花祭りの日(前)
山の麓、ダーネットの町にほど近い街道付近で僕はアイーダ先生と落ち合った。先生は自分の杖に乗って山を降りてきたので、多分時間にしたら僕の半分もかかっていないだろう。
もっとも、ここからは人目につく可能性もあるので歩いて進まなくてはならない。
町の中に水を引き込むため、川の下流は堤防が築かれて大きく曲がっている。それを眺め、先生は眉を顰めた。
「ひどいものだな」
「ひどい、ですか」
確かに最初に見たときはあまりの変わりように驚いたけれど、特に見た目が悪いわけではない。ひどいというのはどういう意味だろう。
「こういう無茶なことをするものじゃない。元からある形を無理やり変えて、その後どうなるか考えていない」
「どうなるんですか?」
「……わからないから問題なんだ」
むっつりとした表情のまま、先生が杖をまっすぐ立てた。
「瞼に、瞳に、石のまぼろし」
呪文と共に、その姿が以前見せられた老婆の姿へと変化する。今持っている杖にも廃光晶の欠片が仕込まれているのだろう。僕の作った杖で化けた時とは違って、不自然に姿がちらついたりはしない。
続いて、先生は懐から小瓶を取り出して口に含んだ。
「それは?」
「簡単な呪いの道具だ。ニガハッカの葉やキクニガナの根や、色々煎じたもの。声を変える時に使う」
「……苦そうですね」
「味は最悪だ」
返事をする声はすっかり老婆のものになっている。これなら先生が銀髪金眼の魔女であることを見抜ける人は居ないだろう。僕だってここで一部始終を見ていなければ気がつけるはずもない。
事実、町に入っても僕たちを気に止める人は一人としていなかった。
というより、みんなそれどころではない様子だったというのが正しいかもしれない。
「ずいぶん人が多いな」
「町がだいぶ変わりましたから。……それにしても今日はちょっと賑やかすぎますね」
あちこちから聞こえてくる笛の音、太鼓の音。大通りでは鉢植えの花や切り花が並び、それを買い求める客の声が飛び交っている。
「ああ……ダーネットの花祭りか」
その名前には聞き覚えがあった。もっとも、僕の知っているこの町の花祭りというものは、祭りというより花を売り買いする市のような、地味なものだったはずだけれど。
「こんなに大きなお祭りでしたか?」
「いや。去年まではこんなではなかったはずだが」
人混みをかき分けるようにしてようやくチックさんのお店へとたどり着き、ドアを開く。接客中のチックさんは、こちらに気がつくとぎょっとした様子で目を見開いた。
「いや、これはこれは、アイーダさん! いやあ今日はどうしたんです」
へこへことしか形容できない媚びた態度でチックさんが素早く椅子を並べて出す。普段の僕への対応とは大違いだ。
「色々と調べたいことがあってね。礼金は払う」
先生の言葉にチックさんの目がぎらりと光る。商機を見つけた商売人の顔だ。先ほどまで相手をしていたお客さんは、二言三言言葉を交わしてさっさと追い出してしまった。
「まずはどのあたりを?」
「国境付近の様子。特にルウェ、イバニアのあたり」
「ああ。あそこは一番危ない。新聞には出てないが頻繁に衝突が起きてる。これは知人から送られてきた手紙ですがね、特別にお見せしましょう」
二人だけで込み入った話が始まってしまい、何となく所在をなくした僕はぼんやり窓の外を眺めた。
「ラスト。退屈なら、外を見て時間を潰してくるといい」
「いいんですか?」
「暗くなるまでかかる。食事を済ませて、宿を取っておいてくれ」
いつも通り、ちょっと多すぎるほどの昼食代を手渡されて店を出る。
宿の手配を済ませると、僕は祭りの喧騒の中に一人で放り出される形になってしまった。どこから見て回ったらいいものか見当がつかない。
(お昼は、屋台か何かで済ませようかな)
考えながら周囲を見渡していると、前方に山のように花を積んだ荷車があった。左右にぐらぐら揺れながら通りを進んでいく。何かあれば今にもひっくり返りそうだ。
(……大丈夫かな、あれ)
不安を感じて足早に近づく。路地の段差に車輪が乗り上げ、荷車が大きく傾く。
「危ない!」
咄嗟に、体当たりするような勢いで手で支える。花びらがぱらぱらと溢れたけれど、なんとか完全に倒れてしまう前に止めることができた。
「誰だか知らないけれど、ありがとう! ねえ、ちょっとこのまま運ぶの手伝ってくれない? そこまでで良いんだけれど!」
荷車の前方から女の子の高い声が響く。そこ、と言われてもどこまでなのか。おそらく指さすか目線を向けるかしているのだろうけど、荷車からはみ出している花籠のせいでその姿が見えない。
とはいえ、元々女の子が一人で運ぶつもりだったのならそれほどの距離ではないだろう。そう判断して引き受けることにする。
「いいよ。じゃあ、こっち押すよ」
「ありがとう!」
予想に反して荷車は大通りを抜け、広場を横切り、ゆるい坂道を登る。一体どこまで押せばいいのかと焦りだした頃にようやく止まった。
女の子はそこに出ている出店の店主といくらか言葉を交わし、お金のやり取りをした後にようやくこちらを振り返った。
「どうもありがとう。うん、私一人じゃこの量はちょっと無理があったなあ」
「どういたしまして」
軽く手を振ってその場を後にしようとした僕は、勢いよく袖を引っ張られる。
「な、なに?」
「ちょっと待った! まだお礼してない」
「いいよ別に、そんなの」
改めて見ると、女の子は多分僕とそれほど年も違わない。
肩の辺りで金色の髪を切りそろえ、頭に花模様のスカーフを巻いている。
大きく膨らんだ袖とスカートはあまり見たことのない形だけれど、これが今の流行りなのだろうか。
「お昼は済ませた?」
「まだだけど」
「私もまだなんだ。何かご馳走するから食べましょうよ。あんまり高いのは無理だけど」
勝手に決めて、さっさと坂道を下り始めている。僕はこの少女にすっかり主導権を握られていることに動揺しながら、おとなしく後をついていくしかなかった。
(考えてみればここ何ヶ月か、先生とチックさん以外の人とまともに話をしてないものな。きっとそのせいだ)
一人で納得している僕に、振り返った少女が尋ねる。
「名前! そういえば名前聞いてなかった」
「ラストだよ」
「私、エマ。よろしく、ラスト」
差し出された手の意味を一瞬図りかねて、慌てて逆の手で握る。柔らかくて暖かい手だ。
「何が食べたい? 私、揚げ菓子が気になるなあ」
「お菓子じゃご飯にならないよ」
「他にも色々食べるの。ほら、あのスープとか。あっちは腸詰めかな? 串焼きも美味しそう。パンも欲しいよね」
どれだけ食べる気なのかと、僕は苦笑する。エマの快活さに最初は驚いたけれど、一人であてもなく過ごすよりはよほどお祭りらしくなりそうな気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます