モザイク ~契約更新ならず
骨折した藤林君は一カ月半で復帰予定のため、欠けた人手の補充がないまま、歳末商戦に入ってしまった。
店長、谷沢さん、菊池さんは穴うめのため、十日ずつ連続勤務のくり返しで、さすがにとげとげしている。
「猫の手でも孫の手でもいいから、だれかボランティアを借りてきてくれんか」とは店長の弁。
菊池さんは、労働災害の初の申請にも手をさかれ、持ちかえり残業までしていた。
おまけに今日は、ビル全体のプレクリスマス・イベントだ。
専門店と食堂街の粗品付き割引券が配られたもので、朝から買う客、買わない客でごった返し、棚のあいだをすり抜けるのさえ時間をくう。
補充作業のとちゅうでお買い上げがあれば、そのたびにレジも打たなければならない。
作業の続きがどこからかわからなくなるので、目印にクリップをこっそり棚にはさんでおくことにする。
「これ、子どもが買ってくれたんだけど、気に入らないから返品できる?」
金色に染めた髪を逆だてて結った姉ちゃんが、明らかに一回以上使用した帽子を、包装袋と別々に手に持っている。
「はい。おそれいりますがレシートをお持ちでしょうか」
「だからあ、もらったんだって言ってるでしょ!」
「では、こちらへどうぞ」
こういう微妙な客は、店長に任せるにかぎる。
えーと、どこまで済ませたっけ。目立っちゃまずいと棚と同色のクリップにしたら、自分でもわかりゃしない。
見つける暇もなく、
「この形ので、こっちの色のないのかな」
「お日にちかかってもよろしければ、お取り寄せできますが」
「あ、ちっとも急がないわ」
「では、カタログで確認いたしますので、こちらへどうぞ」
うわー、時間かかる。
補充も済まないうちから崩されていく商品棚が、心残りなまま持ち場を離れる。
やっと戻ると、
「この万歩計70コ 、合同新年会の景品にするから、1月5日までに揃えられる?」
ひえぇ、大口の発注だ!
メーカーに電話するが、向こうも弱小メーカーで人手が足りてないのか、営業時間なのに誰も出ない。
万歩計なら、他に便利な機能がついた大手の製品もあるが、景品というからには予算がこの価格帯なのだろう。
「申し訳ございません。あいにくメーカーとつながりませんので、確認できしだい折りかえしお電話さしあげます。お手数ですが、ご連絡先を頂いてよろしいでしょうか」
用紙に記入してもらうあいだにも、菊池さんの「レジお願いします!」の声が飛ぶ。
菊池さんでもあんな大きな声だすんだ。この雑踏じゃ叫ばないと聞こえないものね。
レジで待つ客のほうへ、谷沢さんが棚と人のあいだを大柄な体で器用に泳いでいく。
さらに電話が鳴った。
私が取るしかないから取ったものの、ざわめきのなかでは何一つ聞きとれるはずもない。
何がなんだかいっさいわからないまま、
「少々お待ちくださいませ。ただいま担当の者と替わりますので」
強引に保留ボタンを押すと、レジについていた谷沢さんを拝んで、子機を手渡した。
もうムチャクチャだ。
棚に戻ろうと振り返ると、今度は待ち受けていた客二人に両側から、
「これお願いします」
とダブルで差し出された。
エエッ、どっちを優先すりゃいいのよ?!
