大毒の黒の杖(前)

 僕が町で起きたことを報告している間、アイーダ先生はずっと腕を組み、険しい表情をしていた。


「……それで終わりか」

「終わりです」


 先生は僕の前に立ち、頭のてっぺんからつま先まで眺め回す。


「解せない。ラストを弟子にしたかったのなら、話だけして帰ったのは妙だ」

「どうしてですか?」

「ガーランドは無駄な事はしない。わざわざ姿を見せておいて、そのまま去ったのは何故だ……もともとその気は無かったのか、何か別の理由があったのか」


 その後も先生はひたすら考え込んでいる様子だったけれど、やがて振り切るように言った。


「念のため、次から町に降りる時は私も同行する。ガーランドの弟子になるつもりは無いんだろう?」

「当たり前です! けど……それだけで、いいんですか? あの人、本当に戦争を起こすつもりです」

「あの男の思惑に興味はない。今は、それよりも大事な事があるだろう」


 僕には時間がなくて、休む間もなく新しい杖の製作に取り掛からなくてはならない。それは間違いない。

 でも。


(先生は、それでいいんですか?)


 少しだけモヤモヤしたものが心に残った。


「次に作る杖は、大毒の黒の杖という。名前が示す通り、毒を扱う杖だ。材料も毒を持つものが多い。十分に注意して作業をすること」



 そうして、今までにない不気味な材料集めが始まった。

 まずは蝙蝠の羽。蝙蝠は夕暮れ時にその辺を飛び回っているのをいくらでも見かけていたけれど、捕まえることになるとは思わなかった。

 飛んでいる場所を覚え、そこに網を張っておくと、割合簡単に捕まえることができる。不気味な印象のある生き物だったけれど、網に絡まってきいきい鳴く姿は少し物悲しく感じられた。食べる以外で動物を捕まえるのは、いまだに少し抵抗がある。


「……蝙蝠って食べられるんですか?」

「やめておいた方がいい。腹を壊す」


 妙に実感のこもった言い方からすると、ひょっとして先生は食べたことがあるのかもしれない。


 次に、淡い黄緑色の丸い傘を持つキノコ。ぱっと見では何の変哲も無く、かわいらしい印象さえ受ける。が、「死の傘」とまで言われる猛毒の種類で、一つでも食べれば助からないらしい。

 そんなものが普通にあちこちに生えているのだから、よく考えると森の中というのは恐ろしい。素手で触れないように布で包んで、おっかなびっくり土から抜いた。


 それから、獣の血。ようやく扱いに慣れてきた弓で野ウサギを仕留めることに成功したので、それを使う。どうしても手に入らない時は自分の血を使ってもいいらしいけれど、もちろん体に良いはずもないし、やりたくもない。それは本当に最後の手段らしかった。


 それから、イチイの葉と種をすり潰したもの。この時期のイチイはちょうど、鮮やかな赤い実をいくつもつけている。枝も杖の芯になるので、全部まとめて収穫する。

 枝と葉を選り分けている最中に、突然先生がイチイの実を口に含んだので、僕は驚いて声をあげた。


「先生! それ、毒が!」


 先生は慌てずに、口をすぼめて何やら小さなものを吐き出した。


「毒があるのは中の固い種なんだ。赤い部分は食べられる」


 恐る恐る口に含むと、水気の多い実は柔らかく、うっすらと蜜のような甘さがあった。

 見よう見まねで種を吐き出す。美味しいけれど、うっかり全部飲み込んでしまいそうで、あまり積極的に食べたい物ではないなと思った。


 その他にも、岩についている苔、青紫の花をつけるトリカブトの根、岩や倒木をひっくり返した下にいる大百足などを集める。今までに作ってきた杖と比べて、ずいぶん種類が多い。


