クリスマスはあなたと

一花カナウ・ただふみ

スノーフレーク・クリスマス

 十二月二十五日、朝十時。

 黒曜こくよう将人まさとはインターフォンの音に起こされた。居留守を使おうと羽毛布団を被ったところでスマートフォンがけたたましく鳴り出す。


 ――ったく……。


 乱暴に手に取ったスマートフォンの画面に表示されていたのは、長月ながつきひかりの名前だった。電源を落としてしまいたい衝動をなんとか抑え、将人は電話に出る。


「もしもし?」

「メリークリスマス、将人くん。冬休みに入ったからって、いつまでも寝ていては身体に毒ですよ?」


 ――見通されてやがる……。


 彼女とは小学校時代からの幼なじみだ。それだけでなく、将人の兄と光の姉は婚約者であるため、親戚のような付き合いがある。六年間ほど海外を転々としていたために忘れられているかと将人は思っていたが、彼女は昔と変わらず接してくれた。

 将人にはそんな光を面倒に思うことが多く、自分から近付くようなことはしない。だが、彼女の気質が世話好きだからなのか、距離を置いているつもりでも向こうからやってくるのだ。


「インターフォン鳴らしてるの、あんたなんだろ? 迷惑だからさっさと帰れ」

「お断りしますわ」


 即答だった。鬱陶しい気持ちを隠すことなく台詞に込めたというのに、彼女は動じない。


「あんたなぁ、クリスマスだからって、サンタクロースを真似て訪ねてきたのかも知れないが、生憎おれのとこにゃそういう習慣はない。紅に相手してもらえよ」


 将人はもう一人の幼なじみで想い人である火群ほむらこうの名前を出す。光と紅は親友であり、学校にいる間は二人一緒にいる姿をよく見掛けた。


「紅ちゃんはたくさんのお付き合いがありますから、わたくしの相手はできませんの。――ほら、観念してドアを開けてください。また大した食事をしてないのでしょう? ご馳走を用意してきましたから」


 ――また持ってきてるのか……。


 秋に風邪で寝込んだことがある。そのときに光はこの独り暮らしの将人の家に上がり込み、手料理を振る舞ってくれた。そのときの味は忘れられない。


「あんたの作るメシは確かに美味いが、頼るつもりはない。ってか、突撃訪問もするな。マジで迷惑だ」


「あらあら。サプライズはお嫌いですか? それに、前もって連絡したら逃げてしまうじゃないですか。確実に攻めるなら、電撃作戦ですわ」


 さらりと答えてくる。そして光のくしゃみが聞こえた。廊下が寒いのだろう。


「……このままやり取りしていたら、風邪ひくぞ。諦めて帰れ」

「お断りです。何のためにクリスマスパーティー用のコスチュームを着込んできたんだとお考えなのですか?」

「……は?」


 状況がわからず、呆けた声が出た。


「ミニスカサンタなんて、どうしてしたがるのでしょう? 着てみたところで、理解できるものでもありませんわね」

「……おれにはあんたの思考がさっぱりわからんぞ」


 光が頑固な性格であるのはよくわかっている。そのまま居座られて熱を出されても面白くないので、将人はのんびりと玄関に向かうとドアを開けてやった。ただし、チェーンはつけたままで。


「なんだ。コート着てるとわからねぇな」


 細い隙間から光を見下ろす。彼女の背は女子の平均身長よりも高めだが、一九〇センチを超える長身の将人からすればずいぶん小さく感じられる。

 サラサラのおかっぱ髪が揺れて、彼女の顔が上を向く。ムスッとしており、整った顔が不満げに歪んでいた。


「チェーンとは卑怯です」

「ヒトを叩き起こしておいて、そういうことを言うな」


 言って、将人はロングコートに身を包んだ光の頭からつま先までをまじまじと見る。


「――つーか、やっぱり色気なら紅の方が上だな。顔もスタイルもあんたは悪くないんだけど」


 素直な感想を告げる。光のことは美人だと評価しているがそれだけだ。抱きたいと思えるかという基準だと絶対に紅を選ぶ。好みをさっ引けば、光に足りないのは色気だという結論だ。

