始まりの火の杖(中)

 触れてもいない玄関の閂がひとりでに動き、そのまま扉が開いた。

 現れたのは、ゆったりとしたローブに宝石をちりばめた首飾り、腕飾りを身に着け、長い杖をついて、あご髭を生やした男。


 ガーランド。

 王宮付きの魔法術士という立場にあって、その正体はアイーダ先生の母から全ての記憶と技術を受け継いだ魔女。髪や眼の色が普通の人に見えるのは、魔法によって姿を変えているだけだという。


 立ち止まったガーランドは、少し懐かしそうな目で家の中を眺めまわした。手にした杖は、優美な曲線と質実な直線が不思議に調和している。


「……ここは変わらないな」

「何しに来た」


 あくまで穏やかな、過去を懐かしむような口調の語りかけに対し、先生の返答は冷たく硬質だ。


「無論、君が心配になって来た。無茶をしたようだからね」


 小首を傾げるガーランドのその眼は、先生の、マナの消えた手足を見ているのだろう。それを思うと、僕は責められてもいないのにいたたまれない気持ちになる。


「随分と耳が早いことだ」

「急いで来たのさ。こういう時のために列車をダーネットまで敷いたのだし」


 その言葉に、僕は思わずぞくりと総毛立った。王都からダーネットへ魔法蒸気列車が敷かれ、特別車両の停車駅になったことで、ダーネットの街は急激に人口が増え、瞬く間に大きくなった。

 それらすべてが、実際は、ガーランドがこの場所にいつでもすぐ来られるように、という個人的な目的の副産物に過ぎないというのだろうか。


「もういいだろう。王都まで来れば、弟子共々私が面倒を見てやる。意地を張ることはない」

「僕はあなたのところなんて行く気はない!」


 ずっと黙っているだけだった僕も、自分のことが引き合いに出されれば口を挟む。対峙したガーランドの目が爛々と光った。


「君の意志など知ったことじゃない。ただの人間は下がっていろ」


 気圧されて思わず後ずさってしまった僕とは逆に、先生は杖をつき、一歩ガーランドに近づいた。


「私とてお前の下へ行くつもりなどない。もう私に関わるな」

「さて。それでいいのか? 残った時間も、そう長くはないだろう」


 二人はにらみ合い、ぐっと場の圧が強まった。


「……だとしても。お前にそれを解決できるわけではない」

「残念ながら、それに関してはその通りだな」


 ガーランドは苦笑して肩を竦め、踵を返して扉に手を掛ける。一度その場で振り返り、意味ありげに微笑んで告げた。


「しかし、どうだろう。


 その台詞は、つまり、いつでもそのような状況にできるという意味だろう。

 僕は何も言う事が出来ず、先生も押し黙ったまま。


「そうならなければ、また会おう」


 余裕たっぷりに扉を開いて、ガーランドは出ていった。現れた時と同様に、突然その場を去っていった。

 僕はしばらく呆然としていたけれど、我に返ると、お腹の底からむかむかしたものが頭にまで登ってくる。 


「……全部、あの人が仕組んだことだったんじゃないですか?」


 僕の言葉に、先生が露骨に眉をひそめた。


「全部、とは?」

「全部ですよ。そもそもおかしいじゃないですか。ここに近いダーネットの町が急に大きくなって、マナの使い方がおかしくなった。それが全部、ガーランドの計画通りだったとしたら」

「……ラスト」


 制止するように呼びかけられても、僕の思考と口は止まらなかった。


「街が変わったせいで、川が溢れて、先生がそれを止めようとして……そうだ、チックさんが居なかったのだって、もしかしたらもう、あいつに」

「やめろ。ラスト」

「だって、全部ガーランドが関わってるじゃないですか!」

「嫌な事を全部奴の仕業にして押し付けるのは、気持ちがいいか。水害はガーランドにとっても利の無い事だ。わたし達が助けに行くことも知り得ない。狙ってやれることではない」


 耳には入ってくる。言葉の意味はわかる。

 でも、わかりたくないという気持ちが、言葉が心の中まで辿り着くのを妨げている。


「先生。僕に、魔法の使い方を教えて下さい」

「何だと?」


 先生は露骨に眉をしかめた。そういう反応が返って来るのは予想できていたのに、止める事が出来なかった。


「覚えてどうする」

「そうしたら、ガーランドとだって戦えます」

「戦うだと? お前は殺したいのか、ガーランドを」


 僕自身、深く考えていないことだった。例えば魔法を覚えて、毒なり、火なりを扱えるようになったとして、そんなものがガーランドに通用するのか。

 たとえ通じたとして、傷を負わせた程度ではやり返される。もしやるなら、不意を突いて、最後までやるしかないのだろう。


「必要なら、そうします」


 自分で出そうとしたよりもずっと低い、起伏のない声が出て、自分で気味が悪いと思った。

 先生は目を閉じ、ため息交じりに返答する。


「……いつからそんな考え方をするようになった」


 言われてみれば、いつからだろう。人を傷つける力なんて要らないと考えたのが、ついこの前の事なのに、自分の大切な人が傷つけられれば簡単に覆ってしまう。

 先生の言った通り、どこにでも毒はある。これが僕の中の毒なのだろう。


「私はお前に杖の作り方以外教える気はない。元々、そういう約束だ」

「でも……!」


 先生とガーランドが話している間、僕はずっと蚊帳の外に置かれている気がした。

 結局、僕は魔女ではない。杖の出来も今一つだし、マナが見えるからといって、それで何ができるわけでもない。すべてにおいて中途半端だ。

 魔女になれば同じ場所に僕も立てるような気がするけれど、どうやら先生はそれを望んでいない。


(僕は、先生のために何もできないのか? ただ黙って、毎日同じように過ごしているだけでいいのか?)


 そんな僕の内心を知ってか、知らずか、先生は杖をついて作業場へ移動し、椅子に座った。


「作業を再開しよう」

「先生!」

「何度も同じ事は言わない」


 僕はぎゅっと拳を握ったまま、しばらくその場に立ち尽くしていた。それでも先生が何も言わないので、結局作業場の椅子に腰を下ろした。

 いくら意気込んだところで、先生にその気がなければそれまでなのだ。僕は、自分一人では何も新しいことができない。それはよく分かっていたから。



 始まりの火の杖は、古くからあるものらしく、使う材料はとても少なくて単純な作りをしている。

 材料になる木材をひたすらナイフで削り、いくつも穴を開ける。炎を思わせる、うねるような紋様を全面に刻みつけ、松脂から作ったニスを塗って仕上げる。


 それだけの作業が、遅々として進まなかった。

 今まで、杖を作る作業は、どんなに苦しくてもどこか楽しかった。新しいことができるようになる喜び、自分の手でものを創り出せるという喜びがあった。

 でも、今の僕にはそれが見つけられない。


(結局、僕は先生と同じにはなれないんだ)


 その事実が重く、重く心にのしかかり、潰れそうになっている。数日で、僕は燻した白樺の材を全てだめにしてしまった。


 技術の無い者が熱意まで失ったら、何も作れない。当然の結果だった。

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