだし型のケースや、〈物を放りこめるカゴ+カゴを放りこめる棚〉も揃えたんだけど、そのぶん床面積が減っただけだったなあ。


あ、高校の卒業アルバムだ。

実家に置いていこうとしたら、母に引っ越し荷物に無理やり突っこまれたんだっけ。

開くと子どもの顔をした私がいる。

皆の顔も、頭のなかでは自分の実年齢に合わせて修正してしまうのか、思っていたより子ども子どもしてるね。

‥なんて見はじめるものだから、いっこうに進まない。

いかんいかん、本じゃなくて、中身の見えないCDに、再び作戦変更。


CDは内容に気をとられることもなく、飽きたアーティストはぽんぽん選りだして、まだ聴くものは段ボールに詰めて、夕方までに片がついた。

リサイクル業者に、引きとりに来てもらうよう電話もかけた。作戦成功。


冷蔵庫の「CD」の文字を、そこらに転がっていたティッシュで拭きとって消す。片がついた勢いで、ティッシュも丸めてゴミ箱めがけて投げた。

‥が、はずれ。

2メートルと離れていないゴミ箱が、私にはいつも十光年の彼方だ。

今さらゴミを増やしてどうする。

いつもなら、ついでの時に‥と放っておくところだけど、今日は歩いていって拾い、ちゃんとゴミ箱に入れ直したぞ。

このぶんなら、荷造りはうまくいきそうじゃない?


たしか母は段ボール箱のふたに、中身をフェルトペンで明記してたよね。

それに習って、引っ越し業者の置いていった8箱に、②~④を「CD」「本」「服」「文房具・小物」「台所道具」と分けて書いてみる。

残り3箱は予備ね。


けれども、このあとはCDほど思い通りにいかなかった。

敗因は、5箱に分けるべきものが、あちこちに散らばっていることだった。

一つ取りあげては、所定の箱まで運び、またその先で別のを拾って、次の箱へ。

詰めおわったはずのCDも、後から後から出てきた。

移動している時間ばかり多く、どう考えても昔みた母の荷造りと、今の私の動線とはまるで似ていない。


思えば、ここへ越してきたときは楽だった。

荷造りについては、細ごました所帯道具は実家の余り物を、母が詰めてくれた。

私はといえば、不要のものは実家の部屋に置きっぱなしで、好きな衣類と文房具を詰めただけ。

荷ほどきもその逆で、台所や洗面所のものは、母が引出や収納棚に入れておいてくれた。

大物の電化製品と家具は新品が届くたびに、私は印鑑を押して、セットする場所を指示しただけだった。


全体量だって、当時よりかなり増えている。

流行りの服、買いたした食器、安売りで買った洗剤や調味料や歯ブラシのストック。

あのころより明らかに条件が難しくなっている。


さらに、ゴミの山をよけてみて、困った事実を発見してしまった。

カビ対策は、生ゴミさえ捨てればいいんだろうとたかをくくっていたのに、どうやら綿ぼこりにも生えるものだったようだ。

歯ブラシで力任せにこすっても取れないので、カビとり剤を買ってきて磨いてみた。

そしたら、フローリングの塗料の色まではげて回復不能になってしまい、ついに弁償確実になってしまった。

その白っぽいムラが目につくたびに士気がどっと下がるので、他が終わるまで、再び山をよせて隠しておくことにする。


そうこうしているうちに、いつもの風呂タイムを知らせる携帯アラームが鳴り、夕食の時間がとっくに過ぎていることに気づいた。

私は改めて部屋を見回した。

たかが五つずつの段ボールとゴミ袋のあいだを一日中うろうろして、どれひとつ口を閉められるほど満杯にならないって、いったいどういうことなんだろう。

母のを見ていたかぎりでは、数時間もあれば済む軽作業にみえたのに。

今日私がくたくたになるまでしたことって、つまり洗濯とCDとよけいな床磨きだけ?

