魔女の世界(前)
鳥の声が響く山中の道を登ると、鬱蒼と茂った樹木の中に隠れるようにして、その家は立っている。壁面には蔦が絡み、土台には苔むして、斜めに傾き、今にも崩れそうなぼろぼろの家。
離れていたのは日数にすればほんの数日なのに、故郷に戻った時と同じような感慨があるのは不思議だ。
古びた扉を叩くと、固く閉ざされたその感触から、閂がかかっているのが分かる。
「先生。ラストです。話をさせてください」
返事はない。
「……目のことを教えてください。自分の身体の事なんです。何が起きているのか、知りたいです」
やっぱり返事はない。こうなるような気はしていたから、その場合どうすべきかも、道すがら考えていた。
僕の身に何が起きているのか。今までアイーダ先生が断片的に話してくれたことを繋ぎ合わせて、推測することはできる。
正しいという保証はない。それでも、やるしかない。僕は一度大きく深呼吸をして、もう一度声を上げた。
「目が開いたんだって、分かってます。それで、僕に見えたものが……あの光が、魔法の力だってことも」
合っているのか。間違っているのか。祈るような気持ちで言葉を続ける。
『僕にもその、力の流れが見えたら、杖を作るのは楽なんでしょうか』
『それはできない。見えるのは魔女だけだ。魔法術士だって見えているわけじゃない』
あの時、先生はそう言った。つまり。
「この言い方で合っているのかわからないけど。僕は、魔女になりかけてるんですよね」
家の中からゆっくりとした足音が聞こえ、閂を外す音が聞こえ。
扉が開いて、先生の憔悴した顔がのぞく。ただでさえ青白く生気の薄い顔がいっそう窶れているように見えて、ずきりと胸が痛む。
「……そこまで気がついているのなら、隠す意味もない」
先生はのろのろと足を引きずりながら家の中へ戻り、作業場の椅子に腰掛けた。項垂れ、表情は見えない。いつも綺麗に片付けられている作業場には、杖の材料や工具が散らばってひどい有様だ。
「お前の言う通りだ。お前が見た光は魔法の力で、私達魔女は、それを
「マナ……」
聞いたことのない言葉だ。
「魔女によっては、ジンとかアウラなどと呼ぶ事もあるが、どれも同じものだ。この世のありとあらゆるものにはマナが宿っている」
目を開いた時の僕は、本当に全てのものが光って見えた。あれがマナの光ならば、全てのものがマナを持っているというのも頷ける。
僕は一つ疑問を抱くけれども、あえて口には出さないでおいた。今はまだその時じゃない。
「その、マナを見るのが魔女の目なんですね」
「そうだ」
「それで……目が開いて、魔女になったら、どうなるんですか」
「いずれ見た目も私と同じようになる。魔女になった印は目や髪や、肌に現れる」
黄金の瞳。銀の髪。真っ白い肌。
つまり、昔から伝えられる魔女の姿は、正しくは魔女になった人の姿という事なのだろう。
予想していた通りだったとはいえ、僕は告げられた事実に頭がくらくらしそうだった。
それでは、魔女は生まれつきのものじゃなくて、普通の人間が後から魔女になることができるということだ。それなのに、人々は魔女を化け物のように扱っている。
そして、僕自身がそういう扱いになりかけているという話だ。
止まってしまいそうな頭を必死に働かせる。黙りこくってはいけない。とにかく、話をつなげなければいけない。
「魔法も使えるようになるんですか?」
「使い方を学び、杖を持てば使えるだろう。だが向き不向きはある」
(魔女の目が開いても、魔法が使えるとは限らない?)
