魔女の世界(後)
アイーダ先生は、ずっとその話を避けている。魔女として、みだりに語ってはいけないような事まで話してくれたのに、自分の足の事は何も言わない。
「私の足が動かないのは、今の話とは関係ない」
「嘘だ」
怯まずに、強く、鋭く指摘する。
「あの日、目が開いている時に見てしまったんです。先生の左足にはマナの光が無かった。この世のありとあらゆるものにマナが宿っているなら、そこだけマナが無いのはおかしいです」
あの時、先生が身に纏っているローブもマナの光を帯びていた。全てのものがマナを持っているのだから当然だ。にも関わらず、左足の付近だけあらゆる輝きが失せていた。
「僕が先生に背負われてこの家に来る時、先生の足は両方とも動いてた」
先生の眉間に皺が寄る。
僕は先生を苦しめたいわけでも、困らせたいわけでもない。でも、先生がそこまで真実を隠して守りたいものが何なのか、察しがついてしまったから。だから躊躇わない。
「……先生の足が動かなくなったの、僕のせいなんでしょう」
これに関しては、僕はほとんど確信を持っている。時期が一致しすぎている。
「何か魔法に関わる事……多分、僕の怪我を治す魔法で、そうなったんでしょう。それを話して下さい」
僕は息を吐き、いつの間にかじっとり汗ばんだ額を拭う。心臓はばくばく音を立て、喉の渇きで息苦しい。
先生はしばらく黙り込み、眉間を指で押さえていた。が、やがて観念したように語り始めた。
「……強い魔法を使うと、杖が持っているマナや、周りにあるマナでは足りなくなる事がある。そうすると、魔法を使った者の体からもマナを奪う」
『珍しいものじゃない。このくらいの弱い魔法ならば、杖の力だけで使うことができる』
確か、先生が初めて僕の前で魔法を使ってみせた時にそんな事を言っていた。
「体から、マナが奪われる……」
「普通はいずれ戻る。マナは巡っているものだから、それを取り込み、補うことができる」
「なら、先生はどうして戻らないんですか?」
「……私は、ある呪いを受けている。だから失ったマナが戻らない」
呪い。魔法とは似て非なるもの。その場限りではなく、ずっと残り続けるもの。
その説明をした時、先生が多くを語りたがらなかったのを思い出す。
どうしてそんな呪いを受けたのか、一体誰から受けたのか。聞きたいことは山ほど出てくるけれど、一番重要なのはそういうことではなかった。
「分かっていたんですか。僕を治したら、自分の体に影響があるってこと」
「死ぬだろうと思っていた。人を癒す魔法は特に負担が大きい。足一本で済んだのは意外だったよ」
「そんな……」
先生は、僕を助けて死ぬつもりだったと言っている。
「なんで、見ず知らずの僕のために、どうしてそこまで? 先生はいい人です。僕は知ってます。でも、そんなのあまりにも」
「そんなにいいものじゃない。自棄を起こしただけだ」
「自棄?」
「お前を、ここへ連れてきて……でも、手の施しようが無いのが分かった。もう、死ぬのを見ているしか無いと思った」
ようやく目と目が合った。
「あの時、お前は泣いていたんだよ。死にたくないと泣いていたんだ」
覚えていない。けれど、泣いていてもおかしくはなかった。
見続けてきた夢が断たれて、激しい痛みの中で、このまま何もできず、何も残せずに人生を終えるなんて耐えられないと、そう思ったら涙も出ただろう。
「母が死んでから、私はずっと一人だった。一人で杖を作り続け、姿を変えて杖を売りに行き、いずれ一人でひっそりと死ぬのだと思っていた。生きたいと願うお前を、見殺しにしてまで生きる意味が、私にはなかった」
そんな理由で。
今度こそ、僕は何を言うこともできずに、ただ先生の言葉を聞き続けるしかなかった。
「死ぬつもりでいたのに死ねなければ、それはそれで腹が立った。お前の前で姿を偽ることすら煩わしくなった。もう、どうにでもなればいいと思った」
確かにそうだ。それも疑問に思うべきところだったんだ。先生は姿を変えられるのに、僕にだけ最初から魔女の姿を晒していたじゃないか。
そんな事にすら気が付かなかった。
