座敷わらし ~もう一つの発達障害

十月末、介護退職したパートさんの代わりに、来春から正式に採用予定の学生がアルバイトで入ることになった。

直接雇用ということは社員候補だろうか。

一流半くらいの大学ということで、店長も期待している。


「藤林君といって、すでに商品知識については恐れ入谷の観音様級でね、事前にずいぶん勉強してるようだよ。言葉づかいもたいそうていねいだし。射撃部のマネージャーをしてたというから、気もきく子だといいねえ」

「またマイナーな競技ですねえ。そんな優秀な子が、たかが地域チェーンのうちにくるってどうしてでしょうね」

谷沢さんはいぶかしげに首をかしげる。


「なんでも乗り物に酔いやすい体質なんで、徒歩圏内での通勤が希望なんだそうだ。履歴書の健康状態は良好となってるが、すこし体が弱いのかもしれんな。店がら、健全なる精神は健全なるボディに宿る、といってもらいたいところではあるがな」

「よしよし、それなら私がきたえちゃる。男の子大好き!」

谷沢さんが燃えている。


その日は今年四つめの大型台風が接近しており、南の地方では瞬間風速80mでトラックが横転したというニュースが流れていた。

「やれやれ、お客様もさっぱりなしのつぶてだな。世間の風は冷たいって、閑古鳥も鳴いてますよ」

よほど暇だとみえて、店長が当たってるのやら当たってないのやら、ことわざ三連発でぼやく。


全員が内心では早く帰宅したい落ちつかない雰囲気のなか、午後になって期待の新星が現れた。

店の入口で、カカシのように細長い手を広げてつっ立っているので、

「・・いらっしゃいませ?」

といちおう声をかけてみたら、店長が、

「ああ!藤林君」

と急ぎ足で寄っていった。


「床が濡れますが・・」

という思いのほか甲高い声が、藤林君の第一声だった。

どうやら、レインコートから滴るしずくを案じていたようだ。

「はいはい、そこで脱いで」

と谷沢さんがモップを手にして現れた。


藤林君は、しずくを最小限に抑えるよう静かに、ゴアテックスの雨具上下と、膝口をしぼれるレインブーツを脱いだ。

代わりにリュックから、足首までおおう黒革のウォーキングシューズを取りだすと、そちらにはき替えた。

まるまるうちの商品で固めているところがいじらしく、見守る皆の目が温かくなる。


今日が出社二日目とのことで、谷沢さんが付きっきりで一通りの説明の続きを始める。

開店休業だった店内がやっと活気づいた。

なかなかおしゃべりな子のようで、谷沢さんの太いアルトの合間に、藤林君のよく通るテノールが響いてくる。


私より仕事ができない立場の者がいると、皆の注意がそちらに集中するので、なんだかリラックスする。

上達の遅い私だけど、それでも最初のころよりは慣れもしたし、自分なりの工夫もして手際がよくなったと思う。


自分の判コ付きのボールペンは、置き忘れないようヒモで首にさげてる。

書類も、一行ずつ定規をずらしながら確認するようにして、記入漏れが減った。

レジもひんぱんに見回すようにして、抜けがなくなった。

報連相がすぐにできなかったときは、手の平に頭文字を書いておいて忘れないようにもしている。

筒型の箱の包装だって、家で特訓してなんとか見られる程度にはマスターした(次が来ないのでコツを忘れそうだけど)。


私も二年半前は、あんなふうに谷沢さんに一から教えてもらったな。

もう新人じゃなくなって、前ほどこまめにフォローしてはもらえなくなった。

誇らしくもあるけど、頼りにしてきた先輩に放っておかれると、すこし物足りない気もする。

‥なんて感じること自体、今まで谷沢さんに甘えすぎていたのかもしれないな。

あ、二人が寄ってきた。


「で、この人は初めてかな。派遣社員の南さん」

「ああ、お目にかかりたいと思っておりました。座敷童を飼っていらっしゃるという南さんですね」

座敷童‥ってなんだ?

