ある決着(後)
「何故だ。何故見落とした」
立ち上がれないまま顔を覆っているガーランドへ、僕は語りかける。
「気づかないと思いました。貴方は……僕の中の先生のマナはともかく、僕の作った杖なんかには全然興味が無いから」
見ることと、観察することは違う。いくら魔女の眼を持っていても、意識して見なければそれはきちんと頭に入らない。
僕は素材の違う複数の杖をわざと床に転がして、マナの色を分かりづらくしておいた。本来なら作業場の床に物を散らかしておいたりはしない。
「……騙したな。私を」
ガーランドは恨みがましく僕を睨みつけながら、それ以上何も言えないようだった。
理由はわかる。これは、ガーランド自身も過去にやった事だからだ。相手を欺いて呪いを返す。それを卑怯だと罵れば、その言葉が全て彼自身に返る。
一方で、僕も勝ち誇ったり嘲ったりできるわけではなかった。人を騙し、罠にかけた。褒められた行為でない事に変わりはない。
「これは、ライラの命令か。あいつがやれと言ったのか?」
「いいえ」
それは、はっきりと否定しておかなければならない所だ。
「……先生は、最後までそれを避けてた。人を恨んで、憎んで、それだけで終わる生き方をしたくないと思っていた」
言葉に出すと、それを僕に告げたアイーダ先生の顔や声が心の中へ浮かび上がってきて、ちくりと胸が痛む。
手にした杖をもう一度強く握り直した。
「だから。これは僕の意思です。僕の考えでやりました」
「馬鹿なことをしたな。どれだけの損失かわかっているのか?」
次第にガーランドの声に熱が篭り始めている。打ちひしがれ、どうあるべきかを見失いかけていた心が、僕への憎悪でまとまり始めているのかもしれなかった。
「今の、この国の豊かな暮らしは私が作った。私にはこの先もやるべき事が山のようにあった。お前に空を飛ぶ船が作れるのか。あらゆる病に効く薬を作れるのか!」
「……いつか、誰かがきっとそこへたどり着きます。僕や貴方ではない誰かが」
「いつか! いつか、だと!」
ついにガーランドは立ち上がり、目を剥いて叫び始めた。
「その間にどれだけの命が失われると思っている! お前の所為だ。技術の遅れのために、多くの人が命を落とすのだ!」
無数の、顔のない人々の影が立ち上がり、僕の身体に纏わりつく。苦しみ、恨みの声を上げる。
それは魔法でも呪いでもなく、僕の心が見せる幻だ。
「……そんなのは言い訳だ」
「何だと?」
幻の腕に身体のあちこちを締め上げられながら、僕は言う。
「あなたは、人の命を言い訳にして、本当は負わなきゃいけない責任から逃げてる。そのくせ、名誉や、賞賛だけは欲しがってる」
「子供が。何を……」
マナを見る目を持っていても、心の中まで見通せるわけではない。だからこれは、確信を持って言えることではない。
ただ、考える時間はひたすらにあった。僕自身が何を思い、どう伝えるべきか考えてきたことを、ここで話すべきだと思った。
「あなたは、命を救うのが、どこかの誰かではなくて、自分の功績でなくては嫌なんだ。そうじゃないですか」
「悪いのか? それの何が悪い。結果として多くの人間が助かる」
ガーランドの形相が変わっている。
今にも、刺し違えてでも魔法を使って僕の命を奪おうとするような、そんな鬼気迫る表情だった。
この人と自分に、どれだけの違いがあるだろう。もし、何もかも自分の思い通りになるような力が手に入ったならば、僕はこうはならないと言い切れるだろうか。
誰かに認められたい。自分の名前を、消えないように世の中に残したい。それは、誰でも持ち得る欲じゃないだろうか。
それでも。
「そのために、先生のような犠牲を二度と出して欲しくない」
これは僕の心からの気持ち、偽りのない本音だ。ガーランドがこの先普通に魔法を使ってこの国を豊かに導いていくとしたら、それは一つのやり方ではある。
けれど、この人は躊躇いなく僕にも呪いを使った。この先もまた同じような事があれば使うつもりだっただろう。僕はそれを許すわけにはいかなかった。
群がる幻を打ち払う。
「たくさんの人のために、優しい人が一人で苦しんで、我慢して、ただ奪われるだけの人生を送るなんて、あっちゃいけない。僕はそう思った。だから、貴方を止めました」
僕とガーランドは、正面から睨み合った。たっぷりと沈黙の時間が流れ、先に目を逸らしたのはガーランドの方だった。
「馬鹿馬鹿しい。何の犠牲もなく物事を進めることなど、できはしない」
「だとしても……やったことの責任は取るべきです」
