3.生きる糧

「今日の試合はどうだったのー?」

「4の2。まぁまぁかな」

「わーすごーい!」

「でも相手のピッチャー大したことなかったから」

「でもでもすごいよー」

「んーそうかな。ありがと」


 部活の帰り道、駅で麻衣子と待ち合わせて2人で河川敷を歩く。肌寒い秋の夕暮れに照らされ、彼女の顔が赤く照らされている。中学の時からろくに勉強をしているように見えなかった麻衣子は、高校に入ってからやけに勉強に力をいれるようになった。今年の夏休み明けからは隣町の予備校まで電車で通っているらしい。本人は「これからの時代は女の子も自立しなきゃいけないじゃーん」とか言っていたけれど、きっと何かくだらない理由を隠しているんだと思う。


 麻衣子とは中学の終わりから付き合い始めて、もう1年半くらいになる。周りから見ればフレッシュ仲良しカップルといったところだけれど、実態はマイペースな彼女と振り回されっぱなしの彼氏。今だって、「朝雨降ってて駅まで歩いたから、帰りチャリ乗っけてよー」と呼び出されているところだ。こっちだって1日で2試合こなしてクタクタだっていうのに、なかなか人使いが荒い。1つ年下とは思えない本当に生意気なやつだ。それをきっぱりと断らない俺も俺なのだけれど。


 駅から家までは自転車で10分くらい。麻衣子と俺の家は自転車だと3分ほどの場所にある。大して遠い距離でもないのに彼女が1人で帰りたがらないのは、彼氏と時間を過ごしたい(…だよな?)というのもあるけれど、他にも理由がある。このあたりには路上生活者が大勢いるのだ。「たまにこっちをジロジロ見てくるから怖いんだ」と麻衣子は時々愚痴をもらしていた。幸いこれといった事件は起こっていないのだけれど、地元の将来が不安だ。


「明日は台風で土砂降りらしいよー」

「まじかー。練習休みだなこりゃ」

「ふふっ、休みたいんだー」

「んなことはないけどさ」


 河川敷ではいつものように地元の子供達がボール遊びをしていた。小学生だろうか。今日はサッカーの日のようで、カバンで適当にゴールを作って走り回っている。俺も昔は無邪気にここで遊んだものだ。今はあの時ほど純粋にスポーツを楽しめてはいないかもしれないけれど、それはそれで、でかい目標を目指して頑張っている。今日だって明日だって、クソ真面目な夢があるから厳しい練習を乗り越えられる。麻衣子を送り届けた後、俺はいつものように公園で軽くスイングをしてから家に帰った。体つきが一回り大きくなったこともあって、以前以上に気持ちの良いスイング音が響くようになったと我ながら感心している。


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 翌日の練習は、本来ならば朝から夕方までスケジュールだったが、顧問の判断で午前で切り上げとなった。正午から降り始めた雨が予想以上に強まったためだ。「久しぶりにゆっくり休めるな」と思いながら、俺は嵐の中をダッシュで帰っていった。


 家に帰るなり、母さんが「あーちょっと待って待って」と玄関で俺を待たせた。バスタオルを受け取り、びしょ濡れのユニフォームをその場で脱ぐ。


「連絡してくれたら迎えに行ったのにー」

「別に大丈夫だって」


 部活のメンバーでは両親に送り迎えを頼むやつなんていないから、どんだけしんどくても呼んじゃいられないのよ。その優しさは受け取っておくけど。


「なんだか小さな男の子が北豊川に流されたらしくてー、あんたじゃないかなって少し心配してたのよー」

「誰が小さな男の子だよ」


 母さんの心配性は置いておいて、北豊川といえばいつも通る近所の川だ。さっきも走って通ってきた。大雨で濁った水が唸るように流れていたけれど、あそこに子供が流されていたなんて…。まじかよ、助からないだろ。


「親御さんの気持ちを考えると、やってられないわぁ。無事だと良いけどね…」


 子供が流された件については、全国ニュースでも放送されていた。俺の地元がこんな形で有名になるとは。近所の人間は揃いも揃って無事を祈ったが、誰もが最悪の結末を予想していた。

 しかし、夜になって事態は好転した。各テレビ局は一斉に「男の子、無事保護される」と緊急速報を流した。なんとあの激しい濁流に流されもなお、男の子は無事だったのだ。しかも驚いたのは無事だったことだけでなはい。彼は自力で市内の病院まで歩いてきたと言うのだ。


 その子は友人とボール遊びをしていた最中、川に転落した。川に入ってしまったサッカーボールを取ろうとして誤って転落、増水した川の中で身動きが取れず流された。友人たちが必死に追いかけたが、すぐに見えなくなってしまったらしい。すでに川上で雨が降り始めていた頃だった。

 彼が言うには「気付いたら、おじさんが隣にいた」のだそうだ。目を覚ました後はそのおじさんに連れられて、病院までやってきたらしい。病院につくとおじさんはいなくなってしまったそうだ。男の子は裸足の状態で病院内に入ってきた。傷だらけ体を見て大人たちはさぞ驚いただろう。幸い命に別状はなく、謎のおじさん?について話し続けることを除けば、意識もしっかりとしているようだ。


