ある決着(前)

 ナイフを持った手を止め、少し顔から離して全体の様子を見る。真っ直ぐな枝ではないけれど、力の流れ自体は悪くない。荒く節くれだっている箇所をもう少し削ってやれば、いい杖になりそうだ。


 大きく息を吐いて伸びをする。一息ついたついでに暖炉に薪を足そうかと考え、それほど肌寒くもないなと思い直す。

 最近は雪も少なくなり、少しずつ風が暖かくなり始めている。春が近づいているのだ。


 扉に付いた飾りがかたかたと音を立てた。アイーダ先生が居なくなっても呪いの仕掛けは残り続けている。先生が亡くなってから、この音を聞くのは二度目だった。

 ややあって、外から扉が叩かれる。


「どうぞ」


 閂はかけていない。扉は開き、思った通りの人物が顔を見せた。


「……これはまた、酷い有様だな」


 開口一番、ガーランドは嘲笑した。

 それは僕の周囲、床に転がる何本もの杖を見ての言葉か。それとも、すっかり金色に染まった僕の右目を見ての言葉か。どちらとも取れる。


「ライラはもう逝ったのか」


 部屋の中を見渡し、誰の気配もない事を確認してから、ガーランドは家の中に踏み込んで扉を閉めた。


「年を越す前。雪の降り始める頃には」

「そうか。結局、何も出来ずに死んだな」


 許しがたい言葉を吐く。予想はしていても思わず頭に血が上りそうになる。

 でも、この人はそれを狙っているのだ。誘いに乗れば僕の思考は単純になり、この人が知りたがっていることを話してしまう。以前対峙した時は実際にそうなった。

 冷静に観察していれば、その狙いが見えてくる。だから僕は、作業場の椅子から腰も上げず、努めて静かに対応する。


「何も、っていうことはないです」

「では何ができた?」

「僕は杖の作り方を教えてもらいました」

「それが何になる。どんな形で世に残り、誰に認められる」


 溜息をつき、両手を大きく横に広げてみせる。動作の一つ一つに、僕の神経を逆撫でしようとする意図が込められているのが分かる。


「あれは無駄に生き、無意味に死んだ。私の元へ来ればもう少しましな生き方が出来ただろうに、つまらない意地を張るからだ」

「意地を張っていたのは、貴方の方じゃないですか」

「何がだ」


 初めて、ガーランドが意外そうな声を出した。


「貴方は……先生に酷いことをしたけれど、死んで欲しくはなかったんじゃないですか。もし本当にそうしたければ、いつでも出来たんだから」


 この人はこの場所を知っていた。町の人々に教えることもできた。そうしなかったのは何故か、僕はずっと考えていた。


「それは君の勝手な想像だ」

「はい。でも、外れてはいないと思います」


 油断なく杖を構えるその人を、僕は挑むように見据える。石のナイフは手に握りしめたまま。


「ここにずっと来なかったのも、見たくなかったんじゃないですか。先生が死ぬところを」

「どうやら私はずいぶん甘く見られているようだね」


 ガーランドは杖をつきながら歩く。話しながら、壁にかけてある狩りのための弓と、僕との間に割り込む位置で立ち止まる。


「……そうとしか思えないんです。先生が生きていること、杖を作って、他所の国に売っていること。貴方にとっては邪魔でしかなかったはず」

「邪魔? 別に。それほど邪魔ではなかったさ。そう思っていたのはライラだけだ」


 余裕を示すような低い笑い声から、たっぷりと間をおいてガーランドは告げる。


「チックは元々私の部下だ。ライラが作った杖は売れてなどいない。全て破棄させている」


 そう言い終えた後には、僕の反応を見逃すまいと鋭い視線を送っている。

 この人は、本当に恐ろしい人だ。僕よりもずっと色々なことを考えているし、あらゆる事に対して抜かりなく準備をしている。情に流されない、冷徹なほどの決断力もある。


 でも、万能ではない。知らない事があり、見落とす事がある。用意周到な人ほど、そういうものに足をすくわれるのだろう。


「尚更、変ですね」


 ガーランドは怪訝な顔をしている。僕が激昂するか、絶望に包まれて落胆するか、どちらかの反応を予想していたのだろう。


「先生が杖を作る事自体はやめさせずに、わざわざチックさんにお金を払わせて、引き取った杖を壊す。しかも、その事はずっと黙っていましたよね。何故ですか」

「いずれ明かすつもりだった。真実を知ればさすがに私の言うことを聞くようになると思ってね」

「嘘だ。それなら、以前ここに来た時に言うはずです。あれが最後の機会だった」

「聞き分けのない子だな」


 表情は変わらない。が、声音に苛立ちが含まれている。それを誤魔化すように、ガーランドはひとつ咳払いをした。