「責任。これが、そうだというのか。魔法を使えない身体になる事で責任を取れと」
手のひらを、自分自身の放った呪いに染まったマナを見つめてガーランドは溜息をついた。
「いいえ。まだ、終わってない」
「終わっていないだと……これ以上何をどうしろと言うんだ」
「あなたは、人と、魔女が、一緒に生きていける世界を作るんです」
「は……はは!」
ガーランドは、泣き出しそうな、笑い出しそうな、何とも言えない表情を作った。
「何を馬鹿なことを。出来るわけがない! 人と魔女の関係が何百年続いて来たと思ってる? 今更私一人が騒いでどうにかなるものか!」
「出来る、出来ないじゃないんです。やるしかないんだ」
「何を……」
心臓が激しく脈打っている。改めて口に出すと、自分がいかに突拍子も無いことを言っているのか、その度合いがよく分かる。
「表の世界で生きて行きたければ、もう、今の世界を変えるしかない。それを目指すしかないんです。貴方も、僕も、後戻りはできない」
僕も、という言葉に反応して、ガーランドは目に見えて狼狽した。
このまま何も変わらないのだとしたら、結局どこかで、同じように魔女は消えていく。それは僕の望む未来じゃない。
「貴方なら、僕よりもずっと効率が良くてましな方法を思いつくかもしれない。だから、お願いします。貴方も考えてください」
僕は一歩踏み出し、ガーランドは一歩後ずさった。
「お前は狂っている。お前は狂人だ」
「そうかもしれません」
否定する気にはなれなかった。
「少なくとも……以前の僕なら、できなかった事をやっています。その自覚はある」
何故そうなったのか。それは喪ったものが大きすぎたからだということは、言外に伝わったのだと思う。
この人が引き起こした事態が、巡り巡って僕を変えたのだ。
ガーランドは僕に背を向け、入ってきた扉に手をかける。そのまま去るのかと思えば、立ち止まって呟いた。
「……一つだけ、分からない事がある」
今までで一番弱々しい声。
「なぜ、ライラは君に真の名を教えなかったのか。持てる知識全てを残せば、相当な助けになったはずだ。君はそれだけの信頼は得ていただろう」
その答えは想像するしかない。けれど、間違ってはいないと思う。
「先生は、僕に人として生きて欲しかったんだと思います。魔女ではなくて」
「なら、尚更分からない……なぜ君はここに居た。この場で杖を作り続けていたら、すぐに魔女の眼が開いてしまうのは分かっていたのではないか」
僕は俯いて爪先を見つめた。
先生の気持ちを分かっていながら、それに背いた理由は一つしか無かった。
「代償を支払ったんです。貴方を騙すのに、僕が何も失くさないわけにはいかなかったから」
格好つけているような気がして、慌てて付け加える。
「……片目だけですけど」
ガーランドは肩を震わせて笑い始めた。
「ライラはよほど君が大事だったようだ」
僕は戸惑う。ガーランドの口調からは、今まで必ず含まれていた、僕を試したり操ろうとするような意図が、全部消えて無くなっているような気がした。
「あの日からずっと、頭の中で声がする。ライラの母親。それに、何人もの知らぬ魔女の声。こうなると知っていたら、私は……魔女の名など聞かなかった」
僕は、その時ようやく目の前の人の奇妙な行動に納得が行くような気がした。
ガーランドは先生の母親の魔女、その真の名を知って全てを受け継いだ。もしもその時に、他人の考えや、覚えのない感情まで引き継ぐのだとしたら。それは毒のように、病のように、受け継いだ者の心を蝕むのかもしれない。
あるいは、それらは全ては錯覚で、この人を責め苛んでいるのは自身の後悔なのかもしれない。
判断のつかない事だった。マナを見る眼があっても、心まで見えるわけではない。
それでも、先生を追い詰めているようで、何故か決定的に全ての希望を奪ったり、命を奪ったりはしない、その付かず離れずの距離の理由は分かったような気がした。
もう一言何か声をかけようと思ったその時には、ガーランドは扉を開いて外へと歩き出していた。
これ以上の干渉を拒絶するように、扉は音を立てて閉まった。
残された僕は、大きく息をついて、ゆっくりと部屋の中を見渡した。
無数に罅の入った作業台、小さな食卓、埃を被った棚、薪の燃え滓が燻る暖炉。それらを目に焼き付けた。
一つの決着がついた。この場所で僕がやる事は、全て終わった。
もう、ここに居るべきじゃない。
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