導鉄の杖(前)

 川が大きく曲がっている場所の内側。また、大岩の陰。

 すくい取った、黒っぽく艶のない砂は砂鉄を多く含んでいる。

 折しも日に日に陽射しも弱まってきており、川に入って作業をするにはぎりぎりの時期だ。腰を屈めて川底の砂を集める作業で芯から冷えて、僕はくしゃみをくり返した。


「日が暮れるともっと冷えるぞ」


 そう言う先生は一歩たりとも水に入っていない。

 泣き言をいう前に、とにかく砂鉄をたくさん集めなければならない。新しい杖を作るのに必要な材料なのだ。



 ちょうど今朝、先生が見本として僕に手渡した杖は、普段扱っている杖と比べるとずいぶん重いものだった。束ねた木の枝の隙間から見える芯は、冷たく鈍く光っている。


「……鉄?」


 先生は黙って頷いた。


「てっきり、魔法の杖には鉄は使わないのかと思いました」

「何故そう思った?」

「ええと……」


 改めてそう聞かれると、はっきりと理由があるわけではない。


「この世に、杖の材料にならないものはない。それは鉄も含めてだ」


 なるほど。なんとなく、金属は木や石とは違う、自然のものではないような気がしていたけれど、元を辿れば自然の中にあったものを加工して作られている。

 そういう意味では何も違いはないのだろう。



 集めた砂鉄をざるに入れて洗ってやると、鉄は砂より重いので下に沈む。上澄みを捨て、また洗う。この繰り返しで鉄の割合がさらに増す。水気を切って乾かすと、川底から集めた時よりもさらに黒みが増していた。


 川沿いの急な斜面を登った先に煉瓦を積み、粘土で隙間を塞いでこじんまりとした炉を作る。

 煉瓦は、何度かに分けてダーネットの町で買ってきたものだ。魔法で作られたものでないことを念押しされている。買い物の中でも特に重いので、目録に入っていると嫌気がさしたものだが、ようやく活用される機会が来て何よりだ。


「こんな小さな炉でいいんですね」

「うん。大量に作るわけでもないからな」


 炭を砕いて炉に敷き詰め、火を入れる。


「この炭は、オークと、山査子サンザシで作ったものを使う」

「決まっているんですか?」

「火力が強く火持ちもいいのもあるが、山査子サンザシは後から枝そのものも使う。炭も使っておくと馴染みやすくなる」


 馴染みやすくなるというのは手触りや接着のことではなく、例によって「魔法の力の流れ」が、という事だろう。


「そういえば、ふいごは使わないんですか?」


 前の仕事柄、僕は炉の造りには少しだけ心得があった。ただ炭を燃やしただけでは鉄を溶かすには熱が足りなくて、温度を上げるには、ふいごを使ってどんどん空気を送り込む事が重要になるはずだった。


「そこに立ってみるといい」


 言われるがまま、先生の指差した先、炉の前方に立つ。

 斜面の下から、体を押されるほどの強い風が吹いて来る。この風を炉の前方に設けた口で受けて、中にどんどん空気が入り込むという仕組みらしい。


「そうか。だからこの場所でないと駄目なんですね」


 何故こんな辺鄙なところに炉を作るのか不思議だったけれど、きちんと理由があるものだ。


「それほど質のいい鉄はできないが、杖にするには鉄の固さはあまり関係は無い」

「へえ……」


 わくわくしながら炉の様子を眺めていると、先生がぽつりと呟いた。


「やはり金属を扱うのは好きか」

「え?」

「いつもより楽しそうだ」


 確かに、そうだったかもしれない。そして、そう言う先生はどこか寂しそうに見えるのは僕の気のせいだろうか。


「細工師をしていた時を思い出すんじゃないか?」

「うーん。というよりは……」


 顎に手を当てて考える。自分の心境というのは、結構自分では説明しづらい時がある。


「杖を作るときは、いつでも楽しいですよ。馴染み深い素材だから、いつもより不安が少ないのかもしれないです」

「そうか」

「ひょっとして、僕が細工師に戻りたくなったりしないか、心配になりましたか」

「別に心配していない」


 慌てて憮然とした表情を作っているけど、ほっと息を吐いた音が聞こえている。先生は意外に心配性なところがあるんだな、と密かに苦笑した。


 その時。炉の表面に、急に眩しい光がちらちらと瞬いた。穴でも空いたのかと思い、慌てて注視すると光は消える。


「またか……」


 軽く目を擦る。最近、こういう事が妙に多い。


「どうした?」

「いや、最近なんだか見てるものがちかちかする事が多くて。でも平気です」


 返事が返ってこないので顔を向けると、先生が見たこともないような表情で固まっていた。

 強張った顔に浮かんでいるのはのは、戸惑い。驚き。そして、恐れだ。


「いつからだ」

「え?」

「いつからそういうものが見えている」


 切羽詰まった声。両手で僕の肩を掴み、金色の目で探るように見つめている。

 僕は必死に記憶を辿る。


「ええと……最初はたぶん、狼を獲った時かと」


 恐る恐る答えると、先生は落ち着きなく視線を彷徨わせた。


「今日はここまでにしよう」

「でも、まだ全然作業の途中で」

「いいからここまでだ」


 せっかく火を入れた炉を打ちこわして、慌ただしく作業は中断された。炭も中途半端に焼けてしまったから、新しいものを用意しなくてはならない。


「今日は……もう遅いか。明日、町に降りて食事をしてこい」

「この前行ったばかりですよ」

「それでもだ」

「先生。何を焦ってるんですか」


 ばたばたと、鴉か何かが飛び立つ音がした。先生は眉をひそめて俯く。


「ラストは……ここに馴染み過ぎている」

「それが、そんなにいけないことなんですか?」

「……よくない。早く気がつくべきだった。すまない」


 僕はひたすら困惑した。何を謝られているのかわからない。

 わからないけれど、ただ、先生がひたすら不安そうな顔をしているのが気にかかって、大人しく従う事にした。



 そして。

 その晩、僕はいつかの夢の続きを見た。


 暗い道を流れている光の川。その水かさは僕の足元から肩まで上がっていて、そのまま水位は上がり続け、僕はすっかり頭のてっぺんまで水に沈む。

 息苦しさは感じない。不思議な事に、何故今までこうでなかったのか、こちらの方が自然だったじゃないかと、そんな風にさえ感じていた。



 ベッドの中で目を開いても、その光景は続いていた。

 壁にも、床にも天井にも、白いシーツや、思わず見つめた僕の掌、それぞれに色の違う小さな光の粒が溢れ、蠢いていた。

 見渡す限り一面に光が溢れているのに、眩しいとは感じない。何か異常な事が起きているのはわかるけれど、恐ろしくはなかった。


 光を纏ったドアノブを回し、部屋を出る。


「……先生」


 作業場に居た先生が僕を見て、杖を削っていたナイフを取り落とし、悲鳴を上げた。その姿もやっぱり光に満ちている。

 ただ、先生の動かない左足の部分だけは、ぽっかりと穴が開いたように光が消えていた。

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