 男の子の父親は無事を報告する記者会見の席で、「神様はいるんだと思いました」と何度も涙声で話していた。ここでいう神様は、終局的な神か、それともおじさんのことか。真相ははっきりしないままだった。


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 翌日は嵐が嘘だったかのような晴れっぷりだった。夕方、いつものように部活を終えて1人で帰宅する。麻衣子は「今日は友達と勉強するから帰ってよし」と言っていた。別におまえの許可がなくとも俺は帰る。


 今日は河川敷で遊ぶ子供たちはいなかった。さすがにこたえてしまったのだろうか。俺は少し興味が出て、水辺のすぐそばを歩いてみることにした。まだ水は増水していて、勢いがある。少し怖い。


 数100m歩いて、橋のそばまでやってきた時、ふと前方に小屋のようなものが見えた。小屋といってもダンボールとブルーシートで作られたひどいものだ。いつもは目をやらない場所にこんなものがあったとは…。近づいてみると、小屋の脇にあるキャンプ用椅子に、おっさんが座っているのが見えた。俺が近付くとチラッとこちらを振り返り目が合った。「あ、ちゃんと生きてる」と思った。それほどにひどく痩せて、おんぼろの格好をしていた。このおっさんがこの辺りで怪しまれているホームレスの1人なのだろう。チラッと目が合うだけで攻撃的な何かを感じて、身がすくんでしまった。麻衣子が怖がるのも納得する。


 俺はおっさんと目をそれ以上合わせないようにして、その場を通り過ぎようとした。しかし、なぜかその間もずっとおっさんの視線を感じていた。俺は気になって後ろを振り返る。やはりおっさんはこちらを見つめていた。ギョッとした。…と同時に俺はあることに気づいた。

 

 おっさんの足元に子供用の靴が一足転がっているのだ。


 俺の背中には金属バットがある。もしものときはどうにだってなる…。


「あの、突然悪いんですけど…」


 おっさんはこちらを見たまま、何も言わなかった。ただやけに力強い視線をこちらに向けるだけだ。


「その靴、誰のっすか?」


 おっさんはそれでも黙っていた。


「あの、昨日この辺りで子供が溺れちゃったらしいんですけど、その子が靴履いてないまま見つかったらしくて…。もしかしたらその靴って…」

「ほらよ」


 おっさんは短く言って、俺の方に靴を放り投げてきた。俺の足元に靴がドタドタと転がる。


「おめぇでそのガキに届けてくれ。悪いがもう片方は知らん」


 ひょっとすると、俺は今多くの人が抱える事件の真相を目の当たりにしているのかもしれない。勉強が大して得意でない俺にだって、そのくらいの予想はできる。


「おじさん、昨日この辺りで溺れてる子を見かけませんでしたか?」

「あぁ、そこの中洲に引っかかってるガキがいたな」


 やっぱりこの人だ。この人がニュースで何度も放送されていた「神様」と言われているおじさんなのだろう。


「失礼ですが、ニュースなんて見ますか?」

「…そんな優雅な生活に見えるか?」

「すみません…。あの、昨日からニュースで溺れた子供が助かったってこのあたりじゃ噂なんですよ。あなたが助けたって分かったら、もはや有名人ですよ!」

「そりゃめでてぇな」

「警察でも役場でも今から行ってみてください!男の子のご両親もあなたを探してますよきっと!」


 おっさんはゆっくり立ち上がって、僕に向かって言った。


「あのさ、わかったから帰ってくんねぇかな」


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 おっさんの冷たい目線は、変に目の奥に焼き付いた。子供靴を家に持ち帰ったものの、俺は何をどうすれば良いのかわからなかった。

 警察に届けようとも思ったけれど、なんだか面倒なことになりそうだし、一般人の俺が男の子の住所を知っているはずもない。大人に話して事が大きくなるのも嫌だと思い、ひとまず麻衣子に相談してみたが、彼女は「んー関わらない方がいいんじゃない」と「なんか気味悪い」と繰り返すだけだった。その通りだと思った。


 しかし俺はどうしても納得できなかった。おそらく日本中で自分だけが、全国ニュースにもなった事故のキーマンを知っているという事実。そして何よりも、おっさんの言動が気にいらなかった。


 俺は翌日、改めておっさんを訪ねた。おっさんは昨日と同じように、小屋の脇に座って川を眺めていた。やけに遠い目をしているように見える。今日もお守りとして背中には金属バットを背負っている。俺は子供用の靴が入ったビニール袋を片手に、おっさんと対峙した。


「こんにちは。この靴なんですけど、やっぱり僕にはどうしようもできません。おじさんが男の子に届けてください」


 おっさんは今日は目を合わせようともしない。俺は負けずに攻め入った。


「昨日の夜もニュースやってました。男の子も両親も、大げさかもしれないですけど、日本中があなたを探しています。これはチャンスだと思うんです。ほら、もしかしたら謝礼とか、もらえるかもしれないじゃないですか?そうしたらおじさんもまた新しい人生を歩めるじゃないで…」

