現れた男(前)

 初めに、ガーランドはこの家に住んでいたことがある、と先生は語った。それだけでも、僕にとっては俄かには信じられない話だ。



 十四年前のある日。ガーランドはどこから知ったのか、ふらりとこの家を訪れた。そして先生の母親である魔女に、魔法の杖の作り方を教えて欲しいと頼み込んだのだという。


「母は、最初はまともに取り合わなかった。雨の日であろうが、日暮れ間近であろうが、家には上げず叩き返した」


 そんな日が何日も何日も続いて、ある日とうとう母親は根負けした。

 アイーダ先生の口添えもあったという。


「何故ですか?」

「哀れに思った。地面に頭を擦り付けて頼み込む、あの男の姿を。母以外の人と話してみたいという、物珍しさもあった」


 十四年前なら先生は十四歳、僕と同じ歳だ。無理もないことだと思う。

 語りながら指先を見つめる先生の眼差しからは、深い後悔が伺える。


 ガーランドは手先も器用で、飲み込みも早く、みるみるうちに杖作りの腕は上達した。先に杖を作り始めていた当時の先生は少し焦ったが、あと僅かというところで決定的に追いつかれはしなかった。


「結局、それも芝居だったのかもしれない」

「芝居?」

「ガーランドの腕は私を上回っていて、それでも常に私よりも少しだけ下を装っていたということ。私があの男を侮り、警戒をしないように」


 その真偽を知る方法は僕には無い。


 その後、ガーランドは三年ほどかけて魔女の目を開いた。魔女になっていくことを厭わないその姿勢に驚き、感心したことを、先生はよく覚えているという。


「人の中に、魔女と進んで関わろうとする、偏見のない者がいるのだと思った。その時の私は」

「……違ったんですね。少なくとも、ガーランドは」

「ああ。ガーランドの目的は、魔女としての力を得る事。そして何より、母の真の名だった」

「名前?」


 そういえば初めて会った時、魔女は真の名を教えないと先生は言っていた。でも、そんなものを聞いてどうするのだろう。


「魔女は真の名を人に教えない。それは、真の名がそのまま、自分の知識、経験、全てを受け継がせるための魔法となるからだ」


 以前、魔法に関する事は記録に残さないと先生は言っていた。

 僕は、いくら秘密を守るためといっても、何もかも口伝えで残すのは難しいんじゃないかと疑問に思ったものだ。

 実際、魔女には学んだ事を後に伝えるためのもっと確実な手段があったという事。


「その魔法は、たった一度しか使えない。使えば命を落とす。だから、本当に認めた者にだけ教える」


 僕は返事さえできず、黙り込んだ。ガーランドがそれを聞いたということは、つまり、先生は聞くことができなかったという事。


「ガーランドが完全に魔女となった日。母は私ではなくガーランドに真の名を告げ、全てを伝えてしまった」


 母親の事を話す時、先生がどこか複雑な表情を見せていたことを思い出す。


「私は呪いをかけられ。奴は姿を消した。それが十年前のことだ」

「十年……それから、何を?」


 秘匿の開示は二年前だ。間が八年も開いている。


「想像でしかないが……準備を整えていたんだろう。秘匿の開示を行えば、特権を失う魔法術士から怨みを買う。そうなっても問題がないように人脈を広げていた」

「でも、魔女なのに? どうやって人から信用を得ら……」


 言いかけて慌てて口をつぐむ。先生は、気にするなというように軽く頷いた。


「恐らく、魔法で常に姿を変えている。目や髪の色を隠し、ただの魔法術士を装っている。そんな事がやれる者は、そう多くは居ないが」


 思わず息を飲んで想像する。四六時中その姿を変えて偽り、正体が露見すれば自分を迫害するであろう人々の中で生活をしながら、国のあり方までも変えていく。

 やっている事の是非は別として、とんでもなく強靭な意志を感じる。


「何が……したいんですか、その人。そこまでして」

「分からない。ガーランドは、最後の目的は誰にも明かしていない」


 富や名声が目的ならば、もう十分に得ているように思える。それとも、そういった欲望には歯止めが効かないものなのだろうか。


「わからないが……それでも、今この国が戦争に向かっている事も含めて、ガーランドの思い通りに運んでいるのだと、私は思う。だから関わらない事だ」


 その時、僕はようやく先生が一人でも魔法の杖を作り続けていた理由がわかった。

 呪いによって強い魔法を使う事ができず、誰かを味方につける事もできない先生は、ガーランドには敵わない。だから、よその国に魔法の杖を売って、少しでも国同士の格差の広がりを抑えようとしている。

 そうやって静かに戦いを続けてきたのだ。それも、勝ち目のない戦いを。



 想像もつかない境遇に、中途半端な慰めの言葉などかけられないまま、僕は今日こうしてダーネットの町に降りてきている。


 久々に町で食事を取っても、あまり心は晴れない。

 通りは相変わらず多くの人で賑わい、あちこちで新たな工事も進められていた。チックさんによると、寒さの厳しい冬がやって来る前に、水路に暖かい水を流せるようにする仕組みを作るらしい。

 先生から聞かされた話と、この他人事の賑わいはあまりにもかけ離れていて、どうにも渋い顔になる。

 食後のお茶を啜りながら溜息も出る。


 もっとも、僕自身、人の事を心配していられるような状況ではなかった。

 壁に立てかけていた包みを解いて中身を眺め、また溜息をつく。

 色々な事があったせいで頭からすっかり抜けていたけれど、僕の作った杖は、売れずに戻ってきた。


 そもそも先生は、この杖に値がつく「かもしれない」としか言っていない。

 チックさんも、いまはこの手の杖はさほど需要が無いから、売るならばいつものような万能の杖か、金属を扱う杖の方がいいと言っていた。

 それでも、この落胆が消えて無くなるわけじゃない。

 作り方を覚えてみせると豪語してみても、結局売り物になる杖が作れないようでは何の意味もないんじゃないか。


 悶々としている僕の隣の席に、男性が一人腰掛けた。

 精悍な顔つきで背も高く、立派なあご髭を生やしている。身につけた衣服の装飾からしても、それなりに地位の高い人のように見える。手にした長い包みは、ひょっとしたら魔法の杖だろうか。


(席はいくつも空いているのに、どうしてわざわざ僕の隣に座るんだろう)


 不思議に思っていると、その人は前を向いたまま独り言のように呟いた。


「ライラは元気かな」


 聞き覚えのない人の名だ。誰かと間違えて僕に話しかけているのだろうか、それとも、会ったことがあるけれど、僕がど忘れしているだけだろうか。


「……ああ、今はアイーダと名乗っているんだったかな」


 背筋が凍りついた。

 絶対に関わるな、と言われた。僕もそれを守るつもりだった。なのに、こんな風に無造作に向こうからやって来るなんて思わない。


「あなた、は」

「きみがラスト君だろう?」


 どうして僕の名前を知っているのだろう。


「初めまして。私はガーランドという者だ」


 こちらを向いたその人は、とても穏やかな微笑みを浮かべていた。

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