作業も時間も受け答えも、つぎつぎに細切れにひきちぎられて、やっとのことで組みたててあったお仕事パズルのピースが、ちりぢりばらばらにとっ散らかってゆく‥‥
夕方、一階の広場で、ゆるキャラの着ぐるみのでる抽選会が始まると、店舗の混雑は一段落した。
明るくつくった声が、マイクで二階の専門店街まで響いてくる。
店長が、吹き抜けの柵越しに下の様子をのぞきこんで、大きく深呼吸した。
「やれやれ、峠は越したか。働きアリの巣をサービス券でつついてみたら、こっちがアリの這いでる隙もない混みようになっちゃってまあ。昼飯もろくに取れてないし、今のうちに休憩しよう。茶腹も一時はもつっていうから、順番にカロリーのある水分だけでも補給してきて」
「一人五分ずつにしましょう。あれが終わると、また来そうだし。私、先にトイレ行っていいかな」
さすがの谷沢さんも、月経中では疲れがみえる。
「ああ、冷やかしの鬼さんこちらが、また来ないうちにな。他の人もすこし手を抜いていいよ」
常日頃は「お客様は神様仏様」と拝んでいる店長が、今日は見るだけの迷惑千万な客の多さに、さすがにへきえきしたらしい。
それでも、菊池さんだけはカウンターでまだ書類をいじっている。
先輩にそうされると、こちらもさぼりにくい。
ギアだけローに落として、行方しれずの目印クリップを探してぶらぶら棚を見て歩くことにする。
売り上げが多い日は、正社員の人はボーナスに影響するとあって、忙しくてもそれなりにはりきっている。
でも、派遣社員の私にはなんの恩恵もない。
こんなときは直接雇用との待遇の差を感じてしまう。
それでも、この職場は家族的な雰囲気でいい。
前の職場では露骨な嫌がらせも受けたけど、ここでは人間関係のぎくしゃくだけはない。
多くは望まないから、こういうところで長く続けられたらいいんだけどな。
菊池さんが、手にした書類を持ってやってきた。
店長になにか確かめるのかとばかり思っていたら、私に話しかけてきた。
「これ、南さんの字ですよね。発注はもうかけてありますか」
「あ! 合同新年会の万歩計。申し訳ありません、一回電話したんですけどつながらなくて‥すぐかけます」
いつもなら手の平に書いておく「注」の文字を書き忘れている。
書いてないから、安心してそれっきりというパターン。
「‥もう、メーカーにつながらない時間帯だわねえ」
菊池さんは眉をひそめた。
多くの会社では表向きの営業時間を過ぎると、残業している者がいても、外線の電話は自動的に留守番電話になる。
私が唇をかむと、菊池さんはさらに指摘した。
「合同新年会の景品とすると、7コって少なくないですか。ひょっとして0が落ちてません?」
店長が発注用紙を手に取った。
「ふうん、合同の規模が分からんが、7じゃスズメの涙かカラスの鼻水ってとこだなあ」
明朝一番の発注の前に、顧客にも確認の電話をしなくてはいけなくなってしまった。
半泣きになっていると、トイレを済ませた谷沢さんが横からのぞき込んだ。
「ああ、この老人会ね、たしか去年も受けたな。700ってことはありえないから、たぶん70でまちがいないと思うけど‥。去年のを調べればわかるんじゃない」
菊池さんが身をひるがえし、パソコンでデータを呼びだす。
「はい、昨年12月12日付で、すみれが丘シルバー会、70コの注文入ってます。だとすると、年末年始をはさみますし、小さなメーカーだから数がそろわない可能性もあるんじゃないでしょうか」
「んー。大量注文、聞いて極楽、見て地獄ってね。あけて悔しい玉手箱になるかもしれんなあ」
店長が渋い顔をしていると、体調不良のうえにハードワークで、ご機嫌ななめの谷沢さんが言いきった。
「今日の夕方と明日の朝一番じゃ大差ないですよ。だいたい、ぎりぎりにこんな大量の注文してくるほうが悪い。もっと早くしろってのよね。言われたって、ないものはない!」
こういうときの谷沢さんは、店長にも口出しさせないオーラがある。
けれど、じつは発注忘れはこれが初めてじゃない。
店長はできた人だから、皆の前で言ったりはしないけど。
しょうがない、これが実力なんだもん、キャリアアップなんて期待してない。
なんとか食べてさえいければいいじゃない。
私ハ大丈夫、私ハ大丈夫、カイクグッテ生キノビルンダ‥
