魔法の杖(後)
何がしたくて、ここに居たのか。何を美しいと感じていたのか。
作れば作るほどにわからなくなる。
僕の足下には何本も杖が転がっている。どれも少しずつ違う形をしているけれど、大差は無い。おっかなびっくり小手先で変化を加えても意味がないことは明らかだった。
作業場に物を散らかしてはいけないと、いつも先生にそう言われていたのを急に思い出し、杖の一本を拾い上げる。それは手から滑り落ち、床にぶつかって高い音を立てた。
もう一度拾い上げる気力が湧かず、ぼうっと見つめ続ける。
結局、僕はわかっているつもりで、何もわかっていなかったのだろう。いずれ先生と離れて一人で杖を作らなければならないと、その覚悟はしているつもりだったのに、実際に一人になると何もまともに出来ない。
先生を助けるために何もできない自分が悔しい。
だからせめて、今まで学んできた成果を見せて、先生を満足させることが出来ればと思った。
なのに、それも叶わない。時間ばかりが容赦なく過ぎていく。何の力も持っていない子供でしかない自分が嫌だ。
不意に扉が開いて、先生がよろめきながらこちらへ歩んでくるのが見えた。
「……先生」
その顔色は青白く、肩で息をして、足取りは覚束ない。今にもその場に倒れこみそうに見える。
「先生、寝ていないと」
部屋に連れ戻そうとしたその手が、弱々しく押し返された。先生の目は床に転がったいくつもの杖を捉えている。
「……杖を、作る、ことは。一つの、世界を、作る、こと」
言葉の合間、呼吸のたびに、風の吹くような音がする。
「何にも、邪魔されずに。お前の、世界を、作れば、いい」
「僕の……世界」
先生は壁に背を預け、そのままずるずると腰を下ろした。
「……ここで、見て、いる」
「先生、でも」
「……見ている」
説き伏せて聞き入れられるような表情ではなかった。たとえ命を削ってでもそこを動かないと、そう決めた顔だった。
寒くないように毛布を掛け、僕の外套も上から被せて、僕はもう一度作業場の椅子に座り直した。
背中に、暖かな熱を感じる気がする。きっとそれは錯覚だけれど、今の僕には必要な錯覚だった。
(僕の世界。僕の世界って、何だろう……)
思考を巡らせる。
僕は凡庸な人間だ。自分の中に、特別に優れた世界、変わった世界を持っているわけでもないように思う。
そんなものを表に出したところで。
(……そういうことじゃない。まだ縛られてる)
自分を卑下して足踏みする事に意味はない。少なくとも今する事ではない。
僕は、ただ美しいものが作りたかった。
それは誰かに勝ち誇るためでもなければ、慰めるためでも、救うためでもない。
(先生のために、という気持ちに、囚われている……)
今だけ、それさえも忘れてしまおう。
そう決めると、自然と指が動いた。手を動かしてから遅れて自分がその意味に気がつくような、不思議な感覚があった。
最初に手にしたのは
その楡の枝を主軸にして見てみると、宿り木とイチイの組み合わせが一番しっくりと収まる。
磨き上げ、組み合わせて、石のナイフで紋様を刻み付ける。三つの枝は不思議と、元から一つだったかのように馴染んだ。
不意に拾い集めて来た鳥の羽が目に付き、杖に切り込みを作って羽飾りを配してみた。
窮屈に感じる。もっと、自由に空を飛びたがっているように見える。
間隔を広く空ける必要があるかもしれない。紋様の形や大きさを変えれば、うまく収まらないわけでもない……
(違う)
一度目を閉じ、呼吸を整える。
手綱を操る必要があるのだと思った。感覚が走り出しているとしても、ただそれに委ねていればいいわけじゃない。それでは楽をしようとしているだけだ。
(考えろ。考えろ。考えろ……)
自由にやるということは、何でも正解になる、という事とは違うように思う。
杖の素材、組み方、紋様、全てマナの流れに影響する。無秩序に作り変えていいわけがない。
新しい形を作り出すとしても、そのための動きはあくまで今までの積み重ねの上にあるのだろう。
思い切って、風繋ぎの杖のように羽根を螺旋状に並べる。それに合わせて紋様の角度を変えてみると、違和感が消えた。
魔女の眼を開いて見なくとも、これならば力の流れ方に無駄が生じないように感じられる。
(でも、先生の杖とは全然形が違ってきている)
振り返って判断を仰ぎたくなるのを、ぐっと堪える。
自信は無い。経験も知識も不足していて、何が正しくて何が間違っているのか、僕にはわからない。もしかしたら、他の誰かから見たら滑稽で、不様で、無価値なものを作っているかもしれない。
それでも、恐れて立ち止まることは止めようと思う。何も作り出せず、残せないまま終わりを迎えるより、ずっと僕自身が納得できるやり方を選ぼうと思う。
何かを残したいという気持ちこそが、僕が求めているものの根本なのかもしれない。ならば、それこそが僕の世界だ。
削り取った木屑が床に落ち、積もった。 飾り紐は短い二本を杖の頭の両側に配置し、持ち手にはかつて仕留めた狼の毛皮の残りを使った。
廃光晶の欠片を囲むように枝を組む。細い枝の一本一本がどのように組み上がるか、一瞬たりとも気を抜かずに選び、蔦を絡めていった。
疲労も眠気も感じることなく、気がつけば夜が明けていた。
いつの間にか、暖炉の薪は白く灰ばかりになり、吐く息が白くなっている。指はかじかんで動かなくなる一歩手前まで来ている。
でも、もうそれで構わない。
射し込む朝日は作り終えた僕の杖を照らし出していた。
それは光の粒を纏って、輝いているようにさえ見えた。根を張るように地に着き、空を目指すように広がり、支える指先に馴染んだ。
組み合った枝は、決して激しくはないものの、ぶつかり合うように互いの力を示していた。それぞれの個性が消えたわけではない。でも、大きな流れの中では一つになっている。
その中で、青い光を持つ石は静かに佇み、見つめる僕の視線を吸い込んで、淡く光っている。
振り返れば、先生は変わらずそこに居て。金色の目はしっかりと開かれ、僕を見据えていた。
僕は杖を手にしてその人へ歩み寄る。
奇妙な出会いから、僕をここまで導いてくれた人。
時には厳しく、でも誰よりも優しく、悲しみと寂しさを隠しながら、ずっと戦い続けてきた人。
何にも代えられない大切な人。
「……できました」
先生は差し出された杖を手に取り、静かに眺めた。彫りの一つ一つを確かめるようにゆっくりと視線を動かし、指でなぞり、息を吐く。
やがて仄かに微笑み、顔を上げて、掠れた声で告げた。
「よく、できて、いる」
その言葉だけで、今までの全てが報われる。身体中の力が抜けてその場に座り込むと同時に、先生を抱きしめていた。
「ありがとう。ラスト。もう、怖くない」
「先生……」
痩せてしまった先生の身体は、力を込めたら壊れてしまいそうなほど頼りなく、それなのに僕は必死に縋り付いてしまって。
先生はそれを咎めなかった。
「ここに居て下さい。先生」
それはいつか、先生が僕に願ったことの繰り返し。子供じみた我儘だ。
僕はどうしたかったのか。そうやって捕まえていれば、先生が何処にも行かないでくれると思ったのだろうか。
やがて、先生は僕の耳元で吐息のように小さな声で囁いた。
それが先生の最期の言葉になった。
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