僕が面食らっていると、先生は作業場に転がっている木片を一つ拾い上げて真横に動かした。
「物を動かせば、物に宿ったマナも動く」
今度は逆方向に動かす。
「反対に、マナを操ればマナを宿した物が操れる。マナを操る方法が魔法だ。見えるのと操れるのは別だ」
「杖は、どういう意味を持つんですか」
「杖は、その素材と組み方によってマナを操る道筋を示す。杖がなければ」
木片が床に放り投げられ、しばらく転がって止まった。
「力は、ばらばらに散ってしまう」
混乱する頭に、ゆっくりと真新しい知識を落ち着ける。マナが見える事と、マナを操れる事は別。
マナを見るのが魔女の目で、マナを操るのが魔法。そして杖はマナを操る道筋を作る。
「ええと……魔法術士は、マナを見ることができないんですよね……? いや、でも、マナが見えなくても魔法を使うことはできるから……」
「魔法術士は魔法を使うことはできる。ただ、その在り方は、歪んでいる」
深く、暗い声で先生は言う。ぞくぞくと寒気のするような声音だった。
「魔女の目を持ってマナを見、魔法によって扱う。それが魔法を使う者の、あるべき姿だった。マナを見ずに魔法を使うのは、魔女の上辺だけを真似たやり方だ」
語調に静かな怒りがある。
「それでも、以前は。そう言う人間は、ごく一部だった。そもそも魔法術士などと区別して言うあたり、魔女とは違うことに自覚的だったのかもしれない」
以前は、という物言いにピンと来る部分がある。秘匿の開示。魔法による大量生産の拡がり。今も次々と作られている魔法の杖。
「今は、魔女の目を開いていない人たちに、魔法の使い方だけが広まってる……?」
「力の在処も、使っている量も知らずに、一ヶ所で後先考えず魔法を使っている。いずれ破綻が来る」
「教えてあげないんですか?」
「誰が信じる? 人は目に見えないものを信じない。昔は、人と手を取り合おうとして命を落とした魔女が何人もいたんだ」
僕はその歴史を知らない。先生に、やってみましょうとは言うことはできない。
「これは誰にでも話せることじゃない。お前だから話している」
それは僕に対する信用なんだろう。それどころではないけれど、少し嬉しかった。
「でも、例えばみんなが魔女の目を持てば」
「それは無理なんだよ」
ほとんど割り込まれるような勢いで次の言葉が飛んだ。
「森に住み、森のものだけを食べる。目を開いた者が近くにいて、マナを感じ取りやすい仕事を繰り返す。それでも、普通なら目を開くのに三年はかかる」
たしかに、三年もの間、あるかどうかもわからない力のために魔女と共に生活する事を選ぶ人間がそうそう居るわけもない。
そう考えたところで、言われたような生活がそっくり自分に当てはまることに気がついた。
「じゃあ、ここで杖を作る事自体が……」
「そうだ。お前は、何も知らずにずっと魔女に近づくための生活をしていたんだよ」
一瞬絶句しかけて、すぐにその言葉に含まれた嘘に気がつく。
「それは違います。先生はずっと、僕が魔女にならないように気をつけてくれてた」
度々町に降りて食事をするように言っていたことも、僕の異常に気づいて杖を作る作業を止めさせたことも、今ならその理由がわかる。
僕の目が開いてしまったその時には、叫び声を上げるほどに打ちひしがれていた。
全てを語ることはできなくても、世間での魔女の扱いをよく知っているからこそ、僕がそうならないように気を配っていたのに違いなかった。
「……気をつけていても、防げなければ意味はない」
嘲るような半笑いの声には、強い自責の念が篭っているように聞こえる。
「違います。僕、何度か町で食事をするのをさぼりました。先生のせいじゃない」
「そんな事では、大した影響はない。せいぜい数日早まった程度だろう」
ならば、何故なのか。どうして僕に限って、何年もかかるはずの魔女の目がそんなに早く開いてしまったのか。
僕はそんなもの望んでいなかった。先生と一緒にいて、杖の作り方を学べれば、それでよかったのに。
「目が開くまでには時間がかかると思い込んでいた。不慮の事態など起こらないと思っていた、私の落ち度だ」
先生は立ち上がって僕に背を向ける。
「お前は私の近くにいれば、いずれ魔女になる。今はまだ自分の意思で目を閉じることもできるだろうが、そのうち戻れなくなる。二度と目を開くな。ここにも来るな」
きっぱりと、吐き捨てるような言葉。僕は床を見つめて必死に言葉を探している。
先生の決意は固い。言っていることにも、もう嘘はないように思う。このままでは話が終わってしまう。
「話は終わりだ」
「……まだ終わってないです」
震えだしそうになる拳を、膝の上でぎゅっと握り固める。先生が振り返るのを待って、僕は言葉を絞り出した。
「まだ聞いてません。先生の、足のこと」
ずっと僕と目を合わせない先生の、金色の瞳が微かに揺れた。
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