早瀬の鳴り杖(後)
なかなか落ちない枝に悪戦苦闘しながら、何度も手斧を振り下ろす。
汗が額を伝って顔に落ちてくるのが不快だった。木の上で作業をする時は羽虫に刺されたり木の枝で引っ掻いたりするので、暑くても袖付きの服を着なくてはならない。
僕の苦労など知る由もないアゲハ蝶が一羽、ふらふらと目の前を横切った。
「か……固い!」
喘ぎながら泣き言を言うと、少し離れた場所で見ているアイーダ先生が応じた。
「今回作る杖は早瀬の鳴り杖といってな。水辺で使う杖だ。栗は水に強くて腐りにくい」
「その代わり、固いっていうことですね」
栗の木がこんなに固いものだとは知らなかった。実は言わずもがな、先生によれば葉も煎じると薬になるそうで、様々に役立つ木だ。けれど、今はこの固さがとにかく恨めしい。
「まあ、そうだ。ただ、固さで言えば
「えっ」
樫の枝はこの前先生が切り落としていたはずだ。いったいあの細腕のどこにそんな力があるのだろう。
「気をつけろよラスト。疲れてくると手元が狂いやすい。自分の手足を落とすなよ」
「……気をつけます」
そういえば工房に勤めていた時も、失敗を取り戻すより怪我を治す方が時間がかかるから、無理をして怪我をするのは一番良くないと言われていた。
そんな言葉を思い返しながら、なんとか集中を切らさないように気を張って、手頃な大きさの枝を落とす。
木への上り下りもずいぶん上手くなってしまったような気がする。地面に腰を下ろして水筒のお茶を一口飲むと、まさしく生き返るような心地がした。
「あとは、帰りに柳を採っていく」
「魔法の杖を作るのって、ずいぶん色々な木を使うんですね」
楡、宿り木、樫、樅に栗、そして柳。今まで作ってきた杖は全部違う種類の木の枝を使っている。
「ああ。世の中に、杖の材料にならないものは無いと言われている」
「そんなに、なんでも杖になるんですか?」
「なる。海辺では貝や蟹の殻なども使うそうだし、金属や宝石を使うやり方もある」
こことは全く違う場所にもやっぱり魔女は住んでいて、僕が今作っているようなものとは全然違う杖を作っているのだろう。
僕はそこに一点の関わりもないし、見ることもなく生涯を終えるかもしれない。少し寂しいようで、知らない場所にも仲間が居るみたいで勇気付けられるような気もした。
材料を全て揃えて家に戻ると、早速作業場で杖の作り方を教わる。
手順としてはまず、長い栗の枝の側面に小さな穴を開け、魚から採れた石を埋め込み、柳の細枝を使って覆うように縛る。柳の枝は水に浸すと柔らかくなって曲げやすくなり、乾くと固さが戻るということを初めて知った。
それから、同じ太さの栗の枝を切って、いくつもの木片を作る。叩いて同じ高さの音がするのを確かめてから、位置を揃えて吊り下げる。それも、間隔を揃えて全部で三段。
虫食いの空洞があったりすると全然音が違うのですぐに分かるけれど、そうでない、微妙な音の違いを聞き分けるのは難しい。作業場に、木と木のぶつかり合う小気味良い音が何度も響いた。
「なんだか、杖を作っているというより、楽器を作っているみたいですね」
「実際、寄り道をして他の道具を作ることにのめり込んでいった魔女も少なくはないそうだ。楽器に、彫刻。服や、薬もそうか」
「へえ……」
その魔女達は、今どうしているのだろう。今や魔法で道具を作ることは特別ではなくなった。魔女は大っぴらに物を売ることも出来ないだろうから、苦労しているかもしれない。
「先生は、他のものを作ろうと思ったことはないんですか」
しばし沈黙が流れる。記憶を辿っているのか、それとも話す言葉を選んでいるのか。
「私にはこれしかなかった。子供の頃に母が作っているのを見て、自分も作りたいと思って。それから、他のものは目に入らなかった」
「……じゃあ、僕といっしょですね」
「そうだな」
てっきり「一緒にするな」などと突っぱねられるだろうと思っていたので、僕は驚いて二の句が継げなくなった。先生は目を細めて柔らかく微笑んでいる。初めて見る表情だった。
「手が止まっているぞ」
