暗黒物質 ~通院日に想う

七時前にやる気満々で勝手に目が覚める日は、高気圧。

逆に、気づいたら九時過ぎてしまっているのは、低気圧。

だから今日は、きっと午後からは天気が崩れる。

‥これって気象予報士にでも活かせないもんでしょうかね。


長く寝た日はやたらにリアルな夢を見つづけて、起きる前からすでに疲れてしまっている。

つけっぱなしになっていた蛍光灯のリモコンが見あたらないので、長く下げたヒモを足の指で引っぱって消す。

はずみでヒモが跳ねて、小さな音が部屋にひびく。


立ちくらみを起こさないように、足を先にベッド脇にたらしておいてから、ゆっくり立ちあがろうとしたけれど、膝がなえてまた座ってしまった。

こういう日は、下半身を締めつける弾性ストッキングをはくと血圧が上がっていい、と教わったけど、どこへいったやら。


とりあえず、脳の血圧を保つため、重だるい上半身を折りまげたままスタートして、中腰で動きまわる。

休日に洗濯だけはしておかなければとシーツを洗い、降りはじめる前になんとか乾かそうと外に干した。

けれど、木枯らしで竿にぐるぐる巻きになるので、何回もベランダに出てほどく羽目になる。


プランターでは食べ尽くしたシソが、干ばつ地帯のトウモロコシみたいに立ち枯れたまま、土がひび割れている。

じっと見ていると縮尺の感覚が狂って、横で腹を上にして転がってるセミの死骸が、恐竜みたいに見えてくる。


しゃんとしないと‥。

今日は月一回、通院のついでに治験薬を取りにいく日だ。

それなのに、どうして薬がまだこんな大量に余っているんだろう。

周りに散らばっている1回4錠に切りわけた薬のシートを見てみると、1~3錠を飲み残しているのもある。


まったく、これじゃ薬を忘れないための薬が要る。

ちゃんと飲んでいないのがばれでもしたら、「これでは治験にならない」と協力費を没収されそうだ。

忘れっぽい人のための薬なんだから、月一本の注射で済むような新薬はできないもんなのか。


でも、被験者の半分は比較のための偽薬かもしれない。

だから、こんなに効いてないってことは、私は片栗粉かなんかの入ったカプセルを飲んでいるのかな。

まあ、それならそれで副作用の心配もないからいいんだけど。


午後からは案の定、吹き降りになった。

ストールが巻き上げられては顔にはりつき、口紅の型があちこちについてしまう。

ただの病気の通院だったら、悪化しかねないと引き返しているところだ。


三回乗り換えて、片道一時間半。

ようやく病院に着くと、毎回、体調を問診票に記入し、血液検査や尿検査、心電図といった健康診断みたいなことをする。

副作用や適正な薬の量をチェックするためだそうだ。


面白いのは脳の血流の検査だ。

これは、コードがたくさんついたヘッドギアをかぶって、ボタンを押す簡単なゲームをする。

いかにも実験という感じなので、ちょっとわくわくする。

ADHD(注意欠如・多動症)は右脳の前と上の部分の働きが弱いそうで、それが改善するかどうかを調べるらしい。


つぎに、月替わりで心理検査や知能検査をする。

知能検査は四つの分野のIQの差をみる。

誰でも得意不得意はあるものだけど、あまりに差が大きいと脳の活動のバランスが取れず、処理スピードが極端に落ちるのだそうだ。

パソコンにワーキングメモリー以上の仕事をさせようとすると、一時停止したりフリーズしてしまったりする、あんな感じらしい。

この知能検査もパズル感覚でできるから、それほど苦ではない。


めんどうなのは心理検査だ。

当てはまる症状について、数段階にくぎられたバーに○をつけるのだけど、毎度質問が大量に並んでいて、似たような内容に何回も○をつけていると飽きてくる。

しかも、そのたびに自分の出来なさ加減を意識させられるので、いちいち段階を考えるのもげんなりしてくる。


「疲れましたか。ゆっくりでいいですよ」

うっかり生あくびをしていたら、臨床心理士さんがねぎらってくれた。

合計点数がどう変わるかで薬効や逆効果をみるというが、これは不注意、これは多動、これは衝動性の質問項目とわかってしまう。

回を重ねるごとに、偽ろうと思えば偽れる気がしてきてしょうがない。


最後が、医師による問診だ。

質問が判で押したようにシンプルなのは、誘導や精神療法的効果を避けるためだろうか。

「この一カ月で、何か環境の変化はありましたか」

「いえ、なにも」

「何か薬の効果を感じられることはありましたか」

「いえ、とくに」

「何か副作用を疑うようなことはありましたか」