「金も新しい人生もいらねぇんだよ、わかったら帰れ」


 おっさんは昨日と同じ口調で言葉をぶつけてきた。大人に強い口調で物を言われると、足がすくんでしまう。でも今の俺は試合中と同じような興奮状態にいる。ここで引くわけにはいかない。


「おっさん、何のために生きてんだよ。いつまでこんな生活してんだよ」


 おっさんは黙った。さすがに言い過ぎただろうか。暴れ出したらその時はその時だ。問題を起こさない程度に立ち向かうしかない。


「帰ってくれ」

「それはできません、この靴を受け取ってください」

「…チッ」


 おっさんは俺に聞こえるように舌打ちをした。


「おめぇには何もわからねぇよ。俺は金もいらねぇし、新しい人生もいらねぇ。生きる意味もねぇ、ここで死ぬのを待ってるだけだ」

「なんでですか?おじさんにだって、家族とかいるんじゃないですか?」

「…」


 おっさんは再び黙ってしまった。しかし、それは俺を突き放すような黙り方ではなかった。ふと遠くを見ながら、記憶を辿るようにただ黙った。俺は次の言葉を待った。長い沈黙のあと、おっさんはゆっくりと口を開いた。


「家族なんざぁ、とっくに死んだ」


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 おっさんは始めは面倒臭そうに、しかし少しずつペースを早めながら、俺に半生を話してくれた。

 おっさんは元々は建設関係会社の社長をしていたそうで、その昔はバリバリのビジネスマンだったらしい。当時は奥さんと小学生の子供がいたそうだ。しかし、家族には目もくれずに仕事に明け暮れていた。世のため、町のため、社員のため、家族に安心を届けるために、おっさんは働いた。いつしか働くことがおっさんの生きる糧となっていた。


 そんな中、不幸があった。自宅が火事になって妻と子供が亡くなってしまったのだ。出火原因は火の消し忘れと見られた。会社を手伝いながら、子育てに家事に奔走していた妻の気疲れに、おっさんは気づくことができなかった。

 骨となった2人を前におっさんは固まった。自分が今どんな状況にいるのか客観的に見つめることができなかった。涙も出ない。現実を受け入れることができない。それに、妻と子供にどんな言葉をかけたらいいのかわからなかった。何が好きで何に悩んでいたのか、あんなこともあったなと話すこともできない。ただただ、「ごめんな…」と謝り続けた。


 心を病んでしまったおっさんの会社は倒産して借金を抱えた。その頃は何度も自殺を考えたらしい。でもできなかった。「死のうとする度にあいつらの顔が浮かぶんだ。自分たちは苦しんで死んだのに、おまえは楽して死ぬのかと言われてるみたいでな」とおっさんは呟いた。


 そうして今のような生活を始めて10年が経つそうだ。おっさん確かに「死ぬのを待ってるだけ」と言った。「子供が生きてたら、ちょうどおめぇくらいだろうな」と俯いた。おっさんは、ときどき俺のことを懐かしむような目で見てくる。


「だから、金も名誉も必要ねぇんだ。その靴はおめぇさんにやる。謝礼だかもらえるんだろ?」


 麻衣子の言う通りだ。関わらない方が良かったのかもしれない。このおっさんにどんな言葉をかけるべきか、高校生の分際で思い浮かぶはずがない。俺に何かできることがあるのだろうか…。


「あの!」

「なんだよ、まだなんかあんのかよ」


こうなったら、何もわからない若造らしく、振舞うしかない。


「野球とか見ますか?」


 突拍子もないことを言った。しかし、もはや難しく考えたって答えは出ない。俺が話題にできることなんて野球くらいしかない。


「昔はよく見たけどな。巨人が好きでよぉ」

「なら、野球見に来ませんか?」

「あぁ?」

「こう見えても僕、高校野球でクリーンナップ打ってるんですよ。自分で言うのもなんですけど、有名大学からスポーツ推薦の話も貰うくらいの選手なんで!」

「なんでおめーの野球を応援しなきゃいけねーんだよ」

「野球好きのおっさんの子供だったら、大きくなったら野球やってたんじゃないかなとか思いまして」

「…」


 さすがに子供の話を出すのはまずかっただろうか。おっさんの顔が曇るのがわかった。


「あ、ごめんなさ…」

「悪いが帰ってくれ」


 地雷を踏んでしまったと思って、俺は足早にその場を去ろうとした。がしかし、すぐにおっさんに声をかけられる。


「おい。試合、いつだよ」


 俺は高校球児らしく、さわやかに力強く答えた。


「来週の日曜、市民球場で13時からです」

「そうか。じゃおまえさんの屁っ放り腰でも拝みにいくか」


 おっさんは目を合わせずに照れ臭そうに言った。


「あの、おじさん聞いてました?こう見えて、そこそこ良いバッターなんで。外野で見てくれれば、おじさんまで飛ばしますけど?」


 おっさんはこちらを向き直って、汚い、それはそれは汚い笑顔で言った。


「ははっ、そりゃ日曜が楽しみだ」

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