別れの話(前)

 枯れ枝と落ち葉が積もり、ほとんど道らしい道も無くなった斜面を踏みしめて、一歩一歩登っていく。


 背負った先生の身体は驚くほど軽い。

 あの日、先生は僕を背負って家へと連れて帰った。ちょうど今とは逆の形になるだろう。

 もっとも、今の僕は背負った人の命を救うためではなく、土に埋めるために運んでいる。

 誰かがやらなければならなくて、僕以外に誰もやる人が居ないので、僕がやる。


 冬の森にはまるで鮮やかさが無くて、目に映るもの全てが張りぼてのように薄っぺらく見えた。ちらほらと空から雪が舞い始めていて、頬を刺す冷たい空気は針のようだった。


 やがて僕は、小さく開けた見晴らしのいい場所へと辿り着く。杖の材料や食べるものを探して山の中を歩き回っている時、一休みするのに何度か使ったことのある場所。

 ここならばきっと誰が通りかかることもなく、日当たりもいい。春になれば花が咲いて賑やかになるに違いなかった。


 持ってきたつるはしを何度も振り下ろす。時々大きな石にぶつかって手が痺れる度に、それらを掘り起こして脇によけた。

 獣が荒らしたり、雨風に晒されて流れてしまわないように、深く掘り進める。


 そうして掘った穴の底に先生の身体を横たえる。組ませた両手の上には、すっかり枯れたローズマリーの花冠をかぶせた。


 掘り返した土を元に戻していく。先生の白い顔に土がかかる一瞬だけは手が止まりかけ、最後に何か言おうとして何も思いつかず、意味も無いように感じられたのでやめた。

 墓碑なんかは作る事ができないので、石を拾って、円を描くように並べた。


 そうして、あっけないほどに早く埋葬は終わってしまった。実際にはそれなりに時間が経っていたような気もするけれど、それでもあまりに短すぎた。いっそ、何年かかっても終わらない作業ならその方が良かったのに、とさえ思った。

 僕はしばらくその場にぼんやりと佇み、身を包む寒さに一度身震いをして、元来た道を歩いて戻った。



 主人を失った家の中はひっそりと静まり返っている。お帰り、と言ってくれる人がもうここには居ないのはわかっている。僕は倒れこむようにベッドに横になった。


 夢を見ているような気がした。

 あるいは僕は、何か奇跡のようなことが起こって、先生の呪いが解けて、手足も動くようになって。最後の瞬間まで、そんな事が起こりえると思っていたのかもしれない。


 あるはずもなかった。

 むしろ奇跡というならば、それは僕が先生と過ごした一年足らずの時間のことだ。

 偶然に出会い、二人で過ごせたことが、十分に奇跡だった。だからもう、これ以上は起きないのだと納得できてしまう。



 はっとして顔を上げる。いつのまにか眠りについていた。夜通し杖を作り、それからお墓を作り、休みなしで動き続けたのだから、限界になるのも当然といえば当然だ。

 身体の節々の凝り固まったような痛みから、かなり長い時間が過ぎた事だけはわかる。

 それでも起き上がる気力が湧かず、そのまま微睡み続ける。起き上がったとしても、どうせそこには誰もいない。ならば、何のために起きるのか。

 僕は望むものを作り出すことができた。それで、この後は何をどうすればいいのか。


 空腹でお腹が鳴った。

 軋む身体が煩わしい。

 呼吸の音が鬱陶しい。

 心臓の鼓動が喧しい。

 それらは、どれもこれも、生きる為のものだ。何故、僕はこんなにも生きようとしているのか。先生は死んだのに。


「助けられなかったくせに、自分は生きようとしてる」


 声に出してそう言ってみると、ずきりと胸が痛んだ。

 僕は先生を助けるために、もっと何か出来ることがあったんじゃないだろうか。それを探しもしないで、早々に諦めたのは何故か。自分の理想の杖を作ることを優先したんじゃないのか。

 それこそが先生の望みだと思ったから?本当に、そうだろうか?


「間抜け。役立たず」


 自分を切り刻むように、次々と言葉を吐いていく。


「屑。薄情者。卑怯者……」


 こんな言葉では、まだ足りない。こうやって自分に罰を与えれば、先生を助けられなかった罪が軽くなると思っているだけだと、僕の中の冷めた僕が嘲笑っている。

 誠実ぶって、傷ついたふりをして、あとはまた何事もなかったように生きていくつもりなんだろう。実家のある村に帰って、暖かい場所で食事を摂り、家族と笑いながら毎日を過ごす気でいるんだろう。

 先生のことが大事だと言いながら、所詮その程度だったんだろう。そんなやつは


「死ねばいい」


 その言葉はひときわ重く、深い響きを持って突き刺さった。辛いと同時に、何か救われる痛みでもあった。目を背けていたものが、ずっと探していたものだったような、そんな安堵が僕を包んだ。


「死ねばいい……」


 立ち上がり、作業場を横切って玄関の扉を開き、歩き出す。



 僕は馬鹿だ。先生をあんな土の中に一人ぼっちにしておくなんて、酷いやつだ。

 そんなことはすべきじゃない。

 何より僕自身が、ここにこうして一人でいることに耐えられない。


「……今、行きます」


 ぼそりと呟く。空からは絶え間なく、白く冷たい氷の粒が降り注いで。

 もう、世界に色はない。音もない。匂いもない。

 僕は、行かなくてはならない。

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