言われて、慌てて作業を再開する。眺めていてももう一度同じ表情は見られないだろう。
僕は黙々と作業に集中した。
物を作る時に大変なのは、技術的な難しさもあるけれど、作業の単調さに耐えることだと思う。
一日中頑張っても、目に見える形で成果が出るとは限らない。それどころか三日、四日かけても最初と変わりがなかったり、一週間経って見直してみたら最初よりも出来が悪くなっている事だってある。そうなれば作り直しだ。
それでも投げ出さずに、最後まで続けなければならない。途中で諦めてしまえば、杖はそこで終わる。完成することはなく中途半端な木の塊となって残る。誰かが勝手に続きを作ってくれることはないのだ。
八日ほどして、僕と先生は再び河原までやって来ていた。相変わらず陽射しはきつい。
以前は網を持ってきていたけれど、今日の僕が手にしているのは自分で作った杖だ。出来上がってから全体のつり合いが良くないのがわかって、丸々作り直すのを二度繰り返した。ようやく見た目だけは合格が貰えたので、これから実際の使い勝手を試してもらうところ。
この結果次第ではまた作り直しということもあり得るので、恐る恐る杖を手渡す。
「水底の眠る蛇を、起こせ、舞わせ」
先生が唱えながら杖を二度、三度と地面に着く。その度にぶら下がった木ぎれ同士がぶつかり合って、からからと涼しげな音を立てた。
やがて川面に波紋が浮かび、細く透明な水の柱が立ち上がる。それは陽の光を浴びてきらきらと輝きながら弧を描き、また川へと戻る。
おお、と感嘆の声を上げた後に僕は首を傾げた。
「何か問題があるか?」
「いや、ええと」
水の柱が次々と上がっては、川へと戻る。それだけといえばそれだけだ。この魔法は何に使うものなのだろう。取り立てて便利とも思えない。
苦労をして杖を作った割に地味なので、少々拍子抜けしてしまったところがある。
「……なんだかこう、慎ましやかな魔法ですね」
先生の杖の動きに合わせ、折れ曲がった細い水柱が僕の頭めがけて落ちてくる。
「うわっ!?」
慌てて飛び退くと、水の塊は地面に落ちて弾けた。
「魔法が慎ましやかなのは、お前の杖の出来が今ひとつな所為だ。もっと精進しろ」
どうやら先生の機嫌を損ねてしまったらしい。
「先生って、結構子供ですよね……」
「もう一度やるか」
杖を構えて凄む先生に、僕はあえて両手を広げて挑発する。
「今日は暑いから丁度いいです。さあどうぞ」
「こいつ……!」
「あいたっ!?」
先生が鼻白んでまた杖を構えようとしたところで、僕の頭に何かがぶつかって跳ねた。地面に落ちてびちびちと跳ねているそれは、鱒の大物だ。この杖を作るために獲ったものよりずっと大きい。
僕と先生は無言で顔を見合わせ、やがてどちらともなく堪え切れなくなったように笑い出した。
何がおかしかったのかと聞かれても、きっと、この場の僕たちにしかわからないおかしさだったと思う。
僕は先生が本当に可笑しそうに声を出して笑うところを初めて見た。そうして笑っていると、なんだか僕と同じ歳くらいの女の子みたいにも見える。
いつだってこんな風に笑わせていられたらいいけれど、それはとても難しいことだろう。
実際、そんな機会は無いまま数日が過ぎた。僕は今まで習った杖の作り方をおさらいしながら毎日を過ごす。日増しに木々の緑は色濃くなっていく。
そんなある日、いつもより少し早く起きた僕は、先生が見慣れない鞄に物を詰めて支度をしているところに挨拶をした。
「おはようございます。……先生もどこかへ出かけるんですか?」
僕は今日、例によってダーネットの町まで杖を卸しに行くことになっている。
「おはよう。少し気がかりなことがあってな」
先生はしばしば、予想のつかない言動で僕を驚かせる。といっても、多分先生からしてみればそんなに突然でも珍しいことでもなくて、後から来た僕の方が勝手に驚いてるだけなのだが。まさにこの日もそうだった。
「今日は私も街に降りる。泊まりになるから、ラストも準備をしておけ」
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