私が戸惑っていると、手で制しようとする谷沢さんを尻目に、藤林君は説明しはじめた。


「じつは、私も座敷童という言葉は知っていたのですが、正確にはどんなものか知らなかったので、谷沢さんにお聞きしたあと、家で調べてみました。座敷童とは、東北地方の旧家の奥座敷にいる妖怪です。おかっぱ頭に赤い顔の幼い子の姿をしています。大人には見えないのですが、子どもと遊んだり、物を隠したり客の枕を返したりといった小さないたずらをします」


「ちょっと君」

谷沢さんが座敷童顔まけに、みるみる真っ赤になった。

「ああ、でも、座敷童は守り神なのだそうです。大事にしないと出ていってしまって、そうするとその家が廃れるので、お供えをして大切に扱わないといけないそうです」

藤林君は大まじめで付け加えた。


私もよく失言をしてしまっては後悔するクチだけど、当事者がそろっている場で片方の発言を漏らす、このわきまえのなさ、かつ悪びれのなさはなんだろう。

抑揚に乏しいしゃべり方といい、ひょっとしてもう一つの発達障害として有名な‥?


「あ、それでね。こっちの棚は‥」

谷沢さんはばつが悪そうに、藤林君を連れて無理やり他へ移っていってしまった。


説明が済むと、藤林君は初仕事として品出しをすることになった。

「ウィンタースポーツ向けに展示替えの時季に来てくれて、助かったわあ。台風で客も来ないし、今日中に済ましちゃおう」

男子アルバイトがいない日は、いつも谷沢さんが力仕事を引き受けているから、助手ができて喜んでいる。

藤林君は筋肉質ではないけれど、そこは一応男だし若さもあるものね。


さっそく、二人してカートに箱を積んでは、倉庫と売場を行ったり来たりしはじめた。

その合間に、谷沢さんがこちらに寄ってきた。


「南ちゃん、さっきはごめんねー。初出勤の日、藤林君があんまりしゃっちょこばってたもんだから、肩の力が抜けるようにと思って、みんなの個性をそれぞれおもしろおかしく紹介したのよ。ほら、南ちゃんはよく物がなくなるって言ってたからさあ」

「あ、ぜんぜんいいです。ぜんぜん気にしてませんから」

「そうそう、そこが南ちゃんのいいとこだよね。スマイル&スマイル、商売の基本!」

谷沢さんは分厚い手で私の肩をぱんぱん叩くと、カートの方へ戻っていった。


ぜんぜん気にしてないというのは嘘だけど、気にするなんて大人げないというくらいの見識はあるつもりだ。

それに、私が飼ってるのは座敷童じゃなくて、Ωなんだからね。

秘密をもってるって、ちょっとした優越感。


谷沢・藤林コンビは箱を運びおわると、全体量をみて場所を決めだした。まずは、陳列棚、つぎにその下の引き出しに入れる。

それでも入りきらない分は、棚と天井の間のすき間に詰める。


谷沢さんは、藤林君に脚立を運ばせて上らせると、下から箱を手渡しはじめた。

新人に興味津々の店長と私もそれとなく見守るなか、藤林君は脚立に慣れていないのか、緊張した面もちで棚に捕まっている。

が、差し出された箱を受けとるために、とまどいがちに両手を放した。


‥この瞬間、近すぎて全体像の見えない谷沢さんだけが、結末をすぐには予測できなかったんだと思う。

藤林君は、どことなくふらつきながらもなんとか箱を受けとったが、高い棚と天井とのすき間に腕を差しのべると‥バンザイの姿勢のまま‥ゆっくりと斜めにかしいで‥‥逆さまに落ちていった。


のちの藤林君の証言によると、箱を取り落としそうになったので、「商品だけは守らなければ」と思って必死につかんでいたら、気づいたときは自分ごと転落していたのだそうだ。

「たった一つの箱のために、代わりに十三個もの箱を押しつぶしてしまい、割の合わないことをいたしました。大変申し訳ありません」と謝っていたらしい。


谷沢さんのほうは、まさか本当に落ちるとは思わず反応が遅れてしまい、頭から落ちるのを防ごうと手をつかんだら、「枝の一番細い部分にしか届かなかった」と悔やんでいた。

目撃していた店長は「たしかに、全身これ真っ直ぐの棒のようだったな‥」とだけうなずいた。


暴風雨のなかを呼びだされて整形外科に付き添った菊池さんは、「診療中、叫び声が廊下まで延々と響いていたので、もっと大きな骨が折れたのかと心配しました」と報告した。

後日、谷沢さんが藤林君の自宅まで菓子折をもって謝りにいったときには、なぜかご両親の側もひどく恐縮しておられて、お互い相手よりたくさん頭を下げようとおじぎ競争になったそうだ。


出勤二日目にして藤林君は、右手第四指および第五指の単純骨折で労災認定となり、約一ヶ月半の休職となった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る