「いえ、べつに」

答える方もそっけないほどシンプル。


退屈だったから逆に質問してみた。

「あの心理検査って、自己申告だと嘘ついたりする人はいないんでしょうか」

「同様の内容を別の言葉や角度でたずねていますので、矛盾があると点数化されるようになっています。ある点数以上になると信頼性が低いということになりますね」

なるほど、それで同じようなことを何回も聞かれるのか。

良くみせたいとか悪くみせたいとか思うと引っかかるという寸法ね。


でも、俳優みたいにその人格になりきって矛盾なく嘘をつければ、クリアできないのかな。

ばれますよと脅されるとプレッシャーにはなるけど、逆に欺いてやろうと燃えてくるような‥。

いろいろ疑問は尽きないが、ぬれた足首が気色悪くて、それ以上は余計なことを追求する気が失せた。


そのあとは、個人的に作業療法にもまわる。

作業療法士には、生活上の困りごとをいつも相談する。

すると、なにかしらヒントをくれて、その場で練習したりもする。

今日は薬の飲み忘れについて相談した。


「言われた通り、1回分ずつに切り分けて、ひと月分のポケットが並んだ壁かけに入れてあるんです。でも、毎日錠剤を飲むのって単調なくり返しなんで、今日だったか昨日だったのか、すぐあやふやになるんです。今日は飲んだつもりでいたら、次の日飲もうとしたときに、じつは前の日は飲んでいなかったとわかったり‥。逆に、飲んでないような気がしても、二重になるのが怖くて、飲めなかったこともありますし」


「そうでしたか。今回は食後の薬だから、食卓に置けるよう箱形のピルケースのほうが目に付くかもしれませんね。下の売店にも売ってますよ」

さっそく、手作りのファイル帳を取りだして、実物の写真を見せてくれる。

熱心な先生に当たってありがたいのだけど、なんか、家中がADHD御用達の便利グッズだらけになってきたような‥


「で、ここからが肝心なんですけど、曜日は確認できてますか」

「それが‥飲み忘れるたびにどんどんずれてしまって、一番上に書いてある曜日は、もう無視してるっていうか‥」

おずおずと白状すると、

「一カ月単位で考えると大変ですよね。じゃ、曜日が一目で分かるようにしましょうか」


次に見せてくれた写真では、さっきのピルケースのマスの底すべてに、曜日を書いたシールが貼ってあった。

「あぁあ!」

そう言ってから、私は三回うなづいた。

今日の曜日が見えている=今日はもう飲んだってことね。

そうか、この種の品って、あくまで週単位で使うものだったのか。


‥でも、まるで思い出しもしなかった日は、どうしたらいいんだろう。

私の顔が再びくもったのを読んだように、先生がつけ加えた。

「次の日になってから飲み忘れに気づいたときは、曜日がずれないように、前の日の分は捨てちゃっていいです」

「え、いいんですか?!」

「取っておいても、余ってゴミになるだけですからねえ。まあ、ベストが無理だったときは、ベターってことで」

と先生はウィンクした。


そんなふうにしてもよかったんだ‥。隠さないで話してよかった。

きっと、他にも飲み忘れる人がいるんだろうな、とほっとしていたら、それも顔に出たらしく、

「ちゃんと飲まなくてもいい、とは言ってませんからね。あくまで、やっちゃった!っていうときの後始末ですから」

と真顔で念を押されてしまった。

プロは侮れない。


先生は、事務用の丸いシールと油性ペンを、机にのせた。

「では、ここに『日・月・火・水・木・金・土』と5枚ずつ書いてみましょうか。何色にします?」

私はカレンダーっぽく、日曜は赤、土曜は青、他は迷ったあげく目立つように黄色を選んだ。

35枚というと大儀そうに思えたが、一色済むたびに達成感があるので、なんとか書き終えた。


「おお、色分けすると、なお目立ちますね。では、ケースを買ったら、これを貼ってみてくださいね」

「はい、この足で買って帰ります!」

「廊下がぬれてますから、足元お気を付けて」

先生は笑顔で見送ってくれた。


・ ・ ・ ・ ・ ・


夕食後、作りたてのピルケースから薬を取りだして飲んだ。

「火」という黄色いシールも確認できた。うんうん、カレンダー風ポケットよりずっといい。

雨を押して出かけた甲斐があったというものだ。

そもそも、ピルケース+シールなんて方法があるなら、最初から教えてくれりゃいいものを。


あ、でも、壁かけポケットのほうでちゃんと飲める人もいるのかな。

‥ん、ひょっとしてこれも治験の評価項目のうち?

