カレーライス

赤星士輔

カレーライス

 いつもとは違う小さな空間に対し、俺は眉間に皺を寄せた。

 学校の下駄箱を開けると、そこには桃色の可愛らしい封筒が入っていたからだ。


 きっと誰かの悪戯いたずらに違いない。そう一瞬警戒するも、手に取った便箋には女の子特有の丸っこい文字で自分宛に名前が記されてあった。もう少し若ければ「Oh,Dios mío! Gracias!ああ、神様。ありがとうございます」などとスペイン語で感謝の言葉を吐き出し、口元をだらしなく緩めた表情で虚空を見上げていたことだろう。

 しかしながら、このよわいにしてラブレターを貰うような、ある種古典的なイベントに出会えるようになったのかと、妙な感慨に耽ってしまった。廊下から聞こえてきた女子たちの話し声で我に返り、軽く咳払いをすると便箋の中身にさっと目を通した。




   初めて出会った時から大好きでした。

   クラスや学校のみんなからとても人気があるだけでなく、

   アジア圏の方々からも大変好かれていると思います。

 

   ジャガイモとニンジンはちゃんと火を通し、

   タマネギはペースト状のキツネ色になるまで炒め、

   豚肉や牛肉、もしくは鶏肉を柔らかくなるまで煮込む。


   そして、香ばしいスパイスが決め手の……。

   そうなんです。わたし、カレーが大好きなんですッ!!


   だから明後日の日曜日、晩ご飯作りにきてくださいネ♡




「いやぁ、モテる男は困っちゃうなぁ」などとうそぶく間もなく、案の定知り合いからの悪戯だった。もう少し若ければゲール語を勉強して酷い悪態をいていたことだろう。

 職員室での用事を済ませ、落胆しながら教室のドアを開けると、窓際の奥の席で手紙の贈り主であるボブカットの女子生徒が、こちらに微笑みかけながら掌をヒラヒラさせていた。気が置けない幼馴染に、手の込んだ悪戯をされるとは思いもよらなかったが、まるで屈託のない顔を見ていたら小さな怒りを覚えた。眉間に皺が深く寄っていくのが自分でも解る。これから数学のテストだというのに、まったく。


 テスト時間中、眼鏡を外して眉間を揉みほぐしながら、あいつをどうしてくれようか考える。シャリシャリと鉛筆で書く音がする教室。時折聞こえる問題用紙を捲る音。伝わってくる焦燥と緊張感。巧妙に作ってある引っ掛け問題。

 時計で残り時間を確かめると、あと十数分でチャイムが鳴る。それまでに対策を練ることにしよう。



 日曜日の夕方、カレーに対する熱い思いを綴ったラブレターを送ってきた彼女の家へ赴いた。

 持っている合鍵で玄関に入り、買い物袋と鞄をテーブルの上に置いて腕時計を外すと、自前のエプロンに着替えて手を洗った。

 まずはマッシュルームを包丁でスライスしていく。次に牛肉を細切れに切って、塩コショウで下味をつけ小麦粉をまぶした。タマネギをフライパンで炒めている時にトマトを買い忘れたことに気が付いたが、ストックしてあるトマトジュースで代用すれば大丈夫だろう。それから一通りの手順で調理を済ませると一息ついた。


「これでよしと。部活からあいつが帰ってくるまで、大分まだ時間があるな」

 テーブルに置いた腕時計で時間を確認すると、次の料理へと取りかかった。



「カレーが食べたかったのに……」

 用意された食卓を一瞥すると、彼女はとても残念そうに呟いた。

 私服に着替えた彼女は緑色の長袖に薄い水色のパンツ姿で、黒縁の眼鏡をかけていた。学校では普段コンタクトレンズをしているが、印象が少し変わった程度だ。特に気にすることもあるまい。


「俺のいたいけな純情をもてあそんだ罰だ」

 エプロンを畳みながら俺はそう返事をした。

 皿に盛りつけられたにポテトサラダ。まずまずの出来栄えである。彼女と席に座ると、手を合わせ一緒に「いただきます」と言って、夕飯を食べ始めた。


「あ、美味しい。罰なのに美味しいとはこれ如何いかに?」

 彼女はスプーンをくわえながら、首をかしげた。

「行儀が悪いぞ。激辛カレーじゃなくて良かっただろ?」

「それはそれで美味しく作ってくれるんでしょ?」

「辛いカレーをご所望なら、グリーンカレーが作れるぞ。個人的にはキーマカレーが好きなんだがな」

「前作ってくれたキーマカレー本当美味しかったよね。今日もそうだと思ってたんだけれど、マサラカレーはどう?」

「作ったことはないが、お店で食べたほうがきっと美味いだろうな」

「それじゃ、今度連れてってよ。美味しいところ。作ってくれてもいいけど」

「自分でやってみようという気はないのか?」

 そう話してから俺はリモコンでテレビを点けると、天気予報のお姉さんが各地の天気を滔々と伝えていた。


『明日朝から関東は雲が多くなり、夕方まで雨となるでしょう』


「明日は雨か」

「雨になると髪のお手入れが面倒くさい」

「大変だな」

「髪は女の命っスからね。ケアは大事っスよ?」


 それから彼女の所属している吹奏楽部での出来事とか、スイスに旅行へ行っているおばさんはいつ頃帰ってくるのだとか、そういった他愛もない話をしながら食事を済ませた。


「ご馳走様でした。お腹いっぱい」


 綺麗に平らげた食器を流し台の水に浸けて早々、彼女はそのままソファーに寝そべった。俺は満腹で幸せそうな彼女に、お粗末様でしたと答え、ニュースのチャンネルからドラマへとテレビの番組を変えた。ドラマは最近世間で人気急上昇中の俳優が教師役で出ている熱血青春学園物語らしい。彼女がテレビに夢中になっているその間に、自分はテーブルで自前のノートパソコンを鞄から取り出すと、インターネットから学校での話に使えそうなネタを探し始めた。

