大毒の黒の杖(後)
翌日には雨はきれいに上がって、草葉の上に透明な水の玉を残すばかりになった。
あちこちから響く小鳥の鳴き声も清々しい。
早速、材料を集める作業を再開する。一度終わらせた作業をもう一度最初からやるのは正直面倒だけれど、自分の失敗が原因なので文句は言えない。
割り切って、どのくらい効率よく素材を集められるかを考えながら動くことにした。この先何度も作ることになる杖なら、少しでも手際よく準備ができた方がいい。
そう考えると、同じ作業でも俄然やる気が湧いてくる。
「効率を考えるのはいい事だが、雑にはならないように。枝から葉を落とすのも、毒を煮るのも、疎かにしていい所はない」
「気をつけます」
一度無駄にしてしまった材料を揃えて、ようやく次の工程に入る。芯になるイチイの枝の加工だ。
イチイはきめ細やかで、見た目も綺麗だし加工しやすい。僕が狩りに使っている弓もイチイで作られたものだし、家具を作るのなんかにも向いているらしい。
そのイチイの枝に、模様を彫り込む。
大小の円と蛇が這うような曲線の組み合わせの模様で、じっと見ていると目が回りそうな形をしている。そもそも曲がりくねった模様を刃物で掘るのは難しくて、僕は何度も手を滑らせた。一本完成させるまでに両手は傷だらけになり、失敗作が山のように床に積まれた。
模様を掘り終えた枝は鍋で煮詰めたどろどろの毒液に浸す。黒く染まった枝を日に当てて乾かし、それを芯にして、覆うように周りに枝を組んでいく。
「イチイは融通が効くだろう」
「はい。弓の材料になるだけはあるっていうか、粘りがある感じ、です」
「とはいえ、強引に扱うと取り戻せない歪みができる。最悪、枝が割れる。その加減をよく覚えること」
こればかりは言葉では伝えられない感覚の部分で、手で覚えていくしかない。
魔女の知識は記録に残さないというけれど、杖の作り方に関してはそもそも記録に残せるものではない部分が多いのかもしれないな、と思った。
そして、一本の枝から作る杖よりも、複数の枝を組んで作る杖の方が繊細で壊れやすいという事を僕は知った。先生によれば、そういう事情もあって、古くから残っているような魔法の杖は複雑な形のものは少ないらしい。
残っているとすれば、それは貴重なものとして大切に保管されているような場合だけ。
僕もいつかは、そうして後の世に残してもらえるような物を作れるだろうか。
でも、保管されないとしても、使いやすい杖として役に立って、どんどん使われて壊れてしまうなら、それはそれで良いかもしれない。
試行錯誤して僕が組み上げた杖を見ても、先生はなかなかうんとは言わなかった。毒を扱う杖だけあって慎重にならざるを得ないのかもしれない。
「今回のは、上手くいったと思うんですけれど」
何度目かの挑戦。自分なりには満足のいく仕上がりになっても、先生の基準で見てどうかは分からない。
この瞬間だけは、何度経験しても慣れることはない。
「……うん。良いだろう」
許しが出ると、どっと疲れが出て全身から力が抜ける。杖作りの最後にして、一番ほっとする瞬間だ。
先生は杖を持って外に出る。もはや恒例になった、出来上がった杖を使って魔法を試す時間だ。
杖の材料にも使った毒のあるキノコを、水を張った鍋に浮かべ、呪文を唱える。
「水と土の暗く交わる彼方、いのちの源から、眠りの果てに流れよ」
ぶくぶく音を立てて泡が浮かび、白く濁ったものが水の中に沈んでいく。先生は水面に浮かんでいるキノコをつまみ上げて、僕に見せた。先ほどより少し色が褪せている。
「これで、このまま食べられる」
僕は少しほっとしていた。
「毒を扱う杖っていっても、こういう風に使うんですね」
「……同じように、人の身体から毒を抜く事もできる。試してみるというわけにもいかないが」
先生はそこで一度言葉を切り、じっと僕を見つめた。
「それから。毒を取り除けるということは、毒だけを取り出せるという事だ」
先生が指で示す濁り水には、キノコから抜けた毒が溜まっている。そういう事なのだろう。
「このキノコの毒は比較的手に入りやすいものだ。匂いがなく、口にしても急病にしか見えないから、貴族の暗殺に使われることも……」
「やめてください」
割り込んで言葉を遮る。空を流れてきた厚い灰色の雲で陽が翳った。そのうちまた雨が降り出しそうだ。
「……そんなもの、知りたくないです」
傷つけるための力や、苦しめるための道具。そんなものを手にしたいとは思わない。生きていくのに必要なもの、人を喜ばせるもの、それだけあればいい。
どうして、皆そう思えないのだろう。戦争をしたがったり、それに乗じてお金儲けをしようとしたりするのは何故なのだろう。
