自己観測可能、自己認証不可。

冴牙雅

第一話


 

 私は最近、あの子を好きになったんじゃないかと思う。

 そして同時に、あの子も私を好きなんじゃないかという妄想に囚われてもいるのだ。


 会うたびになんとなく意識してしまうし、自分を特別気にかけてくれているような気がする。

 休日一緒に出掛けたり、放課後一緒に帰ったり、自転車の後ろに乗っけてもらったこともある。

 そういったあの子との関係の一部分を取り出して、架空の物語に登場する男女に当てはめれば、まるで恋人みたいだなと―—ふと、考えてしまうこともあるのだ。


 ただこれが人間関係、もっと言えば恋愛、特に成就した恋愛に疎い私の、それらに疎いが故の妄想であるということは私も理解していた。


 友人が少ない私には、少し優しくされただけで……いや、優しくされるどころか、一度声を交わした程度で相手を意識してしまう悪い癖があった。

 昔はこの度を越した惚れっぽさのせいで色々苦労させられたが、だんだん自分がそういう性質の人間なのだと気付いてからは、段々惚れ具合が薄れていった。


 自分が相手を好きになっているなと感じると同時に、私は「ああ、またか」と感じるのだ。


 そして相手を「なんとなく好き」なまま暫くの時間を過ごすと、また別の人をなんとなく好きになって相手を好きだったことは忘れる。私はその繰り返しで日々を送っている。

 痛みに段々と慣れていくように、新たな恋が始まる日々で、私の恋心に対するセンサーはどんどん鈍くなっているのではないかと思う。

 私にとって誰かを好きになるという行動は、とうに特別なことではなくなっているのだろう。

 それでも私は、いつか自分にも心を燃やして突き抜けるような恋愛をする運命の相手が現れるのではないかと、まだどこかで思っている。


 言うまでもなく、今回の一件もそんな突き抜けるような恋ではなかった。

 普段なら目にも止めないであろういつもの靄がかかったような恋心を本当に恋かと疑い、私が注目したのには理由があった。


 友人であるあの子、『広瀬夕実』は、言うまでもなく女性なのだから。


 ◇ ◇ ◇


 靄のような恋心の始まりに、劇的なきっかけは無い。

 いや、そもそもこれが恋かどうか疑わしいのだから、恋心というのはおかしいだろう。

 だからこれから先、私が広瀬夕実に向けている気持ちは恋心ではなくて『この気持ち』と呼ぶことにしよう。


 靄のようなこの気持ちの始まりに、劇的なきっかけは無い。


 半月ほど前だろうか。休日、映画の誘いを受けた私は、公園――私と彼女の家、そして目的地であるデパートの丁度中心当たりにある――で彼女を待っていた。

 そこに訪れた私服の夕実を見て「漫画とかで私服のヒロインを見て主人公が頬を染めるシーンとかあるよな」などとぼんやり考えたのが最初だったと思う。

 彼女の私服を見るのはその日が初めてではないし、その時特別に魅力的な服を着ていたという訳ではない。

 ただ、なんとなく自分と相手をそういう関係の男女に当てはめたのだ。

 

 私は直後「ああ、またか」と思った。


 その時何故すぐに違和感を覚えなかったのか。私は恋愛以外にも、自分の異常を感知するあらゆるセンサーが少しおかしくなっているのかもしれない。

 既知の恋愛関係(それは例えば一般的にイメージされる恋人像であったり、漫画の主人公とヒロインであったりする)に自分と相手を当てはめて妄想し、そこから恋心が生まれることは私にとって珍しいことではなかった。

