始まりの火の杖(前)

 アイーダ先生は懐から廃光晶の欠片を取り出し、物置の中にあった廃材に紐で括り付けて、即席の杖を使った。これは本来の作り方ではないので力も弱く、先生が魔法を使っても僕と先生二人の姿を隠するのがやっと。

 早朝の人通りの少ない道を選んでも、時折訝しげにこちらを見る人が居て、その度に背筋が凍りつく思いだった。


 ぎりぎり門を潜り抜けて街道に出たところで杖はバラバラになって壊れてしまって、そこから僕は先生を支えながらひたすら歩いた。人とすれ違わなかったのは幸運だったとしか言いようがない。

 先生の左腕は終始力無く、だらりと下に降ろされている。その意味を考えるだけで僕は暗澹とした気持ちになり、道を歩く力さえ奪われていくような気がした。


 僕に杖の作り方を教えるとか、教えないとか、そういう話ではない。この先、先生はどうやって生活していけばいいのだろう。

 杖を作ることはもちろん、片手片足では弓も使えない、釣りだってできるかどうかわからない。それどころか、野草を摘んだり果実を拾うことさえ簡単にはできなくなってしまった。


 長雨でぬかるんだ上に楢や栗の落ち葉が積もった坂道は、降りよりも登りがきつい。何度も転び、泥だらけになりながら、ようやく僕たちは森の中の家に帰り着いた。

 道中は一言も会話は無くて、それはお互いに余裕もなく、言えることが何も無かったからだと思う。頭上からはカササギの場違いでけたたましい鳴き声だけが響いていた。

 その日は二人で備蓄の食料を黙ってぼそぼそと食べ、疲れから泥のように眠った。



 翌朝のこと。

 先生はいつも通りに僕よりも早く起き、当然のような顔で作業場に居た。

 僕は信じられないものを見た。

 先生は動かなくなった左手に木の枝を紐で結び、その紐の端を口で噛んで引っ張りながらナイフを振るっていた。僕に気がつくと紐から口を離して、いつもの口調で尋ねる。


「おはよう。身体は平気か」

「僕が言うことですよ!休んでないと」


 慌てて椅子から立たせようとする僕の手を、先生は静かに制した。


「いい。休んで治るものでもない」

「そんな……」

「ラスト。自分では気付いていないのかもしれないが」


 ナイフを作業台に置いて手を伸ばし、僕の髪をくしゃりと掴む。


「髪の色が変わり始めている。また眼を開いたな」


 はっとして頭に手をやる。

 確かに、町に降りてから都合三度も魔女の眼を開いた。そのせいで余計に早まってしまったのだろうか。


「……すみません」

「責めるつもりはない。私を助けるためだったんだろう」


 その通りではある。


「しかしこうなると、本当にもう、休んでいる暇はない」


 僕は、次々と溢れ出しそうになる言葉を飲み込んだ。もういいです、もうやめましょう、僕は諦めますと、そんな言葉を口に出すわけにはいかない。


「どのくらいかかりますか。僕の目標まで」

「次の杖を覚えれば……かなり駆け足ではあるが、基本となる技術は身につく。お前の望む杖の製作に取り掛かれるだろう」


 先生はなんとかして僕との約束を果たそうとしている。それならば、ここで無意味な足踏みをしているよりも目標に進もう。


「じゃあ……次は、どんな杖を作りますか。教えてください」

「始まりの火の杖。火を操る魔法のための杖だよ」



 新たな杖を作る材料としてまず必要になるのが、燻した白樺の枝だった。

 白く光沢のある白樺の樹皮は紙のように剥がれ、燃えさしとして使える。この樹皮に杜松ネズの細い枝を加えて焚き火をし、煙で白樺の材を燻す。

 白樺は乾いていても燃えやすいので、炎が直に当たったりしないよう気をつけて見張る必要があった。


 暖炉の炎を眺めていると、煙が目に沁みた。視界がぼやけ、だんだんと、自分が何故涙ぐんでいるのか、その理由が曖昧に感じられるようになってくる。

 黙ったままの先生は、どんな気持ちでこの火を見つめているのだろう。

 焚き火が白く灰がちになり始める頃に、僕はようやく口を開いた。


「あの時、どうして魔法を使ったんですか」

「どうして、とは?」

「町に向かう時、僕には、自分の命を最優先にしろと言いました。なのに……どうして先生は、自分の命を大事にしないんですか。先生は最初から、いざとなれば、魔法を使うつもりだったんじゃないですか?」