 光は一瞬瞳を揺らして、顔を背ける。


「値踏みしてないで、中に入れてください。追い返したくて開けたわけではないのでしょう?」

「へいへい。待ってろ」


 一度ドアを閉め、次に開けたときはチェーンを外してやった。


「将人くんはどうせ入れる選択をするのですから、始めから開けてくださればいいのに」


 光の手には複数の袋が提げられている。ここで何かを作るつもりらしい。将人が奪うように袋を受け取ると、彼女は部屋に上がった。


「寝間着で玄関に出ることに躊躇したっていいだろ? 女は嫌がるくせに、男なら気にしないってこともないと思うが」


 寝るときは部屋着に使っている黒いジャージの上下だ。外に出るときは、面倒だと思いつつもちゃんと着替えるのが将人である。部屋着姿や寝間着姿を他人に見られることに抵抗感があるため、こうして急に訪問されるのは好きじゃないのだ。


「困るとすれば、全裸だった場合くらいだとわたくしは考えていますから」

「あー、そういう感覚なのか」


 ――まったくもって、理解しかねる……。


 長い付き合いだが、光の思考は今ひとつ読めない。


「キッチン、お借りしますね。将人くんは着替えるつもりでしたらご自由にどうぞ。三〇分はこちらで作業しますので」

「んー、好きにしろ。おれは部屋を片付けるから」


 適当な場所に袋を置くと、将人はさっさと自分の部屋に引きこもった。





 きっかり三〇分が経過したところで、キッチンと私室を隔てるドアが叩かれた。私服に着替え終えた将人は、黙ったままドアに近付くと開ける。


「ありがとうございます」

「……!?」


 にっこりと微笑む光の頭には赤い生地に白い綿がつけられたサンタクロースの帽子が乗っている。お盆を持つ彼女の格好は、確かにミニスカートのサンタクロースだ。しかも、デコルテ部分が開いているため、鎖骨だけでなく胸の谷間も見える。


 ――光は着痩せするタイプなのか……。


 視線が胸元に吸い寄せられそうになるのを、お盆の上のローストチキンに目を向けて落ち着ける。彼女が何の意図を持ってこんな格好でここにいるのかわからない。


「ひ、光サンよぉ……さすがにその格好は寒すぎじゃね?」


 お盆を受け取って、部屋のローテーブルに移動する。彼女を直視したくなくて、自分から動くことにした。


「でしたら、暖めていただけます?」


 おどけて答える光に、将人は少し苛立った。


「――からかうつもりで訪ねてきたなら、もう用事は済んだだろ? 帰れよ」


 思った以上に冷たい声が出た。どうしてこんな気持ちになるのかわからない。


「あの……将人くんの好みはこんな感じかと思っていたのですが……気分を害してしまったみたいですね……」


 しょんぼりとした声が背中にぶつかる。気丈に返してくるかと思っていたので意外だった。だから、声色も少しは優しくなる。


「好みは……そうかも知れねぇが、あんたには似合わねぇよ。せっかく清楚系の格好が似合う容姿を持っているんだから、妙な格好すんな」


 ローストチキンをテーブルに置くと立ち上がる。お盆は床に置いたままにして、一気に光との距離を詰める。


「!?」


 将人の俊敏な動きに反応して、光の身体が逃げる。そしてベッドに足を取られてひっくり返った。仰向けに寝そべるような体勢であり、ミニスカートから覗く太腿の白さが黒いベッドカバーのせいもあって映えた。


 ――ったく、光は男をわかってないな……。


 わざと逃げ場をそちらに絞り、誘導することに成功していた。何が起きているのかわかっていないような表情をしていた光だったが、すぐに起き上がろうとしているのは賢明だと思う。