 だからきっと、特に違和感もなく、この気持ちを受け入れたのだろう。

 そしていつも通りに、すぐに終わる恋心の始まりに分類してしまった。


 その日は彼女の一挙一動に愛おしさを感じながら一日を終えた。

 これもまた珍しいことではない。よくあることだから。

 だけど、よくあることだから問題なのだ。


 ◇ ◇ ◇


 随分遅れてしまったが、まずは私と広瀬夕実の関係について話しておく必要があるだろう。

 端的にいえば、彼女は私の数少ない友達のうちの一人だ。

 そして他の友人たちとは大きく異なる点がある、私にとって少し特異な友人でもある。


 類は友を呼ぶということわざがあるが、あれは凡そ正しいらしい。

 少なくとも私の半生においては正しいと言って差し支えないだろう。

 友達が少ない者と友人関係になる者の多くは、やはり友達が少ない者なのだ。


 いっそ孤高を貫いてしまえば清々しいのだろうが、どういう訳か友達が少ない者は友達が少ない者同士で自然と集まり、コミュニティを築く。

 ただし俗にいうリア充のコミュニティと違って休日を使って海に行ったり山に行ったりなど決してしない、学校外では機能することのないコミュニティだ。

 案の定というか、私もそんなコミュニティに属してそこそこ楽しい日々を送っている。


 さて、話を戻そう。

 そんなコミュニティから外れたところにいる、ただ一人の友人。

 それが広瀬夕実だ。


 夕実は一般的な高校生の人間関係図からしてみれば、かなり変わった人物といえるだろう。

 高校生――特に女子高生――というのは、往々にしてコミュニティというものを形成する。

 お互いがお互いを友達として認め合う、いわば相互リンクのような関係を数人の間で網のように張り巡らせてコミュニティとするのだ。

 それはコミュニティ外の人間が立ち入りがたい人間関係の壁であり、「この子たちは私の友達」という一種のナワバリのようなものでもあるのだろう。

 そして女子高生同士の友人関係の多くはコミュニティ内のみで完結する。

 つまり、コミュニティに所属せず健やかな高校生活を営むことは至難の業な訳だが……。


 そんな中、広瀬夕実はどのコミュニティにも所属していなかった。

 いや、どのコミュニティにも所属していたという方が正しいのかもしれない。


 広瀬夕実は特定のコミュニティに留まることなく、どのコミュニティからも疎まれることなく、ほぼ全てのコミュニティと良好な関係を築いていた。

 輪の中に入っていると言えば違うだろうし、輪から外れているというのもまた違う。

 言うなれば、彼女を中心として全てのコミュニティを包括した巨大なコミュニティが存在しているという感じ。

 彼女から放射状に、まるで太陽の光のように良好な関係の相互リンクが伸びている――というのが私の受けた印象だ。


 そして、その相互リンクの光に照らされている大衆の一人が私だ。


 冒頭で私が『あの子も私を好きなんじゃないか』と自分の妄想について言及したが、その理由の一端がここにある。

 彼女が私と行為に及ぶ……例えばお昼を一緒に食べたり、休日遊びに出掛けたり、帰り道を一緒に帰ったりする相手に私を選ぶ理由が分からないのだ。


 当然哀れみからだという線は考えた。

 しかし哀れむ相手なら私の他にも山ほどいる。私がその中で哀れみの対象のトップに立っているとは……思いたくない。

 それ以上に、私への哀れみから彼女があんな花のような笑顔を浮かべているとは思えない。


 自分だけでなくて、すべての友人とそういったことをしているのではないかとも考えたが、人間どんなに優劣に差があろうと土日は等しく二日間なのだ。

 私と一緒に出掛けている以上、同時刻に彼女が他の友人とどこかへ出かけていると考えるのは無茶だろう。

 彼女が忍者の末裔だなんて話は聞いたことがない。


 と考えても答えが出ないのだ。

 そんな中で彼女のことが好き――な気がしてしまったのだから、もう相手が自分を好きなのだと考えるのは当然ではないだろうか。

 ましてや恋愛経験値が低い上に惚れっぽくて妄想癖のある私であれば猶更自然なことだろう。

 何か別の理由があるのだろうが、あるのだろうと思っても私の頭では浮かばない。浮かばないのだ。


 広瀬夕実にとって、私はいったいなんなのか。


 ◇ ◇ ◇


 夕実に対して私が感じている気持ちについて考えると、恋ってこういうものなのかなと思うことがある。

 彼女は私のことをどう思っているのだろうかとか、逆に彼女のどこに魅力を感じているのかとか。

 今までどうせすぐに忘れるからと考えることを放棄していたそういった気持ちの明確化を進めるうちに、段々と気持ちがはっきりとしたものになっていく。

 気持ちの輪郭が見えてくるのだ。


 ただ同時にこの気持ちは従来私が感じてきた恋心とは違う輪郭を持っている。

 とすると、この気持ちは恋ではないのか?

 私が当初彼女に感じていた気持ちは、従来の恋と同じものである。ただ、私の思考の中で変質していったそれは従来の恋とは別物だ。


 では一体この気持ちはなんなのか。


 遊園地の誘いに私は「彼氏とかいないの?」と冗談交じりに尋ねた。

 夕実はおかしそうに笑って「いないよ」と答えた。


 どうやら私には答えを見つける時間の猶予があるらしい。

 幸いなことだ。


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