第25話 あの山の向こうに……

「……ここが新しい集落」

 ニロブに背負われて川を渡ったクヌガはポツリと呟いた。

 東の空から朝日が昇りその光で新しい土地の全景が見えた。だが、疲れのためか誰の目にも感慨はない。

「クヌガ」

 前方からヌナバとサラメがやってきた。

「よく頑張ったな」

 ヌナバはクヌガの頭をクシャクシャとなでる。しかし以前のように笑顔になれない。

「さあ休んではいられない。ここで生活できるように環境を整えないとな」

 ヌナバはクヌガの背中を押しながら、そう言って励ました。


 東の山向こうから昇った朝日をトーマスは自身の部屋から見ていた。もう山は鎮火した様子だ。

 聞くところによると山火事が起こってから麓に集まっていた男たちは右往左往していたらしい。保安官からの命令では山から逃げてくる魔法使いを残らず仕留めるように言われていた。しかし、山の上では火の手が上がり、このままでは麓や町まで延焼してしまう。どうすればいいかと思ったがまさか山に登って保安官にお伺いをたてるような危ない真似はできない。

 仕方がないので幾人かの男たちが町まで戻り、町長に指示を仰いだ。

「ポンプを運んで川から水を汲んで麓の木々にぶっかけろ!それくらい考えたらわかるだろう!」

 町長のカインの檄で我にかえった男たちは大急ぎでポンプを運び出すために散らばった。カインは町に残っている女たちにも指示を出した。

「男たちが山に火を消しに行ってる。お前さんたちは山から火の粉が飛んできたら水をかけて消してくれ。大急ぎで井戸から水を汲んでおくんだ」

 女たちは手際よくカインの指示に従った。それだけでなくあらかじめ山側の家のいくつかに水をかけて延焼を防いだ。

 その活躍で町に火災が起こることはなかった。


「クヌガは逃げることができたのかな」

 それだけが気がかりだが確かめるすべはトーマスにはなかった。

 そうこうしているうちに診療所の方が慌ただしくなってきた。どうやらケガ人が運び込まれてきたようだ。

(まさか……)

 もしかしたらクヌガが運び込まれたかもしれない。そうでなければいいと思いながらトーマスは診療所に向かって走った。

 診療所は人でごった返していた。ケガ人もいるがそれ以上にケガ人を運んできたもの、ケガ人の家族もいた。

「トーマス!」

 背後から声をかけられ振り向いた。見るとドロシーが息せき切って駆けつけていた。

「うちのお父さん、来てない?イースタン退治で山の中に入って行ったの」

 トーマスは

「……ごめん、君のお父さんは見たことないから知らない」

 と正直に答えた。ドロシーは額を手で覆った。

「そうだったね。ごめん」

「診療所に入ればなにかわかるかもしれない。君のお父さんの名前を教えてくれる?」

 ドロシーは父親の名を告げて

「お願い、あたしも中に入れてもらえないかな」

 と頼み込んだ。

「人でごった返していて邪魔になるかもしれないから、わかったらすぐに知らせるから」

 トーマスはそう言ってドロシーをその場に残して診療所の中に入っていった。

 たしかに診療所の中はいっそう人だらけだった。話に聞いたことのある野戦病院とはこんな感じなのかもしれない。

 父アルフレッドや助手のジェイコブだけでなく母親のキャサリンやメイドのハンナも診療所の中で忙しく立ち働いていた。

 火傷を負ったもの、片目が潰れているものがいた。収穫祭の時にトーマスやジェイコブを殴った男たちもいた。ジェイコブはそんなことは忘れたとばかりに彼らのケガを治療していた。