 集め終わったそれらの重さを量り、全部細かくすり潰して混ぜ合わせる。この作業にしか使わない専用の道具を使い、素手で触れないように気をつけなくてはならない。


「配分は崩してはいけない。イチイの種が手に入らない場合は、葉の量を三倍に」

「このキノコはいつでも手に入りますか?」

「いや、時期による。赤蝿捕りは分かるな? 春先なら皺頭巾でもいい。人の耳を集めたような形のキノコだから、すぐ分かる」

「なんですかその、すごく気持ち悪そうな……」


 思わず顔を歪めたところで、雷が落ちる。


「いちいち手を止めるな!」

「すみません!」


 混ぜた材料に水を足し、鍋で煮るのは屋外での作業になる。

 立ち上る湯気を吸い込まないように口元に布を巻きつけ、息苦しさをこらえて、焦げ付かないように鍋をかき回し続ける。気泡の浮かぶ鍋の中身は、いかにも毒々しい黒紫色だ。


 折しも空は厚い雲に覆われて、一面ねずみ色に変わり始めている。

 陽の光の弱まった薄暗い森の中で、顔を隠し、どす黒い鍋の中身をかき回していると、どうにも自分が良くない事をしているような、妙な後ろめたさが湧いてくる。

 そもそも、毒の杖なんて何に使うものなのだろうか。人に対して使うものだとしたら、今、思い浮かぶのは一人しかいない。


(でも、そもそも先生はガーランドには絶対関わりたくない感じだったし……)


 それはそれで、どうなのだろう。このまま先生は呪いを受けたままで、戦争が始まって、何もかもガーランドの思い通りに行ってしまうのだろうか。


「ラスト!」


 先生の強い声にハッとして我に帰った。鍋の中身が煮詰まって煙が出始めていた。

 慌てて火を消してももう遅い。先生に確認するまでもなく、これではもう一度材料の集め直しだろう。


「見ていればいいわけじゃない。ただ目を開いて見るのと、様子を見張るのは別のことだ」

「……すみません」


 先生は一度ため息をつき、それから腰に手を当てて、僕に尋ねた。


「何が気になっている」

「え?」

「お前がそんな風に集中できなくなるのは、何か、よほど気になる事があるんだろう」


 いつものごとく、見透かされている。


「すみません。真面目にやります」

「いい。私も、さすがにそろそろお前の事がわかってきたよ。後回しにしないで、先に気が済むまで話してしまった方がいい」

「う……」


 気持ちを察してもらえて嬉しいのが半分、仕方がないやつだと呆れられている気がして恥ずかしいのが半分、というところだ。照れ隠しの咳払いをして話を切り出す。


「ガーランド……さんのことを、僕なりに考えたんですけど」

「……まあ、そのことだろうな」

「一つは、色々言われて腹が立ったし、悔しかったんです。僕はせっかく先生から杖の作り方を教わっているのに、まだ全然駄目で。この前の杖は売れなかったし」

「あれは、私も悪かった。杖の需要が変わり始めていたようだな」

「いえ。僕自身がわかったんです。自分はまだまだだって」


 早く胸を張って一人前だと言えるようになりたい。

 でも、昨日出来なかった事が今日いきなり出来るようにはならない。今までもコツを掴んで上手くいくようなことは何度かあったけれど、それは小さな工程の中の話。

 着実に前に進んできたつもりでいたけれど、目指す先はまだまだ遠い。それを思い知らされた。


「それで、落ち込んでいたわけか」

「こればっかりは、自分で解決するしかないんですけど……」


 苦笑いをした。先生も、そこに関しては否定しない。きっと物を作る人ならば、誰にも共通することなんじゃないだろうかと思う。


「それを認めたら、あの人の言ったことが、たぶん全部間違いなわけじゃないんだろうって思いました」


 きっと、この国や、他の国の歴史、経済の仕組みまで分かっていないと、ガーランドの言ったことがどういう意味なのか理解することはできないのだと思う。


「でも、戦争になったら、きっとそれでたくさんの人が死んでしまったり、傷ついたりするんですよね。そういう事が、個人の考えで進んでいるのはやっぱり……」


 考えている事は色々あったはずなのに、うまく言葉にできない。自分の語彙の足りなさと、説明の下手さがもどかしい。


「関わるのはやめた方がいい。どうにもならない事もある」

「でも、このまま放っておいちゃいけないような気がするんです」

「……そうかもしれない。確かにそうかもしれないが」


 金色の目が僕を見据える。先生は、ぽつりと呟くように言った。


「それでも、それよりも、わたしはお前の方が大事だ」


 思いがけない言葉だった。

 沢山の国が大変な事になるとしても、呪いが解けないとしても、僕がガーランドと関わって危険に晒されるよりはその方がいいと、先生はそう言っている。

 呆気にとられている僕に、空から冷たい滴が落ちた。


「……降ってきたな。鍋は蓋をしておいてくれ。中身は後で、土に埋めてしまう」


 僕はしばらくぼんやりしていたけれど、だんだん雨が本降りになって来たので、急いで鍋の片づけをして家に戻った。


 気持ちを切り替えなくてはいけない。明日から仕切り直しだ。

 そう自分に言い聞かせても、その夜はなかなか寝付けなかった。

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