「それなのにお前ときたら、魔女の私に向かって、杖を作りたいから教えてくれなどと。いや、それよりも」
一度言葉を止め、大きく息をついた先生は、その時を思い起こすかのように遠い目をして少し微笑んだ。
「……私の作った杖を、美しいと言った」
よく覚えている。間近で見た魔法の杖の美しさが、魔女に出会った恐ろしさも、職を失った悲しみも、何もかも吹き飛ばしてしまった。
だから僕は、素直にそれを口に出した。
「母の作る杖の美しさに魅せられて、杖を作り始めた頃を思い出した。出来を褒められたのは十数年ぶりだったか」
「先生……」
「震えた。泣き出しそうになるのを、堪えた。ああ。あの時は、堪えたのにな……」
静かに、雫が滴り落ちている。
金色の目から足元へと。
「今度こそ話は終わりだ。今まで楽しかった。ありがとう、ラスト」
誰にも自分の正体を知らせず、一人で孤独に生き、何かを作り続けている人は、この広い世界には何人も居るかもしれない。
それこそ、魔女の中にはそういう魔女がたくさん居るのかもしれない。
でも、先生はその孤独に耐えられる人ではなかった。生きることに価値を見出せなくなるほどに苦しんでいた。それなのに、先生はまた一人になろうとしている。
このままお別れなんてできない。
「約束は……守ってもらいます。僕はまだ、あの日見た杖を作れるようになっていない」
先生の顔から笑みが消える。
「私の言った事がわからなかったのか。このままここにいれば、お前のためにならない」
「わかってます。だから、方法は一つしかなくて……」
僕はもう一度、大きく息を吸い込んだ。その一呼吸で迷いを振り切る。父さんと母さんの顔が一瞬、頭の中に浮かんで消えた。
「僕が、完全に魔女になってしまう前に、杖の作り方を全部覚えるんです」
「何を……馬鹿な……」
先生は唖然としていた。無理もない。滅茶苦茶なことを言っているのは自分が一番よくわかっている。だから、怒鳴られるのも当然だった。
「そんな事が、簡単にできると思っているのかお前は!」
「簡単じゃない事はわかってます。でも、さっきから先生は、僕のため、僕のためって!」
「何だと」
「自分はどうなんですか! 僕がここから居なくなっても、全然平気なんですか!」
「そんなことは……」
言い淀んだところへ畳み掛ける。
「僕に居なくなってほしいのか、居てほしいのか。どっちですか」
先生は目を見張って何度も大きく息を吸い、何かを言いかけて、その度に喘いだ。
「言えるわけが、ない。そんなことを……私の我儘で」
「言えばいいじゃないですか!」
僕は叫ぶ。駆け引きや裏を読むことなんて、僕にはできやしない。思ったことをそのまま真っ直ぐにぶつけるしかない。
「僕の命は、先生に繋げてもらわなければそこで終わってた命なんだ! どんな我儘だって、言えばいいじゃないですか!」
先生はただ力なく首を横に振り、弱々しい声を上げた。
「駄目だ。それじゃ、ラストの人生が滅茶苦茶になってしまう」
「もう、なってます」
「何……?」
「今更、先生に会わなかったみたいに生きていくことはできません。先生みたいな杖を作る事だって、諦められません」
突然、先生が僕の背に手を回して抱きしめた。案外力強くて、息苦しい。
「せ……先生、苦し……」
先生が声を上げて子供のようにわんわん泣きだしている事に気がついたので、僕は黙って待つことにした。
本当に嬉しい時も、心底悲しい時も、同じように涙が出るのは何故なんだろう。先生の背中に手を当て、その温度を感じながら思う。
やがて、小さな願いの声を僕は聞く。
「ここに居てくれ。ラスト」
「……はい」
いつか、お別れしなければならない日は来る。でもそれは今日じゃなくて、望んだことを成し遂げた日に、幸せに迎えられたらいいと思う。
きっとそのための道はちっとも楽ではなくて、それどころか、ひどく危ういものになるのは分かっていた。
それでも、僕は笑った。
先生に釣られるように涙を零しながら、胸の中の不安を吹き飛ばせるように、無理矢理に笑ったのだった。
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