「ラスト。毒を知らずに、毒から身を守ることは難しい」
「なら、危険なものには近づかないようにします」
「いいや。毒はどこにでもある」
静かに、言い含めるように先生は語った。
「私たちが食べるもの。触れるもの。全てにだ。生きるのになくてはならない水や空気にさえ、毒はある」
「そんな。それじゃあ、どうしようもないじゃないですか」
「そうだ。どうしようもない。毒を持っていても食べずにはいられない。そうしなくては、生きるための力が得られない」
この話はきっと、何かを暗喩している。僕が今、向き合いたくないと思っていることを示している。
「毒をもって人と争えとは言わない。ただ、身を守る為と思って聞いてくれ」
それから先生は、この山で採れるものに限らず、さまざまな毒の事を僕に語った。
食事や飲み物に混ぜられた毒を事前に見分けるための方法。万が一口にしてしまった時の対処の方法。
下手な医師や薬屋よりも詳しいかもしれないほどの知識だった。
「これらは魔女にだけ許された知恵というわけでもないから、家にもいくつか私の書いた物がある。気が向いたら読んでみるといい」
そう言われてみると、家の中に無造作に置かれている本の中に、いくつか手書きらしいものがあった気がする。
杖を作る上では必要ないと思っていたけれど、身を守るためなら読んでみようかな、という気にさせられた。
「……ところで、そのキノコって、美味しいんですか?」
何気なく尋ねると、先生は少しばかりばつが悪そうに苦笑しながら答えた。
「実を言うと、さほど美味くはない。というより殆ど味がない。毒と一緒に、旨みも抜けてしまうんだろう」
「苦労の割に実入りが少ないですね……」
「まあ、な」
結局、良いところだけを都合よく頂くのは難しいというところだろうか。
僕達は、毒と付かず離れず、うまく付き合いながら生きていくしかないのかもしれない。
やがてぽつぽつと雨が降り出したので、二人で家に入り、夕飯にはキノコ入りのスープを作った。
それからの事。
雨はその日も、翌日も止まず、また次の日も降り続けた。
この時期の長雨は珍しい。蛙はたくさん出て来るけれど、狩りや釣りができないし、木の実やキノコを採るのにも難儀して、食料を集めるのに時間がかかってしまう。
それでも、なんとか野草と木の実で籠をいっぱいにして家に戻る途中のこと。
木々の間にちらりと見えた色彩が気にかかって寄り道をすると、青紫のローズマリーの花が、ひとかたまりになって雨粒に揺れていた。
森の中に茶色の落ち葉が目立ってくる時期に、こんな風にまとまって咲いているとひときわ目を惹く。
屈みこみ、指で摘む。茎を折り曲げて結び、花を挿し込むのを繰り返して、輪の形に仕立てていく。
小さな頃に作ったきりだったけれど、意外とやり方を覚えているものだ。
雨音だけが静かに響く森の中で、僕はひたすら花の輪を編み続けた。
「ずいぶん遅かったな」
家に戻ると、先生が心配そうな声で出迎えてくれる。
夢中になりすぎて、ずいぶん時間をかけてしまったらしい。生返事をして、それから背に隠していたものをおずおずと前に出す。
「それは何だ?」
「先生に似合うかと思って……」
花冠。
僕が差し出したそれを、先生は無言で見つめている。
(……ちょっと子供っぽすぎたかな)
もしかして、不快だっただろうか。調子に乗りすぎたかもしれない。急に不安になってきて、出した手を引っ込めようかと思い始めた時だった。
「初めて見た」
「えっ」
いつのまにか先生は、花冠を手に取り、何度も傾けたりひっくり返したりして眺め回している。
「子供の頃、作りませんでしたか?」
「母には教わらなかったな。こういうものは」
やがて先生は、そろそろと花冠を運んで頭に乗せる。
小さな花の青紫と茎の緑が、白い髪に鮮やかに映えた。
「思った通り、よく似合ってます」
「……そう言われても自分では見えない」
不満げに上を向いて少しでも自分の姿を見ようとする先生は子供みたいで、僕は我慢しきれず吹き出した。
「こら。何がおかしい」
そう言いながら先生も笑っている。
二つの笑い声が、小さな家の中に溢れた。
僕は決して、こんなささやかな幸せがずっと続くと思っていたわけじゃない。それはわかっていた。
わかっていなかったのは、こんな風に先生と笑いあえる時が、この日を境に二度と来ないということ。そして、いつまでたっても降り止まない雨が、何を齎すかという事だった。
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