なにかがおかしい。


ぼんやりと、小学生のころ、初めて行ったゲームセンターでやったモグラ叩きが浮かんだ。

本気だして残らず叩いたはずなのに、ことごとくワンテンポ遅かったらしく0点だった。

他の子らは途中で見逃して「えー?!」とか言ってたし、私はもれなく叩いた自覚だけはあったから、よもや自分が最下位だとは思わなかった。

「0点て初めて見たー」

と皆が爆笑した。

意外、と言ってくれる子はいなかったから、皆には私の動作のずれが見えていたんだろう。


思えばあれが、私の空回り人生の記憶第一号だったな。

全力を出しきったことで、自分の実力がはっきり見えてしまったのだ。

荷造りも単純計算すれば、残り全部を3日間ではとても詰められそうにない。

これじゃ時間ぎれを待つばかりだ。しだいに焦りがつのってきた。


こういうとき、菊池さんのマニュアルのありがたさがわかるなあ。

あれは、現場の業務内容と私の様子との両方がわかっているから、適切に書けたんだなあ。

通院での作業療法だと、望む形と自分の実態とをうまく伝えきれなくて、どこかしらピントがずれてしまうことが多い。

宿題を報告しては修正を重ね、正解にたどり着くまでに何回もかかってしまう。


このところ仕事も家事も余暇も、なんだか八歩ふさがりになってきてる。

鷹揚な店長、太っ腹の谷沢さん、フォロー上手の菊池さん。

こんなに上司に恵まれてたのに、私は使える人材に成長できなかった。

次の職場には、こんなに面倒見のいい先輩なんているだろうか。

一つ目の会社みたいだったら、どうしたらいいんだろう。


腹のあたりでくすぶっていた焦りと苛々が、すっと抜け落ち、代わりに冷たいものが背をおおった。

それって八方ふさがりどころか、万事休す‥じゃない。


そういえば、菊池さんの息子さんは、事故の後遺症というところをみると、頭にケガしたか、一時的に仮死状態にでもなっちゃったのかな。

中途からだと本人もよけいに苛いらしそう。周りもどう接していいか難しいんだろうなあ。

聞いてみてもいいものだろうか。


といっても、「こみいった話は、電話でするのが礼儀」なんて私が無理だし、向こうも答えたくない場合には気まずいかもしれないよね。

メールでお礼がてらに軽く聞いてみたらどうだろう。

私はパソコンを開くと、言葉に迷って書いたり消したりをさんざんくり返しながら、打ってみた。


「件名:ハーブティお礼

 菊 池 様

昨日はお餞別を頂きありがとうございます。引越祝いに飲もうと今から楽しみです。

ところで、お気づきだったかもしれませんが、私はじつは注意欠如・多動症をもっています。

三年間なんとかやってこられたのも、菊池さんはじめ皆様のご指導のおかげと、心から感謝しております。

家事も苦手なので、今も引っ越し準備に悪戦苦闘中です。

息子さんが似たタイプとおっしゃっていましたが、お仕事とか家事とかどうされてるのでしょうか。

もし、さし支えないようでしたら、どんな工夫をされているのか、教えていただければ助かるのですが。

どうぞよろしくお願いいたします。

 南 柚香」


あんまりついでって感じにならないなあ。やっぱり、だしぬけにこんな話じゃびっくりするかなあ。

読み返して、しばらく悩んだ末に消去した。

‥けど、もう会わない人なんだから、気を悪くさせて合わせる顔がなくなるってことはないんだし。

このままじゃ引っ越しプロジェクトに勝ち目はない。オセロの白コマ、思いきって一発打ってみるか。

もしも失礼だったらごめんなさい!