 それからしばらく経ち、ドラマが終わったのを見計らうと俺はノートパソコンを閉じて彼女を呼んだ。


「ちょっといいか?」

「んー?」


 俺の呼びかけに彼女はソファーからヒョッコリと首だけ出して、こっちを見た。


「あのさ。黙っていたことがあるんだ」

「どしたの急に?」

「聞いてくれ。大切なことなんだ」

「長い付き合いなんだから、遠慮しないで言ってよ」

「ああ。でも、ちゃんと言わないといけないかなと思ってさ」

「わかった。なら私も、ちゃんと聞く」


 ソファーから起き上がった彼女は、再び向かいにあるテーブルの椅子にちょこんと座ると、眼鏡越しから俺の顔をまじまじと見つめてきた。


「実はな……」

「うん」


 何かを察して覚悟を決めているらしい彼女の顔を見て、なんとも言えない空気が流れている事にようやく気がついた。よくよく考えてみたら、彼女の親は旅行に行っていて居ない。その上、若い男女が二人きりである。そして、見つめあう二人を邪魔をするものなんて、最早存在しないシチュエーションではないか。


 いやいやいや、ちょっと待ってくれ。そいつは流石にまずい。第一、なんでこんな雰囲気になってるんだ!?


 そんな自分の思いとは裏腹に、テレビでは全米で話題沸騰、興行収入歴代No1という映画のCMを壮大な交響曲と共に流しており、『大ヒット上映中!』などとありきたりなテロップを出してくる始末だ。


 別に映画で上映するような、大それた話をするつもりだった訳ではない。

 そうだ。普通でいいんだ。いつもみたく極々普通に言葉を交わすだけでいいのだ。


「れぃ……冷蔵庫にアイスクリームがあるんだ」

 うわずった声が出てしまった。


「はい……?」

 彼女は俺の言葉に形容しがたい表情をしていた。


「いや、だからさ。お前が帰ってくるまで時間があったから、バニラアイスを作ったんだ。だけど、初めて作ったもんだから美味しいか自信があんまり無くてだな」

「そ、そうなんだ。アイスがあるんだ。へー」

「そうなんだよ。そういう訳なんだ。はっはっは。なんだと思ったんだ?」

「……期待して損した」

「なんだって?」

「なんでもない」

 彼女はそう言って立ち上がると、小さいスプーンを戸棚から取り出した。

「とりあえず、食べたら感想を聞かせてくれ。俺はもう帰るから」

 それだけ伝えると、俺はいそいそとパソコンを鞄にしまった。

「また明日ね」

「おう。寝坊するなよ」

もね」

 小さいスプーンとアイスの入った器を手にした彼女に見送られて、その日は自分の家に帰った。


 女子高生の彼女は自分のクラスの生徒であり、お隣さんであり、少し年の離れた幼馴染でもある。自分の両親が共働きだったのと、非常にお節介な彼女の母親(専業主婦)のおかげで、用も無いのに家へ転がり込んではご飯をご馳走になっていた。そんな食べてばかりで申し訳ない気持ちがあった為か、小学生に上がる前にはおばさんの料理を手伝い始め、いまでは自分の家よりも台所の勝手を知るようになってしまった。

 欠食児童にもならずに大学へと進学し、教職へ就いたその年に何の因果か彼女も俺が働く高校へと入学してきた。


 それから、彼女が初めて食べたカレーが俺の手料理だったりするのだけれど、食べさせた当時は辛かったのがお気に召さなくて大泣きされたんだよなぁ……。


「嘘吐くなよ」

 そうラブレターの『初めて出会った時から大好きでした』の最初の部分に対してだけはデコピンで反論しておく。



 翌朝。天気予報で云っていた月曜日の雨は何処へやら。よく晴れた良い天気だった。

 日差しの中、玄関を出たところでバッタリ彼女に出会すと腕時計を差し出された。テーブルの上に置き忘れてしまったらしい。


「プレゼントした時、肌身離さず持ってる約束だったでしょ?」と怒られてしまった。悪い悪いと口で謝りながら腕時計をはめ、不機嫌気味な彼女の隣を歩いていく。

 そんな彼女に昨日のアイスの出来栄えを恐る恐る聞いてみると、たいへん美味しく出来ていたらしい。


「今度また作ってよ」

 彼女は前の方に二、三歩躍り出て振り返ると、俺の顔をちょっとだけ見上げながら頼んできた。


「そうだな。ラブレターを送ってくれたら、な」

 と、俺はちょっとだけ考える素振りを見せた。

 

「……アイスクリームの?」

「そう。アイスクリームの」


 そう応えて思わず苦笑する。そんな俺に微笑み返す彼女の顔を見て、カレーのことを考えていた。

 彼女が卒業したその時は、お祝いにカレーを作ってあげよう。

 腕時計からお揃いの指輪に替えてもいいかそれとなく聞いてみよう。

 

 もし大丈夫なら、食後に甘いアイスを一緒に食べよう。

 美味しさで泣いて喜ぶ顔を見て笑ってやろう。そんな事を企んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

カレーライス 赤星士輔 @shisuke_akaboshi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