朝霧の卒業式

無月弟(無月蒼)

朝霧の卒業式

ここは朝霧の町。もう三月だというのに、朝は辺り一面が霧で真っ白だ。そんな霧の中を、私は中学校に向かって歩いていく。

霧が濃くて見通しが悪い。空気は冷たくて耳が痛くなる。湿気ってしまう為霧が晴れるまでは洗濯物を外に干すこともできない。だけど私、芹はそんな霧の町が大好きだった。

たしかに不便かもしれないけど、霧に包まれた景色は何だか綺麗で、これを見ないと冬が来たという気がしない。白いく染まる家や道路をキョロキョロと眺める。

「何だか挙動不審だよ、芹」

 急に呼ばれて、私は立ち止まった。この声はアイツだ。声のした方を振り返ると、そこには思った通り、同級生の辰喜の姿があった。

「何よ、挙動不審って」

「キョロキョロしすぎだって事。まっすぐ前を見て歩かないと危ないよ」

「良いでしょ、この景色を見られるのも、後少しなんだから」

 後少し。それは春になって霧が無くなるからと言うだけではない。

「もう卒業だもんね」

 辰喜がしんみりと言う。そう、私達三年は卒業式を明日に控えていた。卒業したら当然もう中学校には来なくなるわけで、来年の冬が来てもこの通学路を通ることはない。

「早いもんだね。でも寂しいな、僕らが最後の卒業生だなんて」

 辰喜の言葉に、私は胸が痛くなった。

 ド田舎にあるこの町の中学校は来年度から近くの中学校に吸収され、廃校になることが決まっている。思い出の詰まった学び舎が無くなるというのは、どこか寂しかった。

「ごめんね邪魔して。この景色を見れるのも今日と明日で最後だし、堪能しようか」

「言われなくても」

 そう言って私は再び歩き出し、辰喜がその後ろを続く。でも、私はさっきまでのように景色を楽しむことができなかった。

(辰喜、わかってるの?卒業したら辰喜はそれこそこの霧の町を見れなくなるんだよ)

 卒業と同時に辰喜は県外に引っ越す。そう聞いたのは、まだ暑い夏の日の事だった。


 真っ赤な夕日が西の空に沈む夏の夕暮れ。私と辰喜は二人して学校から帰っていた。志望校がどうの、成績がどうのと、受験生らしい話をしながら歩いていると、辰喜は唐突にそれを告げた。

「僕、卒業と同時に引っ越すから。もうこの町にはいられない」

 最初は何かの冗談かと思った。辰喜とは小学校から一緒で、家も近くで、自然と一緒にいることが多くて。そんな辰喜がどこかに行ってしまうなんて、私は信じられなかった。

「引っ越しって、遠くに行くの?」

「うん。簡単には戻ってこれないと思う。でも、これからも友達、でしょ」

 その言葉を聞いた時、私はあることを思い出した。これよりも更に前、辰喜が私に告白してきた、中一の冬の日のことを。

 あの日も私は今日と同じように霧の中を学校に向かって歩いていた。すると後ろから、私を呼ぶ声がして、振り返るとそこには息を切らせながら走ってくる辰喜の姿があった。

 私はいつも通り挨拶をしたのだけど、辰喜は真剣な顔で、私に告白をしてきた。

好きだ、付き合ってくれ。そんな感じの言葉だったと思う。だけど私は、辰喜の事をそう言う風に見てはいなくて。だからと言って友達としてなら辰喜の事は大好きだったから、私は辰喜の告白を断った後でこう言ったのだ。『これからも友達』と。

辰喜はやっぱり残念な顔をしたけど、すぐにいつもの調子に戻って、それからも私達はずっと友達を続けていた。

だけど去年の夏、辰喜から引っ越すことを告げられて、これからも友達だと言われたあの時から私の心に、よくわからないモヤモヤが広がって行った。

夏が過ぎ、秋が終わり、町を霧が包むようになっても、私のモヤモヤは治まらなかった。

私が受験の為近くの高校に行った日、辰喜も県外の高校を受験するため朝早く汽車に乗って出かけて行った。テスト前の休み時間は決まって二人で最後の勉強をしていたから、辰喜のいない受験は妙に心細かった。

それでも私は無事志望校に受かり、辰喜も合格したと聞いた時には、二人でハイタッチして喜んだ。けど、楽しい時間もそれまで。受験という大きな壁を乗り越えた私は、辰喜がいなくなるという現実を突き付けられた。

何か言わなきゃいけないような気がしたけど、何を話せばいいのかわからない私は、極力今まで通り振舞った。

普通に喋って、バカやって。そしてとうとう、卒業式前日になってしまっていた。

この日は半日授業だったけど、そのまま帰ろうという気にはなれず、辰喜に声をかけた。

「ねえ、これから皆で遊びに行くんだけど、辰喜も行くでしょ」

 あまり時間は残されていないのだし、辰喜も一緒に行くだろうと思っていた。けど。

「ごめん。今から帰って引っ越しの準備をしなきゃいけないんだ」

「今から準備って。引っ越し、そんなにすぐなの?」

「うん。明後日にはもう出なきゃいけない」

 唐突だった。てっきりもう少し猶予があると思っていたのに。どうしてもっと早く言ってくれなかったのかと思ったけど、きっと私が今まで引っ越しの話題を避けていたから言いだせなかったのだろう。

「引っ越しの準備なら仕方ないね。でも、明日の卒業式にはちゃんと来てね」

「勿論。じゃあ、また明日」

 そう言って辰喜は帰って行った。『また明日』と言えるのも今日で最後なのに、それがわかっていないのかと思うくらい、あっさりとした態度で。

 その後私は友達と遊びに行ったけど、なんだか全然楽しめなかった。

(何でこんなにスッキリしないんだろう?)

 二年前、私が辰喜に告白したというのなら話は分かる。だけど実際は逆だ。私が辰喜に告白され、それを断ったのだ。辰喜はあの時私の言った言葉通り、今でも良い友達でいてくれているけど、逆に私の方は近頃辰喜と一緒にいると何だか変だ。

仲の良かった友達と離れなければならない。それはもちろん嫌だけど、それだけじゃないような気がする。

それに、なんだか辰喜の平然とした態度にも腹が立つ。私の事好きだって言ったくせに、何であんなに平気な顔をしていられるの。少しは寂しいとか思わないわけ?

私は自分が振った事を棚に上げて辰喜に苛立ちを募らせる。

一度断られた女にはもう興味無しか?私の事なんてもう好きじゃないから離れても寂しくないのか?私はこんなにも辰喜のことが…

私がたまらなくなって枕を放り投げた瞬間、部屋のドアが開いた。

「あんた、何やってるの?」

 お母さんが仏頂面の私を見て眉をひそめる。

「何でも無い。それより、何か用?」

「電話よ。辰喜君から」

「辰喜?」

 急いで電話出ると、聞きなれた声がする。

『もしもし、芹?』

 辰喜の声だ。

『あのさ、明日だけど……朝、迎えに行っても良い?』

 辰喜の急な申し出に、私の思考が止まる。

『芹、聞いてる?』

「あ、うん。明日の何時くらい?」

『七時で良いかな』

 それはまた随分早い。普段ならようやく朝食をとるくらいの時間だ。でも…

「わかった七時ね」

 そう返事をした。辰喜といられるのも、明日で最後なんだ。

『じゃあ、明日迎えに行くから』

 辰喜はそう言って電話を切った。

「お母さん、明日七時に辰喜が来るから」

 それだけ言って、私は部屋に戻った。

「明日かぁ」

 私はポツリとつぶやいた。辰喜のやつ、何をするつもりなのだろう。


卒業式の日、私はいつもよりだいぶ早く起きて、制服に着替えた。この制服も今日で着納めかと思うと、何だか名残惜しい。

朝食を済ませ、歯を磨き終わったのが六時五十五分。もうすぐ辰喜が来る時間だ。

妙にそわそわした気持で辰喜を待っていると、玄関の戸が開く音がした。

「朝早くすみません、芹はいますか?」

 私は急いで玄関に行く。そこには昨日と同じ制服姿の辰喜がいた。

「おはよう辰喜君。今日も寒いわね」

 お母さんが辰喜にそう話しかけるけど、そんな事はどうでもいい。私は靴をはくと、辰喜を急がせた。

「ほら、行くよ辰喜」

「うん。それじゃあおばさん、行ってきます」

 私も行ってきますと言った後、二人して家を出る。

「今日もすごい霧だね。でも良かった。この分だと、雨の心配はなさそうだ」

 白く染まる町を見ながら、辰喜がそんな事を言う。私もせっかくの卒業式の日が雨なんてあんまりだし、最後の日に霧が無いのも嫌だったので同意見だ。

「ねえ、どうしてこんな時間に誘ったの?」

 当然の疑問を私が口にすると、辰喜は悪戯っぽく笑った。

「最後の日くらい一番に学校に行ってみたいって思わない?小学校の時もやったでしょ」

 私は「ああ」と声を漏らす。たしかに三年前もこんな風に一番乗りを目指して学校に行っていた。

「そんな事やってたね。早く行っても何にもないのに、バカだったね」

「バカをやらなくなったら僕らじゃないだろ。四月に川で遊んで風邪ひいたこともあったし、夏に隣の県まで自転車を漕いだこともあった」

「秋に田んぼの稲を倒してミステリーサークルを作って怒られたこともあったっけ」

 思い起こせばキリがない。私達はずっとそうやって馬鹿をやってきたんだ。

「僕が芹に告白したのも、こんな霧の日の朝だったっけ」

 あまりに唐突にそのことに触れられ、私は思わず足を止めた。

「あの時、これからも友達だって言ってくれて良かったよ」

 辰喜の言葉にギュッと胸が締め付けられる。

「あの後も芹が友達でいてくれたから、僕はこんなに充実した中学校生活を送れたんだ。芹には本当に感謝しているよ」

 いつしか辰喜も足を止めて、私達は霧の中で向かい合っている。

「ねえ、もしあの時私が告白をOKしていたら、どうなっていたと思う?」

「さあ。でも、もしもの事を考えても仕方ないよ。大切なのは今からどうするか、でしょ。ねえ、芹」

 辰喜がじっと私を見つめる。

「僕は今でも芹の事が好きだよ。僕はもうこの町にはいられないけど、それでもこの気持ちは変わらない」

 そう言った辰喜の目は二年前、私に告白してきた時と同じ目をしていた。

何で今更そんな事を言うんだろう。辰喜と一緒にいられるのは今日で最後なのに。これじゃあ何て答えても良い結果にはならない。

「私、夏に辰喜が引っ越すって聞いた時から、ずっと辰喜の事意識してた。それまでは告白なんて無かった事にして、今まで通り友達でいられたらいいって思っていたけど、どこかに行っちゃうってなったら急に寂しくなって」

 そうして意識したら、頻繁に二年前の告白の事を思い出すようになってしまった。今にして思えば、私はあの時ろくに考えもせず、今の関係が壊れるのを恐れて断ったのだろう。

 けど、そんな事とは関係なく、引っ越しという形で辰喜との関係が壊れようとしている。そんな時に再び好きだと言われて、私はようやく気がついた。辰喜が好きだという事に。

「ごめん芹。僕、引っ越しの事を話した時に、これからも友達だって言ったけど、あれ、守れそうにない。もう前みたいに友達だって自分に言い聞かせてられる自信がないよ」

 前と同じでいられないのは私も同じだ。もう辰喜の事をただの友達だなんて思えない。だけど。

「遅いよ。ごめん、私がもっと早く辰喜の事を見ていたら良かったのに」

「遅くないよ」

 そう言って辰喜は私に詰め寄った。

「話したければ電話すれば良いし、来月から高校生なんだよ。バイトでも何でもして旅費を稼いで、ここまで会いに来ればいい。昔やろうとしたみたいに、夏休みに自転車で来ることだってできるよ」

「それは、そうかもしれないけど」

 遠く離れてしまう事を考えると、どうしても不安になってしまう。でも不安だからといって、本当にこのままでいいのだろうか。

(私は前も、不安だったから辰喜の告白を断ったんだ)

 あの時は関係が壊れることを恐れて辰喜の気持ちに答えなかった。でも、今はちゃんと向き合っておけばよかったと後悔している。

「芹、もう一度言うよ。僕は芹の事が好きだ。離れてしまうけど、それでも僕と付き合ってほしい」

 そう言った辰喜の手が震えているのは、寒さのせいではないだろう。私はそんな辰喜を見て、言った。

「私も、辰喜と付き合いたい。遠距離とかどうすれば良いかわからないし、沢山迷惑かけると思うけど、辰喜はそれでも良い?」

「勿論だよ」

 そう言って辰喜は満面の笑みを浮かべた。それを見て私は、この寒さだと言うのに頬が熱くなっていくのを感じた。

 私達は示し合わせたわけじゃないけど自然とと手を繋ぎ、学校へ向かって再び歩きだす。

「結局卒業するまで九年もかかっちゃったな」

「九年?」

「うん、芹と友達を卒業するまで」

「バカ」

 私はそう言って、繋いだ手を強く握った。

 今度は中学校を卒業する番だ。辰喜と共に三年間を過ごした中学校も今年で廃校。私達はその最後の卒業生だ。白く染まる霧の町を、私達は歩いて行った。

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