帰りがけに店長にお詫びがてらあいさつをすると、
「はいお疲れさま。今日は大変だったね。今年も残すところわずか、光陰は矢よりも盾よりも早かったねえ」
と笑顔で応え、ついでのように聞いてきた。
「そういえば南君、次の所はもう決まってるの?」
え、という顔でふり向くと、向こうもけげんな顔で返された。
「たしか、この年度末で、泣いても笑ってもこれが最後の契約満了だったよね」
‥かばってくれるからって、評価してくれてるってわけじゃない。
三年以上は同条件では更新できない決まりだし、直接雇用に変えてもらえると期待していたわけでもない。
でも、失敗をしでかした日に切りだされると、いかにも「使えない」と宣告されたみたいでこたえた。
学生時代にアルバイトで勤めた牛丼屋では、威勢の良さをほめられたから、販売の仕事は向いてると思いこんでいた。
けど、今から考えると、メニューが三つしかなく、カウンターでやりとりするだけだから、ボロが出なくて済んでただけみたい‥
卒業後、初めて勤めた前の会社は、小さな店だったけれど一応あこがれのブティックで、運がいいと思った。
けれど、他の店員はきれる女性ばかりで、より良い店舗に移りたいというライバル心むき出しで、テンポの遅い私はなじめなかった。
せめて得意なことで点数をかせごうと、休憩時間に、ラメのペンを駆使して高級感あふれるポップを作り、先輩たちに見せてみた。
そしたら、
「まあ、余裕ですこと! 書類記入の練習はもうよろしいのかしら」
と一年経ってもミスがなくならないことを皮肉られた。
きっと、新人が出すぎたまねをしたのも目障りだったんだろう。
それで目をつけられたのか、自腹で買う制服代わりの商品も、
「ご自分の体型に合わせて選べばいいのにね。それなら、お客様の欠点隠しの参考になるのに」
とか聞こえよがしに噂されるようになった。
二年で契約が切れたときは、経歴にだけは傷がつかずに円満に次に移れるとほっとしたものだ。
ここでも、とことん疎まれてしまうまえに辞めるのが、調度いいのかもしれない。
転職をくり返す、お手軽な私の人生。
そのたびに、給料もお手軽さが増していく。
そのぶん重すぎる責任はないけれども、せっかく覚えた仕事も一からやり直し‥。
・ ・ ・ ・ ・ ・
十一時過ぎ、風邪予防のため、濃いめの紅茶をマグカップになみなみとつぎ、蜂蜜もたっぷり混ぜた。
風呂につかりながら、その紅茶で何度もうがいをしては飲みこんだ。
今日は暖房で乾ききった空気のなかで一日中しゃべっていたせいか、喉がいがらっぽい。
きっとウィルスもたくさん吸ったはず。このうえ病欠までしないようにしなくちゃ。
膝から下は、むくんでぱんぱんだ。
ツボを順に押していくが、指が入らないほど硬くなっている。
ふくらはぎをストレッチしようと、爪先を手前に引っぱってみたら、ぎゃくにすねの前側がつりそうになって、あわてて放した。
「ふう、こんなティバッグの香料で匂いつけたアールグレイでなく、せめて本物のベルガモットを吹きつけた紅茶を飲める身分になりたいなあ。‥そんな夢くらいもっちゃいけないんだろうか、私」
「ボオォン」
昨日までは、私らしくて結構と満足していたのに、本物には一生ありつけそうにないと思ったら、急に香料が安物くさく鼻につく。
素直に順応すればいいものを、どういうあまのじゃくな嗅覚だろう。
腹だちまぎれに、敵をやっつけるように残りをいっきに飲みした。
なんか、ここんとこ手詰まりだよなあ‥。
少しでいいからオセロのコマをひっくり返すみたいに、形勢逆転できるいい策はないもんか。
ぼんやりと長湯をしているうちに、指がしわしわになってきた。
いい加減あがらなくちゃと思うが、お湯が冷えてしまっていて、ますます出られない。
こういうときに追い炊きできないのが困る。
いかん、このままじゃ本当に風邪をひいてしまう。
ぬれたまま出ると寒いので、浴槽に浸かったまま腕と上半身を拭き、立ちあがって股まで拭き、浴槽の縁に片足をかけて拭き、残りの足だけを出てから拭いて、急いで浴室から出ようとすると、
「ボオォォォン」
Ωが自分のほうから鳴くなんて初めてのことだ。
驚いて巣穴をのぞいたが、見かけは特に変わりはない。
なんだろう、お茶をあげなかったことは今までにもあるけど?