思えば、今までに工夫してうまくいったあれこれ、うまくいってないあれこれ、いろいろあったなあ。

そのどちらもが、様ざまに頭をよぎる。


たとえば、付箋を使う方法はこんなふうに教わった。

①用事は、目につく所に付箋で貼る

・家事(買い物・支払いなど)→ 冷蔵庫に

・用事(提出物・連絡・申し込み・予約)→ パソコンに

・期日の遅い用事 → トイレに座ったときの正面にも警告を

②済んだものははがす


これは枚数の少ないうちはうまくいった。

けど、うちのトイレはすでに、重なりあった大小いくつもの警告でパッチワーク状態。

英字新聞の壁紙模様といっしょで、一つ一つは日本語としての意味を訴えてこないくらいに、混みあっている。


あげくに、貼ったことで安心して先延ばしにしているうちに、安くて接着力の弱い付箋は自然落下するものが出てくる。

そうして玉ネギの皮といっしょになって、ジオラマの谷間に吹きだまる。

粘着力が強いタイプのも買ってみたが、高価な品は使うのをついついけちってしまう。


近頃は人並みの基準で「情けない」と感じるのに疲れて、どうでもよくなりつつあるのがやばい。

その「どうでもいい」が、晴れてると開き直りになり、曇ってるとあきらめに、雨だと投げやりに変わる。

小学生のころ、個人懇談から母が帰ってきて、つぶやいたことがあった。

「お天気屋さんです、って言われたわ」

今になってその正確な意味がわかる。


快晴の日の思い出が一つある。

大学最後の夏休みにサークルの仲間と、自然学習センターで宿泊キャンプをしたことがあった。

二日とも晴天に恵まれて、四年生は当日だけの参加だったけど、それだけにいつも以上にはりきっていた。


川で水遊びをし、他の女子メンバーが笹舟を教えて流したり、草笛を吹きあったりもした。

草ずもうでは、小杉君が一昔前の劇画にある意味不明の奇声をあれこれと発するので、元ネタを知らない子どもたちまで、彼に挑んでは様ざまに叫ばせておもしろがっていた。


夕食後は、雲一つない夜空のスターウォッチングをした。

その導入には私が考えた台本で、小杉君と二人でコントをやった。

アイスバーを食べたら、その棒で世界旅行が「当たり!」で、あちこち名所巡りをするうち疲れてへろへろになって、二人で頭をごっつんこしたら星が見え「宇宙旅行だー」という、たわいもない筋書きだった。

ごっつんこのところで、星にみたてた金平糖をバッとまいたら、子どもたちに大受けで、拾って食べたお茶目な子もいたっけ。


「さあ、星見にいくよー!」

小杉君のかけ声で駆けだした子どもたちのなかで、彼はふり返って笑いながら頭をなでた。

「いってー。まじで演じすぎた」

かがんで金平糖を拾っていた私も、笑いながら顔をしかめて頭をなでた。


「天の川がずーっと流れていってあの辺で滝になるだろ。しぶきが散ってる右に赤く光ってるのが、さそり座のアンタレス。温度が低いから赤く見える‥っていっても3千5百度な。青い星なんて1万度以上!」