「どうも解せないな。自分の師が死んだというのに、君のその落ち着きようは何だ? もう少し、自分の非力を恥じるなり、悔やむなりしたらどうだ?」


 煽り方を変えてきた。その方向も想定はしている。


「それは、もう済ませました」

「思ったより薄情な子だな」

「……考える時間はたくさん有りましたから」

「それだけか? 君はライラから、真の名を聞き出したのではないか」


 痺れを切らしたように、唐突な問いが発せられた。

 この疑いこそが、この人がわざわざここへ来た理由であり、僕を怒らせてでも聞き出したかった事なのだろう。


「君はライラの知恵と記憶を受け継いだ。私が持っている知識、受け継がれてきた魔女のそれに比べれば、小さく価値の薄いものだがね。違うかな?」

「……違いますね」


 無論、僕ははっきりと否定する。


「僕が先生から教わったのは、魔法の杖の作り方だけです」

「その言葉をそのまま信じるほど、私は君と親しくはないな」

「信じなかったらどうしますか」

「そうだな。君は私にとって危険な存在になる。手元に置いて役立ってもらうよりは」


 暖炉の薪が音を立てて爆ぜる。


「殺しますか?」


 ガーランドは目を細め、苦笑した。


「そんな必要はないさ。その姿では、もはや大っぴらに人前には出られないだろう」


 白い髪も、金色の目も、魔女の証だ。いずれもう片方の目も、肌の色も変わるだろう。


「つまり。魔法を使えなくしてしまえば、君は誰とも会えない。恐るるに足らない存在になる」


 ガーランドが杖を持ち上げ、僕に向かって掲げる。僕はまだ椅子に腰かけたままだ。


「……やめた方がいいです。呪いが効かなければ、貴方も先生と同じ事になる」

「私はライラとは違う。杖をすり替えられるような愚は犯さない」


 ガーランドは、今度は首を傾げ、鼻で笑った。


「無論、呪文を間違えるなどということもないし……君の中に、既にライラのマナは残っていない。もう君を守ってくれるものは何も無い」

「僕は魔法なんて使えないし、使いません。呪いなんかかけても意味が無い」

「いや。念には念を入れる。私は臆病でね」


 交渉は決裂した。すぐさま、ガーランドの口からは不思議な響きを持つ言葉が紡がれる。


 


 僕は手にした石のナイフをガーランドに向かって投げつけた。呪文を途中で遮れば呪いは失敗する。

 僕の目はマナの光を捉えている……が、放ったナイフはガーランドの姿も、その光も通り過ぎて壁に突き当たり、砕けた。目に見える位置、更には魔女の目で見える位置とも、実際の立ち位置がずれているのだ。呪文を邪魔されないよう、その程度の備えはしているということ。



 突き出された杖から、黒く霧のようなものが迸る。先生にかけられたものと同じ呪い。魔法を使えばマナを失い、やがて死に至る呪いだ。

 襲い来るその力を前にして、僕は床に転がっている杖の一本を手に取る。その杖を目の前に掲げると、ガーランドの目が大きく見開かれた。


 僕の体を包もうとしていた黒い霧が、戸惑うように、轟々と音を立ててその場で渦を巻く。そして、それは瞬く間にガーランド自身……その、本当の位置へ舞い戻り、絶叫する彼を飲み込んだ。

 それはまるで、無数の黒い蛇の群れだった。ガーランドは声を上げて必死にもがき続け、やがて黒い霧がすっかり消えて無くなると同時に叫び声が途切れた。

 僕はその姿を見つめる。自分が行ったことの結果を、目を逸らさずに見つめ続ける。


 ガーランドは杖を取り落とし、床に手を着いていた。その顔には先程までよりも深く皺が刻まれていて、白色の髪と肌、黄金の目を晒している。


「馬鹿な。馬鹿な、何をした、お前は」


 僕はやるべき事をした。全ての備えは見込み通りになった。でも、胸のすくような達成感は無い。

 ガーランドはぶるぶると肩を震わせ、やがて驚きと、怒りと、憎悪に満ちた叫び声を上げる。


「お前は……お前は、ライラの遺体を杖にしたのか!」


 呪いの、三つの決まりごと。すでに呪われているものに呪いをかけてはならない。

 いま僕が手にしている杖は、アイーダ先生の右手の骨が芯になっている。そこにはまだ先生のマナがわずかに残っていて、呪いも残り続けている。


「だから……言いました。貴方も、先生と同じ事になると」


 後味の悪い感覚を飲み込みながら、僕はそう告げた。杖を強く握りしめ、胸に抱いた。

 これが、考えに考えた結果辿り着いた、僕の選択だった。

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