花祭りの日(中)

「ずいぶんたくさん食べるね」


 僕の心配をよそに、エマは山のように盛られた揚げ菓子を次々と口に運んでいる。


「ラストにも分けてあげる」

「ありがとう。……うん、すごい味がする」


 見たことのないそのお菓子は、シロップに漬けた上にうんと砂糖がまぶしてあって、一つで胸がいっぱいになる味だった。

 にも関わらず、その後もエマは喉が渇いたと言って果物のジュースを買い、お肉も食べたいと言って串焼きを買い、平べったい麺の料理も平らげた。

 僕よりも身体が小さいのに、食べたものはどこに入っているのだろう。


「そんなにお腹が空いてたの」


 尋ねると、齧っていたくるみ入りのパンを飲み込んでエマは首をかしげる。


「そういうわけでもないんだけど、珍しいものが多いから食べておこうと思って」


 確かに、食べ物だけでなく、色々と珍しいものを出す屋台が多いようだ。異国情緒のある織物や器もあちこちに並んでいる。

 それはつまり、この国の貿易が盛んで、豊かになってきている証拠で、国境付近の不穏な動きとは裏表なのだと思う。


「明日は、あまり食べている暇無さそうだしね」

「このお祭り、明日もあるの」

「というか、明日が本番でしょう?」

「そうだったのか……」


 全然知らなかった。言われてみれば、まだ飾り付けの途中らしいところがちらほら見受けられる。


「ラストってこの辺の人じゃないのね」

「……まあね」


 さすがに、普段はそこの山の中で魔女と暮らしていますとは言えず、言葉を濁す。


「明日はみんな広場で、楽団の演奏に合わせて踊りを踊るの。ちゃんと練習してきたんだから」

「へえ」

「ラストは明日来られないの?」

「ええと……ちょっと、聞いてみないとかな」


 今日のアイーダ先生の用事が遅くまでかかるから一泊するだけで、何もなければ明日の朝にはここを出ることになるはずだ。


「明日も来られるなら、踊りの練習しましょうよ」


 いいことを思いついた、というような顔でエマは両手を広げている。


「僕は踊らないよ」

「どうして?」

「どうしてって、踊り方なんて知らないし」


 本当はそれ以上に、単純に恥ずかしいのが大きい。僕はあがり症で、大勢の前で披露するようなものはまともに出来た試しがない。


「男の人は簡単なんだよ。ちょっと、そこに立ってみて」


 言われるがままに向かい合って立ち、手を繋ぐと、エマの足が石畳の上を跳ねた。

 髪とスカートの裾がふわふわ揺れる。練習してきたと言うだけあって、軽やかで楽しげだ。


「手はこのままで、ぐるっと回るだけでいいから」

「こう?」

「そう、そう。そしたら、今度は私と同じように動いて」


 あっという間に乗せられて、僕はぎこちなく足を上げ、下ろす。通りすがりの人たちの笑い声が聞こえる。


「邪魔じゃないかなあ」

「平気よ。ほら、あっちでも練習してる人がいるでしょう」


 確かに、僕たちに触発されたのか、あちこちで同じように組になって踊っている人がいる。


「で、お互いにお辞儀をして。あとは繰り返し。順番がずれても気にしなくて平気」

「大らかだなあ」


 全然上手くなった気はしないけれど、思ったほど恥ずかしくもなくなった。


「本当はこんな仕事着じゃなくて、よそ行きの服で踊りたいんだけどね」


 そう言って、エマはスカートの端をつまんで見せる。十分似合っていて可愛らしいと思うけれど、素直にそう言うのは褒め言葉になるのかどうか微妙な気がした。


「よそ行きの服かあ。この辺じゃ売ってないかも」

「それはそうかもね。知ってる? 王都の方では綿織物がすごく安くなってきてるんだって。そのうちこの辺りでも手に入りやすくなるかな」


 綿織物が安く作れるようになってきたというのは、多分魔法のおかげで、魔法の杖があるおかげなのだと思う。

 なんでもそこに繋がってくる。


 いつの間にか陽が傾き、雲のない空が茜色に染まり始めている。そろそろ先生の話も終わった頃だろうか。


「あ、僕そろそろ行かないと」

「じゃあ明日、お昼頃に広場のあたりに居るから。来られるといいね」

「うん。踊り方、せっかく教えてもらったし」

「じゃあね」


 石畳の上に長く伸びた、僕たちの影の手が揺れ、別れを告げる。



 町の中心部から離れると、祭の喧騒は遠く、かすかに耳に届く程度になる。

 歩きながら、先生はしきりに苦しそうな咳払いをしていた。


「大丈夫ですか?」

「長く、声を変えていると、どうもな」


 そう言う先生の声は、ほとんど元の声に戻りかけている。


 お店に行った時の様子ではチックさんもだいぶ疲れているようだった。机の上には地図や新聞がごちゃごちゃ積み上がっていたので、あの調子でずっと情報を集めていたのだろう。


「成果はどうでしたか」

「まずまずだ。ラストも聞いておくか」

「うーん……今度でいいです。先生も辛そうだし」

「まあ、そうだな」


 祭りのせいでお客さんが多いのか、僕が取った宿で空いている部屋は隣り合った最後の二部屋だった。

 自分の部屋の扉を開く先生の姿はもう老婆ではなく、いつものローブ姿の魔女に戻っている。


「明日は朝早く出よう」

「あ……あの、その事なんですけど」


 言う機会は今しかない。


「明日、もう少しお祭りを見ていってもいいですか?」


 僕は少し緊張しながら問う。もしも先生が自分も残ると言い出したら、なんと説明したらいいだろう。


「……別に構わない。私は先に戻るが」


 どの道、杖を使って飛べる先生と僕とでは進む速さが全然違う。一緒に出ても、一緒に歩く形にはならない。


「分かりました。荷物は、いつものようにチックさんから受け取ればいいですか?」

「頼む。今回は私もいくらか持って帰るから、それほど多くないだろう」


 間を置いて、先生は少し微笑んで僕に聞いた。


「祭りはそんなに面白かったか」

「……はい。思ったよりも」

「それは良かった」


 エマの事はなんとなく口に出せなかった。何も悪いことなんかしていないのに、妙に後ろめたさが湧いてくる。


「あまり帰りが遅くならないようにな」


 扉を閉じる寸前に、先生はそう付け加えた。喉が痛かったせいなのか、それはとても小さな声だった。

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