私はメールをゴミ箱から復活させて、送信ボタンを押した。


押してしまってから、今は夜中であることを思いだした。

たしか菊池さん、お里のお母さんの具合が悪いから、携帯を枕元において寝てるって言ってた。

うわ、退職したっていうのに、さらに追い討ちで迷惑かけちゃったよ。

律儀にすぐ返信するタイプだったらどうしよう‥とおろおろしていたら、本当に十五分もせずに返事が入った。

わ、長! ていうか、菊池さんってプライベートな話も見出し付き‥


「件名 Re:ハーブティお礼

今まで長い間お疲れ様でした。

うちは中途障害で、高次脳機能障害があります。

全くできなくなったことがあるほか、なんとかできる補助的な仕事でも、時間がかかったりミスが増え、疲れ方もひどくなっています。


◎本社での手続き

すでに勤めていた会社は大企業なので、障害者雇用の法定雇用率が決められており、補助金もあるそうです。

障害者手帳を取って、本社で障害者枠での採用に変えてもらう手続きはスムーズでした。

深夜の帰宅途上の労災だったせいもあるかもしれません。

障害者枠でなければ、今の能力ではクビになりかねないので、ありがたいです。

障害者雇用のサイトや面接会での募集は、身体障害が中心らしいので、この点は恵まれていました。


◎外部からの支援

支店長との話し合いには、近くの障害者就業・生活支援センターの方が立ち会って、障害の特徴などを説明し、障害者雇用についてマンガで解説したパンフレットもくださいました。

おかげ様で、外回りの営業ははずしてもらえることになりました。

復職するときは短時間から始めて、初日はジョブコーチの方が付いてくださって、本人にアドバイスも頂きました。


◎支店での対応

ただ、障害についての情報も、入れ替わりの多い社員やパートにまではいきわたらないし、例を幾つか読んだだけで、なかなか応用できるものでもありません。

しかも、今どきの現場はぎりぎりの人手で回していますので、一手間かけて苦手なことに配慮してくださるゆとりがないのが現状です。

そのため、後輩だった人からも叱責されたり、理解してもらおうとすると障害を言い訳にしているようにとられたりもしました。


◎今後の展望

今は抗うつ薬も飲みながら働きつづけています。

けれども、もしも病状が悪化するようなら、休職することになるかもしれません。

いっそ、失業手当をもらいながら、障害者職業センターか就労移行支援事業所で、業務ごとの得手不得手を洗い直し、もっとシンプルな仕事を探してみようかとも考えます。

元の姿を知られていない環境で出直すほうがいいのか、とはいえ、なじみも募集の当てもない分野にとびこむふんぎりもつかず、迷うところです。

精神障害も対応法がいきわたれば、もっと採用も増えると思うのですが。


◎家事

同居なので、現在は親がしています。

いずれ親ができなくなったら、高齢者用と障害者用のホームヘルプサービスを併用するつもりです。

他にも、福祉団体がしているサービスは、民間企業より割り安です。

親がいなくなったときはグループホームに入れるように貯金しています。

収入が減ったので、障害者手帳で税金が少し安くなるのは助かります。

(ホームヘルプやグループホームは、障害福祉サービス受給者証がいります。)


南さんの場合とは事情が違うとは思いますが、何かのご参考になれば幸いです。

では、どうぞお元気でね‥」


そうか‥だから、温泉旅行の話にものらずに、パートがんばってるんだ。

これだけの内容がすぐ返ってきたってことは、まえに他の人にも送ったもののコピーなのかな。


ふうん‥他人はできないなりに、人様の力も借りてやってるのか。

ひょっとして、治療や工夫でなんとか自力でできるようになろうと、思いこまなくてもよかったのかな。

もちろん、努力してみなきゃ自分の能力も見きわめられないけど、今まで無駄なあがきもずいぶんしたような。


家事代行も、なるほど福祉サービスならすこし安いのね。

でも、利用するには障害福祉サービスの受給者証ってものがいるのか。

障害者手帳とはまた別なんだ。

ははあ、なんとか治すつもりでいた母は、これに抵抗があって話題にもしなかったんだな。

でも、これが私の初期設定なんだもん。背に腹は替えられないじゃない?


ひとまず、受給者証なしで使えそうな家事サービスを検索してみると、社会福祉協議会がやっているシルバー人材センターの掃除サービスが見つかった。

民間企業よりはずっと安い。さっそく、850円×2時間分だけネットで予約メールを入れてみた。これは夜中に送信しても構わないと。

すると、すぐ着信音が鳴ったので、予約の受信確認メールかと思ったら、


「件名 追伸

ローズマリーは乾燥に強く、ベランダでも育てやすいですよ。

大きくなるので日よけになりますし、じゃまなら切りつめてもOKです。

肉や魚、じゃが芋、ピクルス、パンやクッキーなど、いろんなものに合います。

ティーは頭痛や咳に効きますよ(^^)v」


へ、顔文字だって。菊池さんってハーブの話となると別人みたい‥。

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