予感
しばらくぶりに降りたダーネットの町は前にもまして人が増え、景観もずいぶん変わっていた。
高い建物が増えて、大通りは全面が石畳になっている。花壇には色とりどりの花が植えられて目に痛いほど。
一方で、いつも利用していた食堂は閉店してしまっていて、少し寂しい。跡地には高級そうな雰囲気の革細工の店が立っていて、値段がずいぶん張りそうだったので入るのはやめておいた。
昼食は、削ぎ切りにした塊肉と野菜を薄いパンに挟んだ見慣れない食べ物の屋台で済ませ、チックさんのお店に顔を出す。いつものように、注文した日用品を受け取る。お決まりの慣れた作業だ。
それにしても、僕に杖の作り方を教えながら、売りに出すための杖もきっちり作っている先生はやっぱり凄いと思う。
僕自身は、杖が作れるようになったといっても、まだ売り物になるものは一つも作れていない。
そもそも先生に聞いた話では、円環の緑の杖や風繋ぎの杖のような、特定の魔法に向いた杖はあまり売れないのだという。それらの作り方をちゃんと覚えてから、様々な魔法に使える杖を作れるようになり、売れるようになる。ひょっとすると、僕がそこまで行くにはまだ何年もかかるかもしれない。
「品物は以上。ああ、今回から預かり証も出すからな」
預かり証というのは、今まで僕が持ち帰っていた杖の代金をこれからはチックさんのお店の金庫に預けることになったので、その証明のために出る書類だ。
「よろしくお願いします」
「金額の確認はしっかり頼むぜ。まあ、この方がいいだろ? 最近じゃこの辺も人が増えて、スリやかっぱらいなんかちょくちょく出るからな」
「そうなんですか」
人が多くなったのは感じたけれど、そんなことになっているとは知らなかった。
「気をつけなよ。そんな田舎者丸出しの格好じゃカモにされるぜ」
「そんなに田舎くさいですかね……」
言われてようやく、僕は草の葉で緑色に汚れたシャツやズボンを少し気にした。山の中を歩いて降りてくるので、どうしてもこうなる。
「ま、そうでなくても子供が大金を持ち歩くもんじゃないな」
それは確かにそうだ。ふと、先生がその事に気付かなかったのだろうかと疑問に思う。
「あ……」
「ん? どうした、金額が合わなかったかい」
「あ、いえ。そういうわけじゃないです」
もしかしたら先生は、大金を手にした僕がそのまま家に戻らないかもしれない事に気が付いていて。そうなっても構わないと思っていたのかもしれない。
僕が初めて町から山中の家に戻った時、先生が少し驚いたような顔をしていたのを覚えている。あの時はあまり気にも留めなかったけれど、僕が帰ってきたことに驚いていたのならば辻褄があう。
そして、杖の代金を預けることにしたということは、もうその可能性は考えなくなったということなんだと思う。
「しかし、いい加減教えちゃくれんかね。お前のばあさんは杖をどこから仕入れてんだい」
「えっ?」
ぼうっと考え込んでいた僕は間の抜けた声を出してしまった。
「今日び、魔法の杖の入手先なんか限られてんのさ。落ちぶれた貴族階級の払い下げとかな。それにしちゃあ品が新しいしよ。まさか、ばあさんが作っているわけでもないだろ」
「いや、それは僕も聞いていないので……」
そのまさかなのだが、正直に言うわけにもいかず、しどろもどろになってなんとか誤魔化す。
「ふうん。まあいいよ、出どころがどこでも金に換えるのはこっちの仕事だ」
「チックさんは、先……おばあちゃんとはどうやって知り合ったんですか?」
逆に質問を返すと、チックさんは面食らったように片眉を上げた。
「聞いてないのかい。俺は以前はあちこちの国を回って商売してたんだがな。このへんで杖を売る経路を探してる、変わり者のばあさんがいると聞いて探し当てた」
「変わり者のばあさん」
いちいち受け止め難い言葉が出てくる。
「無事に見つかったんで、ここに家を借りて落ち着く事にしたのさ」
「じゃあ、おばあちゃんの杖を当てにしてここに店を……作ったんですか?」
「おお。十分元が取れると踏んだからな。まあ大当たりだったわけだ」
からからと得意げに笑っている。なかなか思い切ったことをする人だ。それとも、そのくらいの度胸がないと商人というのは大成しないんだろうか。
「それに、これからますます忙しくなるしな」
「どうしてですか?」
「少しは世の中の動きに気を配りなよ。新聞くらい読むだろう」
「新聞?」
「……大丈夫か、本当に。取り残されてるぜ」
チックさんが呆れ顔で寄越した薄い紙を受け取ると、そこにはあちこちで起きた出来事が丁寧にまとめられて載っていた。それが新聞というものらしい。紙の質は普通の本よりちょっと落ちるけれど、文字が綺麗で、書いてあることが多くて面白い。
「何が書いてあるか読めるかい」
「ええ、まあ、一応」
前の仕事の時、読み書きについては最初にみっちりと教え込まれた。できるようになっておいて絶対に無駄になることがないから、ということだったけど、確かに師匠の言う通りだ。
読み進めると、新聞の内容は国境近くでの隣国との揉め事について書かれたものが多くて、なんだか物騒だった。
「不穏だろ。このまま行くと、そのうち戦争が始まるかもしれんね」
「戦争!?」
素っ頓狂な声を上げてしまった。戦争なんて、僕が生まれる前からずっと起きていないはずだ。全然実感が湧かない。
「そんなに驚くことじゃないさ。この国は魔法のおかげでずいぶん潤ったが、周りの国はそうでもない。差が出来ちまったんだな。そうすると争いが起きる」
「どうして、そんな差が……」
「他人事みたいに言うなよ。杖が足りてないからだろう」
背筋が寒くなった。知らないうちに、僕もそういう大きな世間の動きに関わっていることになるのだろうか。
「とにかく、世間が揺れている時こそうまい話がある。大きな儲けが出せるのは、こういう時に流れを読んでいる奴なんだよ」
熱っぽく語られて僕は辟易した。チックさんのこういうところはあまり好きじゃないかもしれない。
古い新聞をおまけにもらって、複雑な気持ちで店を出る。なにげなく魔法蒸気列車の駅舎の方を見やると、魔法術師が杖を掲げて呪文を唱え、今まさに増築の工事をしている最中だった。切り出された大きな石が宙に浮かび上がって、整然と並べられていく。
あれも弱い魔法の範疇なのだろうか。
魔法術師が手に持っている杖は先生の作った物じゃない。遠目で見ても、あの背筋がぞくぞくするような、魅入られるような美しさがなかった。
世間がどうでも、僕が憧れたものが変わるわけじゃない。それでも確かに、世の中のことにもっと気を配る必要はあるかもしれないな、と思った。
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