 ――賢明ではあるが、勉強は必要だな。


 将人は起き上がろうとしていた彼女を一瞬で組み伏せた。


「逃げんなよ」

「将人……くん……?」

「そんな格好で男の部屋に上がって、無事に帰れると思っているのか?」


 これは脅しだ。男友達が少なく、経験が浅いらしい彼女にはこうでもして学ばせて、身の守り方を覚えてもらう必要があると思った。無知のせいで彼女が傷付くところは見たくない。馬鹿な女だと罵って笑うには、彼女との距離は近すぎる。


「でも、将人くんはわたくしには興味がないのでしょう?」


 押し倒された状態である彼女は、寂しげな微笑みを浮かべている。怖がっているようには見えない。それが不思議だった。


「恋愛的な興味はないが、友達だとは思っているさ」

「じゃあ……友達でも、抱けますか?」


 その台詞に切なさを感じてしまった。

 動揺。思わず、彼女の肩を押さえている手に力が入る。


「あんた……何を口走ったのかわかっているのか?」

「…………」


 光はきゅっと唇を結ぶ。ただじっと、見下ろしてくる将人の顔を見つめていた。


「おれは、愛する女には手を出すが、友達とはしねぇよ。忠告くらいはするけどな」

「ならば、この状況は忠告なのですね……」

「その先を勉強したいなら、相手におれを選ぶな。だが、男は選んだ方が不要な怪我をしなくて済む」


 説教を終えたら解放してやるつもりだったが、光の反応が今ひとつだ。突然の出来事に呆然としているわけでも、恐怖で思考が止まっているわけでもなさそうだ。ただ、どこか淡々としている。


 ――ちょっと気が引けるが、仕方がないな。


 男を挑発して傷付くのは女の方だと理解させておきたい。だから、光の白い首筋に唇を寄せると、強く吸った。


「いっ……んんっ……」


 びくっと彼女の細い身体が痙攣して、身じろぎをする。されるがままというわけじゃないことに、将人はどこか安堵感を覚えていた。


「――もう馬鹿なことはするな。そのキスマークは勉強代だと思っておけ。年が変わる頃には消えるだろうから」


 白い肌には赤いキスマークがよく映える。この時季であればハイネックのシャツやマフラーで隠せるだろう。

 つんつんとキスマークをつついて状況を認めさせると、将人はようやっと光を解放した。

 そろりと光は起き上がり、キスマークの位置に右手を置く。俯いて、視線を合わせない。


 ――当然の反応だよな。


 自分のしたことを、将人は後悔していなかった。傷付くのを見るくらいなら、傷付けることを選ぶ。それ故に家族から離れ、単身で日本に戻ってきたのだ。


「逃げ帰るのも自由だが、どうする?」


 お盆を拾い上げて、彼女に向ける。


「おれなんかほうっておいても良いんだから、好きに決めろ」


 普通の女なら、襲われかけた相手と一緒になどいられないだろう。手を出さないと宣言されても信用できないはずだ。

 だのに、彼女は顔を上げるとやんわりと微笑んだ。


「食事はしましょう。ケーキも手作りなんですから、見るだけでも――」

「って、逃げ帰れよ」

「逃げるなって言ったのは将人くんじゃないですか」

「…………」


 そう言われてしまうと返せない。

 黙ったまま、将人は寝間着に使っているジャージを引っ張り出して、光に投げ渡した。


「それ、羽織ってろよ。この部屋、寒いんだから」

「はいっ」


 そのときの笑顔が本当に嬉しそうで。大きくてブカブカのジャージを着ている仕草が幸せそうで。


 ――おれ、なにやってるんかな……。


 彼女を見ていると毒気を抜かれてしまう。

 長月光にはかなわない――そう改めて将人は思うのだった。



(スノーフレーク・クリスマス 終わり)

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