おお、寒。
目を離して出ていこうとすると、また、
「ボオォォォン」
呼びとめているんだろうか。
淋しげにも聞こえるけど、へこんでいる日には、あざけっているようにだって聞こえなくはない。
「お茶、みんな飲んじゃったよ。ほしいの?」
今度は鳴かない。
イエスだから黙っているのか、ノーだから無視しているのか。
排水口にいて水分は足りているはずだし、おなじく浴室に飼っているヌクラ☆らぶも、餌を与えたことはないと言っていた。
だから、私も実験で目玉焼きを与えた以外は、液体しかあげたことがない。
それでも厚みが増しているから安心していたのだけど、ひょっとして成長期で栄養がもっと要るようになったんだろうか。
すこし不安になってきた。
服を着こんでから、食べかけのパンを取って、浴室に戻った。
「お待たせ。これでも食べる?」
ちぎって落とすと、パンは目玉のちょうど真上にのってしまった。
卵のときと同じく目が半分閉じる。
肉が盛りあがってきて包みこむのを待ったが、それきり動きがない。
目の上のたんこぶみたいで迷惑だったかな。
指先で脇によけてみたけれど、何分待ってもやはり動きがない。
‥うう、冷える。
なんだか私まで消化不良なまま、しかたなくその場を離れた。
「本日、契約終了を宣告されました。次の職あるかなあ。こういうときは、ふだん軽く流してる、直感的・好奇心旺盛・凝り性・マイペースといった言葉まで、マイナスの気を帯びて群れをなして襲ってきます。できることなら、出勤時にセットできるまともな脳のスペアを、Ωに作ってもらいたい‥」(風に舞う木の葉)
「あたし、やっと内定がもらえて予備研修中だったんです。緊張しすぎて夜あまり眠れなかったけど、4日目までは絶好調で。なのに、最後の最後の日に寝落ちしちゃった‥。今になって採用取り消しだって、大ショック! ものすごくがんばっていい線までいってたのに。また一からなんてもうやだよ~(T^T)」(ヌクラ☆らぶ)
「オレなんか、3年のあいだに転職歴5回。あまりにも仕事が覚えられないんで、知能検査してもらったけど、IQは120以上あるらしい。むしろ優秀って言われたよ??」(その名も生ゴミ男)
「拙者も試験だけは合格点を維持しておるのだが、幼少の頃から授業には集中できず、度々師の叱責を受けておった。学校の木製の椅子に長時間座るのが不得手で、座布団ごとずり落ちてしまうのである。そんな意図は毛頭ござらぬのだが、師を軽んじておるかの如く映るらしく、通知表にも『授業態度が悪い』と記入されるのが常であった」(黒主の主)
「今さらかもしれませんが、バランスボールを平たくしたような健康器具をクッション代わりにしたら、背筋がしゃんとするって人がいましたよ。
私は、優先順位を整理してくれるスマホのアプリがあったら欲しいです。ルーティンワークは、セットしておくと抜けたとき指摘してくれる眼鏡も、小型のAIで開発できないものでしょうか」(人呼んでリケジョ)
「実現したらしたで依存しそうで、こわいものがありますね。なんでもかんでも言いなりにはならないよう、気をつけないと」(自称ジェントルマン)
「頭の悪い大統領に与えてご覧。ドッッッッッカーーーーーーン!!!」(嵐を呼ぶ使者)
「発想、平凡すぎ。自分の事書けば(`^´)」(ヌクラ☆らぶ)
「内心を吐露いたす勇気を持ち合わせておらぬのであろう」(黒主の主)
「皆さん無視しましょう」(自称ジェントルマン)
画面にうかぶ共感の海、ここは漂うのに心地よい‥
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます