第7話 各々の事情
言語と信仰を等しくする大陸だが、ここは東西南北、四つの国に分けられてもいる。その中でも特に大きい勢力は、北部の「魔導王国」と、南部の「軍事帝国」である。
精霊という神秘の力に愛された”エルフ”の治める「魔導王国」。
体に混ざる獣の血で他種を圧倒する”獣人”が支配する「軍事帝国」。
大陸内で最大の高度と面積を誇り、踏破不可能とまで呼ばれる大山脈によって分たれたこの二国は、険悪とは言い難いが友好的とも言い難い関係の上に成り立っていた。そのためか、余計な刺激を減らすためにも不法の入出国はこの二国間では特に厳しく罰せられた。当然、国境での見張りの目も厳しくなる。
つまり、滅多なことでもない限り、山脈を越えて逃亡など起こりうるはずも無いのだが。
そんな事情などものともせず少年は朗らかに笑った。
「僕は一年前までは帝国にいたんですけど、ちょっと事情がありましてこっちに来ました!」
「だからエルフじゃあないのか。ただの人間?」
「いえ、獣人です」
「それで今は流れ傭兵やってるのか」
「そうです! 実は帝国を追放されちゃって……ちゃんとした手続きも踏まずに来ちゃったので、流れの傭兵というわけなんです」
えへへ、と恥ずかしそうに頭をかきながら爆弾発言を連発するスピカ。噴水に並んで腰掛けた
「とりあえず、さっきは助けてくれてありがとうございました。ほんとに助かった」
「いいえー。怪我しなくてよかったですね」
「にしてもすごい強いんだなぁ」
「ご主人さまをお守りするために頑張ってるんです」
横で呪紋まみれの足を揺らしながら照れるスピカは、顔立ちは可愛らしく優しげで、丸い頬があどけない。体格だって弓月より一回りほど小さく華奢だ。大剣を振り回すより花でも摘んでいる方がよほど絵になるだろう。
(それに、16歳にはとうてい見えないし)
推定年齢14歳だったので、一つ下だと申告されたときはかなり驚いた。
この浮遊城内においては大抵の者が弓月よりも身長体格を上回る。弓月とて日本国内では平均より高めなくらいだが、エルフに混じってしまえばちんちくりんだ。ちんまりしたスピカにちょっと親近感を覚え、低い位置にある丸い頭をぐりぐりなで回した。
「………スピカ!」
いきなり後から悲鳴のような声があがった。聞き覚えのある声に振り向くと、昨日会ったばかりの女性が目に入る。透けるような白い肌を青ざめさせ、まろぶように走り寄って来た。後から「王弟妃殿下!」と慌てた様子のベテルギウスもついてくる。いつのまにか消えた姿にとっくに逃げたかと思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。
(でもなんでベガ姫?)
「スピカ! 何をしているの!」
「あっ、ベガ姫さま」
「勝手にわたくしの側を離れてはいけないといつも言っているでしょう!?」
「ごめんなさい!」
可憐な見た目に似合わずものすごい剣幕で叱るベガに、弓月は急いで訂正を入れた。
「あーいえいえ、違うんです。スピカは俺たちのことを庇ってくれて」
「あ、か、片割れ様……。すみません、みっともないところを」
はっとしたようにベガが口元を抑え、目を伏せる。長い銀色の睫毛がきらきらと輝いて本物の妖精のようだ。彼女は一度深呼吸をし、ぐるりと閑散とした中庭を見回すも、ぐでっと倒れ込む怪鳥と、半分壊れた鎖、そして返り血をあびたスピカの上着で大方の事情は察したようだ。細いため息をつかれてしまった。
「………とにかく、片割れ様も、ベテルギウス神官も、お怪我は無いですね」
「はい、すんませんでした」
「大変お騒がせしました、王弟妃殿下……」
「あの怪鳥の捕縛魔導具についてはわたくしからアルタイル様に申し上げておきますわ。スピカ、来なさい」
「はい!」
「わたくしたちはこれで失礼致します。………では」
「え、あの……」
昨日アルタイルと共に居たときと比べてだいぶ堅い態度だと妙に気になってしまう。が、口を挟む余裕も無く、麗しの王弟妃殿下は身を翻してしまった。可愛い傭兵も「ベガ姫さまー!」と子犬のように後をうろちょろと追いかけていく。遠くなっていく小柄な影を弓月はただただ見送った。
「………なんなんだ?」
首を傾げる弓月に、ベテルギウスは鼻を鳴らす。
「スピカ殿は王弟妃殿下の護衛なのだ」
「流れ傭兵じゃねぇの?」
「たしかに、強いて分類するならばそれだ。……スピカ殿はこの王国に忠誠を誓っているわけではない。もちろん帝国でもない。王弟妃殿下ただお一人だ。だから兵士や騎士の身分には当てはまらない」
―――――ご主人さまをお守りするために頑張ってるんです。
そう言って幸せそうに笑ったスピカの笑顔が脳裏を掠めた。なるほど、あれはベガのことだったのか。あの優しそうな少年が剣を持つことを決心するほどの何かが、二人の間であったのだろうか。
「そんな事情、貴様に教えてやる義理は無いな」
「あっそ。じゃあいいわお疲れー。せいぜい俺の呪いに震えて眠れ」
「ままま待て待て待て、おい、待て!!」
「言っとくけどあの魔導具は消化されないからな」
「国境近くで倒れていたスピカ殿を介抱したのが王弟妃殿下だったんだ!!」
今から約一年前。
王国と帝国を隔てる大山脈付近にある噂が立った。曰く、
『恐ろしい怪物の吠え声が聞こえる。猛獣や魔物すら、大山脈から追い出されてしまった。このままでは国が滅ぶ』
このままでは大山脈付近の民にまで被害が及びかねない。魔導王国側は急いで討伐隊を派遣した。その隊の一員として名乗りを上げたのが、当時、王弟妃候補としてとある村から城に召し上げられたばかりのベガだった。名家の出でも、大きな後ろ盾を持っていたわけではないが、彼女の美しさと聡明さは王都の上空、浮遊城にまで届くほどであったのだ。
『わたくしに行かせて下さいまし。この国の危機を黙って見過ごすなど、出来ませんわ』
兵士の中に女性を交えるなど、と反論があったが、ベガの魔導の腕は上級神官にも匹敵した。十分作戦の要になるとシリウス王は彼女の討伐隊入りをあっさり許可したのだ。
そして大山脈の麓に到着した討伐隊は、轟く怪物の吠え声にすっかり萎縮していた。やはり引き返し援軍を、と気弱な意見が出始めた時、先陣を切ったのはベガだった。
わたくしが3日戻らなければ、みなさん引き返して下さい。そう言い静止の声も振り切って大山脈に踏み込んだ彼女は、きっかり3日後に戻って来た。ぼろぼろの、黒髪の少年を連れて。
『彼が怪物の正体です』
呪いの力が暴走し怪物と化した少年を引き取ろうとする者は、ベガ以外一人もいなかった。彼女も、何も言わず少年の身元を引き受けた。
少年がベガの護衛となったのは、そこからさらに3日後のことだった。
「最初は当然揉めた。が、ベガ王弟妃殿下の寛大なお心に感動されたアルタイル王弟殿下は、なんとすぐに彼女との結婚を決められたのだ」
「はー、なかなかロマンチックなお話だなー」
ずず、と紅茶をすすりながら呟く。さすが異世界、ドラマみたいなラブストーリーも実現しちゃうのか。
結局、部屋まで上がり込まれ昼食をしこたま食い荒らされたベテルギウスは、イライラした様子を見せながらも紅茶のおかわりを注いでくれた。
「ほら、もういいだろう! これを飲んだら早く帰れ!」
「ありがと。でもこれ不味いからもういらない」
「何を!? 神殿に伝わる秘伝の茶葉だぞ!?」
「そんな良いもん馬鹿正直に出すなよ!」
そこまで言われれば完飲しない訳にはいかず、
「それは貴重な花と貴重な葉を混ぜ合わせ作られたものなのだぞ」
「貴重なもん入れときゃいいわけでもねーだろ……」
キャビアとフォアグラ混ぜてトリュフに突っ込む愚行に匹敵する。ベテルギウスはむっとした顔で「それだけではない」と続けた。
「神聖なものもきちんと配合してある」
「例えばどんな?」
「竜の唾液と人魚の涙とミノタウロスの体毛と大神官様の髪の毛と」
「ぶっっ!!!!」
「急になんだ行儀の悪い!! 汚いぞ!!」
「汚いのはお前だ!! なんつーもん飲ませてくれたんだよ!!」
なんだ唾液って。………なんだ髪の毛って! 白い部屋の澄ました彼のアレか。そんなもん提供するな。
帰ってやると叫んだら帰ってくれと叫び返された。
「お前末代まで祟ってやるからな!!」
「なんでだ!?」
弓月は後ろ手に乱暴に扉を閉め、悲痛な神官の叫びをシャットアウトした。
「はー……」
今日一日に出会った二人が濃すぎていろいろ疲れた。しかしこの程度でへばっていては話にならないだろう。
「明日、俺のことみんなに見せるっていってたもんなー……」
考えただけでげんなりする。だが出るといった手前、今更引き下がる選択肢は無かった。窓の外に広がる赤く染まり始めた夕焼け空が目にしみる。
どこの世界も空の色は変わらないらしい。
しばらく廊下の窓辺にてぼんやりと黄昏れてみた。この世界では時間はどう流れるのかは知らないが、日本なら今頃下校時刻だ。こちらにも学校はたくさんあるのだろうか。
(あっちはどうしてるのかな)
数分、頭を垂れて考え込んでいた弓月は顔を上げた。その顔には郷愁の類は見えず、むしろ能面のような無表情だ。数度瞬きを繰り返すと、いつも通りのさっぱりした表情に戻った。
「よしっ」
弓月は一度決めたら行動は早い。
城内をしばらく小走りで回り、偶然出くわした兵士に「しっ」と低い声で余計な動揺を禁じた。固まった哀れな兵士を音も無く物陰に連れ込んで囁く。
「―――なあ、アルタイル王弟殿下の部屋はどこだ?」
今日の最後の用事だ。後ひと頑張り、気を抜くわけにはいかない。
拝啓、親愛なき異世界のきみへ りっつ @aoaotaruta
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