 トーマスは誰にドロシーの父親のことを尋ねようかと見まわしたが、誰一人としてトーマスのことを気にかけるものはいなかった。

 このまま診療所を出ればドロシーに合わせる顔がない。なんとか隅にうずくまっている自分と同じくらいの背格好の子どもを見つけたので声をかけた。

「ねえ、セバスチャン・ローラットさんって知らないかな」

 その時、背後から

「そいつに近づくな!」

 と大声で叫ばれた。ビクリとしてトーマスは思わず子どもから後退った。

 振り返ると右目に包帯をまかれている最中の男がこちらを向いていた。たしかアーロン・ハッチンソンの一番上の兄だったか。

「ねえ、ローラットさんを知らない?」

 トーマスはその男に聞いてみた。男は答える代わりに

「逃げろ!」

 と叫んでジェイコブの傍らに置いてあった診察鞄をこちらに向かって投げつけた。

「なにするんだ!」

 トーマスは飛んできた鞄を避けると男を睨みつけた。

「鞄なんかたいしたことない。お前、そいつに近づくと殺されるぞ」

 男はそう吐き捨てた。

 トーマスが振り返ると鞄にあたった子どもがよりいっそう部屋の隅でうずくまってしまった。だが、こちらを睨みつけたまま。

「ローラットさんも保安官もそいつに殺されたよ。情け容赦なかったぜ」

 男は子どもを指さして言った。

「……ローラットさん、死んだの?」

 トーマスが男に詳しいことを聞こうとした時、

「トーマス、部屋に戻っていなさい。ネイサン、君も治療中なんだからそんなに暴れるな」

 と、アルフレッドがたしなめた。

「でも、ドロシーが。ローラットさんの家族が探してるんだ」

「部屋に戻っていなさいと言ったはずだ」

「トーマス、お父様の言う通りになさい」

 キャサリンも父親の後押しをした。

 診療所の扉を開けると外は人々でごった返していた。その中にドロシーがこちらを見つめて立っていた。

(いったいなんて言ったらいいんだろう)

 トーマスは彼女の顔を見ながら考えていた。


 クヌガは左腕に出来る限りの薪を担いで持ってきた。

 慣れない左腕での作業は困難を極めていた。だが、今はこれでなんとかやっていくしかない。

 みんな以前の集落から持ってきたテントや簡易小屋を建てている。

 十年前にも経験しているからか部族のみんなには悲壮感は少ない。大半の子どもたちも不安よりもこれからの興味の方が大きいようだ。これなら大丈夫かもしれない。

 簡易小屋を作るために倒した大木の切り株の側に持ってきた薪を降ろした。今からこれらを細かく割って火をたく燃料にする。本来なら割ってから数年かけて乾燥させるのがいいのだが、ここでの生活は一年が限界とナボルが言っていたそうだから誰かが魔法を使って強制的に乾燥させると思う。クヌガはとにかく言われた通りにできるだけたくさんの薪を割らなくてはいけない。

 一つ目の薪を切り株に乗せた時に気がついた。左手一本でこの作業をやるのは難しい。薪を乗せて左手を刃化して割って、また左手を元に戻して新たな薪を乗せて刃化してまた割る。この作業はかなり面倒だ。

(誰か薪を乗せるのを手伝ってくれないかな)

 辺りを見回すと誰かが木の陰に座って森のほうを眺めていた。アラルトだ。おそらくマシュリが戻ってこないので放心状態になっているのだろう。気持ちはわかるがそれでは困る。これからみんなで新しい生活を乗り切らなくてはいけないのに。そのためにマシュリは残ったのだから。

 アラルトのところに向かおうとした時、先客がいたことに気がついた。ペイとルルンだ。

「ねえ、アラルト。みんな一生懸命働いてるの。一緒にやろうよ」

「仕事がいっぱいあって手が足りないのよ。逃げる時になにも手伝わなかったんだからやってくれていいじゃない」

「ルルン!そんなふうに言わないの」

「だって……」

 そんな二人の言葉もアラルトの耳には入っていない様子だ。

 その時、三人の視界の端に一つの影が見えた。クヌガがアラルトの背後から近づいて彼女の左側から左手を差し伸べた。

「……手伝って」

 クヌガはただひと言だけ言った。

 ペイとルルンはなにごとかわからずにうろたえた様に様子を見ていた。アラルトは不機嫌を隠そうともせずにこちらを睨みつけていた。

 やがてアラルトは立ち上がり、

「……ペイ、ルルン。あたしはなにをしたらいいの」

 と言って三人で歩き出した。ペイとルルンはオドオドと振り返ってクヌガの方を見た。

 クヌガはため息を一つこぼして山の方角を見た。森の木の高さに隠れて山は見えなかった。

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イースタン 塚内 想 @kurokimasahito

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