私たちは、天の川をはさんで白く輝く七夕の二つの星をさがし、それから一番青く見える星、黄色く見える星の見つけっこをした。

どれが一番と子どもたちが競いあう脇で、小杉君は私にだけささやいた。

「でもさ、人類が識ってる物質って、宇宙のたった4%以下で、残りは科学者にも正体がわからないんだって」


聞いたとたん、地面が巨大な水風船に変わり、足下がゆらいだ。

よろめいた私の手を小杉君がつかまえてくれたけど、どうしたの?という小杉君の声は遠かった。

だいじょうぶ‥と小声で応えながら、私はバランスをとるのに必死だった。


小杉君は握っていた私の手を離すと、闇にまぎれて腰に回してきた。

いつもはしっとりなじむその腕が異物のようで、それを悟られまいと私は身を固くした。

すると、勘違いしたのか小杉君がくすっと笑い、横目で私を見ながら、人差し指を唇のまえに立てた。

そして、なに食わぬ顔で元の話に戻った。

「偉い学者さんと俺たちの知ってることの差なんて、たかだか4%以内だなんて、ゆかいだろ」


私はこわばった体のまま、強がってうなずいた。

けれど、ほんとうはとてつもなく心細かった。

残りの96%の暗黒の海に、自分が今にも漂いだしてしまいそうで‥

そして、4%の側に確かに立っているらしい小杉君が、胸が焦げつきそうにうらやましかった。


‥毎夜のバスタイムを知らせる携帯アラームが鳴り、とめどない想いから覚めた。

もう十一時か。

けたたましいバイクのモーター音のアラームを止めに立つ。

そうすることで、そのときまで熱中していたことから自然と抜けだし、夜更かしをせずに済んでいる。


日中、足元がぬれて冷えた体を温めようと、今夜は入浴剤代わりに料理酒を入れてみた。

湯が冷えないよう、浴槽のふたを三分の二は閉めたまま、そこをテーブル代わりにマグカップをのせる。

甘い香りのカミツレティを飲みながら、けっして甘くなさそうな自分の今後に思いをはせる。


歯磨きのコップを置くスペースもない、名ばかりの洗面台の下では、排水口にΩが巣くっている。

ろくに姿も見せないこんな相手でも、いれば独り言でも声にだしてみたくなる。

「あーぁ、歯みがきだって今は台所でしてるもんねえ。洗面台と風呂がセパレーツになった部屋に、いつかは住んでみたいなあ。それってぜいたくだと思う?」


「オォームゥ」

Ωの応答も心なしか沈んで聞こえる。

いい知恵の一つもくれるわけでなく、返事をするだけ。

それなのに、理解しているかどうかもわからない相手に話しかけてしまうのは、なぜだろう。


「今日はお花のお茶だよー」

あがるときに飲みのこしたハーブティをΩにあげると、つややかな表面に黒いさざ波が走る。

こんなことも日課になり、ただそれだけのことが慰めになっている。


そういえば、Ωが現れて以来、他人の料理のブログにコメントを書きこむのもご無沙汰している。

代わりに開くのはΩ仲間とのサイト。ちょっとΩ中毒かな。


「つい、Ωに話しかけてしまうんだけど、それらしい相づちを打ってくれます。話はわからなくても、犬みたいに感情は察知できるのかな」(風に舞う木の葉)

「絶対わかってるって! 鳴き声で感情表現だってするし。楽しい会話のときとグチのときと、鳴き声が違うもん(*^^*)」(ヌクラ☆らぶ)


「実益はないものの、心をイメージにして見せてくれますしね。意味がわからなくてもオウム返しする鳥みたいなものでしょうか。あ、だからΩか! 納得」(人呼んでリケジョ)

「Ωの立場からいえば、餌ほしさの芸とも考えられますけどねえ」(自称ジェントルマン)

どうやら種名はΩで広まっているようだ。


「下水管つながりのクセエ仲!! 愚痴り屋共のクサレ縁だな!」(嵐を呼ぶ使者)

「皆さん、無視しましょう」(自称ジェントルマン)

「犬や猫にだってみんな話しかけるじゃない。普通のペットと何か違う?」(ヌクラ☆らぶ)

「犬猫は実在の動物。オメエらのはドツボにのめり込むモーソー!!」(嵐を呼ぶ使者)

「皆さん、無視しましょう」(自称ジェントルマン)


「Ωは喋らないからいいんだと思うな。生半可なアドバイスとかくれる人って迷惑じゃね? オレのごく一部しか知らねえくせに、勝手に解釈すんなっつうの。Ωなら、自分でケリというかカタというかつけるまで、あれこれ言わず鏡になっててくれるじゃん」(その名も生ゴミ男)

「古人は、その代わりに日記をしたためたのであろうな」(黒主の主)

「自分の人生の落とし前は、自分でつけなきゃってことですかね」(自称ジェントルマン)


もの言わないΩにお相伴させて、私も勝手にむつまじい気分になってる。けど、本当のところ、私にとって無害・有害? 有益・無益? どっちなんだろう。

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