 例えそれが人を助けることになっても、先生が自分の命を顧みないのは、僕にとっては悲しいことだ。

 暖炉の中で燃え尽きた枝が崩れ、小さく音を立てた。


「火の杖は……魔女が最初に目指したものだと言われている。火を自由に使いこなせれば、人の生活がずっと楽になると分かっていたから」


 僕の問いかけには答えず、先生は別な話をし始めた。それを止めはしない。

 灰をかき回しながら、黙って耳を傾ける。


「魔女が人のために杖を作り、魔法を使っていた。そんな時代も過去にはあった」


 それはどれほど昔のことなのだろう。きっと、僕も先生も生まれる前の話だ。


「しかし、火を自由に使えるようになってから人は魔女を恐れ始めた。そう言われている」

「言われているって、誰が言ったんですか」

「私は母から聞いた。どこまでが真実かは分からない。聞かされた話であって、受け継いだ記憶ではないから」


 語られた言葉には、いつでも脚色や不足があるかもしれない。どんなに誠実で客観的な語り手であってもそうだ。まして、迫害を受けている当人の弁であれば歪みは避けられない。

 先生は、そういった可能性もあることを僕に示している。


「私は今は、魔女は生き方を間違えたのではないかと思っている」

「間違えた?」

「人が魔女を避けただけではない。魔女もまた、力の使い方を隠し、人を避けた。人が強い力を持てば道を誤ると……それは傲慢な考え方だ」


 たしかに、その考え方が魔女を今の境遇に導いてしまった部分はあるかもしれない。でも、今ガーランドが引き起こしている事態は、魔女の考え方が正しかったことを証明しているようなものではないだろうか。


「その話と……僕の質問と、何の関係があるんですか?」


 どこかでその答えに繋がってくるとは思っていたものの、我慢しきれずについ口を挟んでしまう。


「私はずっと、魔女の生き方をしてきた。そうするのが当然と思っていた。でも」


 先生は一度言葉を切り、目を伏せて、何かを堪えるように深く深呼吸をした。


「生き方を変えてみても構わないかと思うようになった。お前と過ごしてみて、そうなった」

「先生」

「……ただ、思いつきでは、そう上手く運ぶものでもなかったな」


 誰かを助けたいとか、力になりたいとか、そう願った心が通じないほど悲しいことは、この世に無いように思う。


 先生の気持ちは、少なくともダーネットの人々には通じなかった。

 本当なら、言葉を尽くしてゆっくりと語り合えるような機会が必要なのだと思う。でも、置かれた状況の中で取れる手段が限られていて、うまく行かなくて、今更取り返しもつかない。

 僕も何人かに姿を見られているし、エマに対してはひどい誤解を与える嘘までついている。今更魔女と人の仲介が出来るはずもない。

 気持ちは間違っていなくても、やり方を間違えてしまえば、その気持ちは通じない。そのことがひたすらに悲しかった。


 改めて自分の境遇を思う。

 杖の作り方を教わって、望むものが作れるようになった暁には、僕は先生を一人残してここを出て行かなくてはならない。


(そんな事はできない)


 覚悟が決まった。

 魔女になってしまったとしても、それがなんだと言うのか。先生と同じになるだけだ。

 両親には会えなくなるだろうし、その事だけは申し訳なく思う。寂しさもある。それでも、僕はここに居続けたい。

 内心で密かに決意を固めながら、そんな事はおくびにも出さずにおいた。知れば、先生は止めるに決まっている。


 不意に、先生が伏していた目を見開く。そして食い入るように一点を見つめ、低い声で呟いた。


「……誰か来る」


 玄関の内側にある、十字形の木の飾りがカタカタ震えている。僕は知らなかったけれど、この家に近づくものが居ればこうやって知らせるようになっているらしい。

 思わず息を飲んで腰を浮かせる。ここを訪ねてくる人など、今まで居なかった。

 かつての僕のように、道に迷ってたどり着いた人だろうか?


 それならばまだいい。

 例えばエマが僕の嘘に気がついて、もしくは口を滑らせて。そうでなくても、魔女を探すために誰かがここまでやって来たとしたら?


「もしかして、町の人たちが……?」

「いや。来ているのは一人だ」


 そうなると話が違ってくる。集団で山狩りのような事をするならともかく、魔女を恐れている人達が一人で魔女を探しにここまで来るとは思えない。

 では、例えばこの場所を知っていて、用があって来る者といったら誰か。


 何者かが落ち葉を踏み、足音を立ててこちらへ近づいてくる。先生は杖を手に取り、僕は拳を握りしめて、その音を聞いていた。

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