幻灯の石の杖
「先生。この机の上の本、ずっと出しっぱなしですよ」
「それは後で読もうと思っていたんだ」
「一昨日から出しっぱなしです。今読まないなら片付けましょう」
「お前、なんだか可愛げがなくなったな。ラスト」
「変な遠慮をやめたんです」
ふてくされたような顔でしぶしぶ本を仕舞うアイーダ先生に、僕は笑いながら答える。
あの日から僕と先生の関係は少し変わった。
僕は冗談も言うし、口答えもする。先生は相変わらず答えたくない質問には黙ってしまうけれど、そう言う時はすぐに話を変えてお互いに引きずらないことにした。
「次の杖を教えようと思う。幻灯の石の杖、という」
そう言って先生が見せてくれた杖は、今まで作ってきた杖とはだいぶ異なる形をしていた。
装飾性が高いというのだろうか。表面には奇妙な文様が彫られ、握りの最上部は細い枝が籠のように編まれて廃光晶が収まっている。
「石の杖っていうから、石を削って作るのかと思いました」
「元々は石で作っていたらしい。ただ、結局重いし壊れやすいから実用に向かない」
「使いづらい道具は良くないですね」
「うん。道具は使ってこそだ。見栄えも気にはするが、飾っておくものを作る仕事とはまた違う」
この点では、僕と先生の価値観は一致しているらしいのが少し嬉しい。
この杖には
「一本作るのに、こんなにたくさん枝を使うんですか?」
「まあ、すぐにわかる。これでも足りないかもな」
そう言って、先生は意味ありげに笑った。
樹皮を剥いで表面を磨くところまでは風繋ぎの杖と同じで、そこから木炭を使って白っぽい木材に模様を描いていく。
複雑な模様だった。基本は円と直線の組み合わせだけれど、時折見たことのない文字のようなものが混ざる。先生の隣に座り、目で見て同じように描いていっても頭がこんがらかりそうだ。
「これ、見本の図とかは無いんですか?」
「杖の作り方を書物にして残すことは禁じられている。効率は悪いが繰り返して覚えるしかない」
はっきり言って、自信がない。何十回作っても覚えられる気がしない。それでもなんとか描いては消し、描いては消しを繰り返して下絵を写し終わった。最初の一日目はそれだけで終わってしまった。
翌日から、下絵にそって彫りの工程に入る。
「
確かに柔らかい。勢いをつけなくても、ナイフを押し当ててじわりと力を込めれば刃先が入っていく。逆に、力加減を間違えると思った以上に手が進んで掘り過ぎてしまったり、裂けてしまったりする。
「やり直しだ。新しい枝を」
「はい」
下絵から僅かにはみ出してしまった程度でもやり直しになる。あっという間に僕の足元には何本もの失敗作が積まれていく。枝が足りないかもしれないと言われた意味が分かった。
「この枝って、どうするんですか」
「まあ、乾かして薪にでもするしかない」
「薪に……」
無駄にならないのはいいけれど、単純に悔しい。
次第に僕は、息を止め、食い入るように枝を見つめて作業をするようになっていた。
「少し休憩を取った方がいいな」
先生にそう言われて気がつくと、僕は全身にぐっしょりと汗をかいていて、首や肩ががちがちに固まっていた。椅子から立ち上がった途端に足がふらつく。
それでも先生は特に労いの言葉をかけたりはしない。それはつまり、このくらいの苦労で音をあげたりしないと思ってくれているということで、その期待には答えたい。
それから、雨の日と晴れの日が何度か交互に訪れた。
枝を拾い、蛙を取って、先生に教わって食べられる木の実やキノコの種類を覚えて、杖に模様を描き、彫る。それを繰り返す。
不思議なもので、最初は絶対に覚えられないと思っていた杖の模様も次第にそらで描けるようになってきていた。慣れというのは、自分でもわからないうちに自分に出来ることを増やしてくれる。
不思議な気持ちだった。僕は、苦しさと楽しさをどちらも感じていた。
うまくいかないことに苛立ちながらも、全部を投げ出してしまいたいとは思わない。失敗を繰り返しているのに、自分にはもっとうまく出来るはずだという、不思議な自信のようなものがあって、手が動くのだ。
何日もかけてようやく最後まで彫りを進めた杖の上部に、何本も細い枝を刺し、折り曲げて、廃光晶の欠片を包み込む。僕にとっては特別に思い出深い石。
先生は出来上がった杖を、顔に近づけたり片目を閉じて眺めたりしていた。
「行けそうだな」
僕の杖が出来上がると先生は必ずそれで魔法を使ってみせる。仕上がりを確かめる意味があるのだろうけど、僕にとっては作業の成果を実感できる、楽しみな瞬間の一つだ。
「瞼に、瞳に、石のまぼろし」
その呪文を唱えた瞬間、たった今まで家の中に居たはずなのに、木漏れ日と揺れる緑が目の前に広がっていた。
見慣れた森の中の風景。絶句しながらも、どこかおかしいと思う。一瞬で外に移動したわけではない、という違和感がある。
違和感の正体はすぐに分かった。変わったのは景色だけで、本来そこでするべき葉擦れの音もなく、踏みしめている地面の感触も食い違っている。
加えて、時々不自然に景色が歪み、家の壁や床が露わになる。それは僕の作った杖が完璧でないせいだろうか。
「廃光晶の持っている光は、人が見慣れない。だから目を誤魔化す魔法に向いている」
先生がもう一度呪文を唱えた。景色が消えると、そこに立っているのは金髪碧眼の、田舎っぽい服装の少年……僕だ。
「えっ!?」
「こういうこともできる」
目の前にいる僕の唇から、笑いを押し殺したような声が漏れる。
それでやっと気がつく。これは先生のいたずらだ。先生が、魔法で僕に姿を変えているのだ。ほっとすると同時に、僕はあることを思い出した。
「あっ! "ばあさん"」
「何?」
思わず出た叫び声に、僕の姿をした先生が眉をしかめる。
「いや、違います! チックさんが言ってたんです。先生のことを、ばあさんって」
「……ああ」
もう一度同じ呪文を唱えると、先生の姿は腰の曲がった老婆に変わった。町に降りる時はこの姿を使っていたのだろう。また一つ謎が解けた。
「すごい魔法ですね」
「そうでもない。誤魔化しているのは目だけだからな。声は別に作らなければならないし、触れられたら気付かれる」
軽く杖を振る動作で、先生はすぐに元の姿に戻った。
「このくらいは弱い魔法の範疇だ」
「これでも弱い魔法って……じゃあ、強い魔法って、魔法蒸気列車みたいな大きなものを動かすやつですか?」
「いや。あれも結局湯を沸かしているだけだからな。強い魔法というのはそれこそ雨雲を動かしたり、人を」
機嫌良さげに、饒舌に語っていた先生がふいに口をつぐんだ。
「人を、何ですか」
「うん」
急に作業道具の片付けを始めたりして誤魔化そうとしている。
「ちょ、ちょっと……それは言いかけてやめないでくださいよ。人をどうするんですか」
「まあ、それはいいだろう」
ちっともよくない。というか、ものすごく気になる。それでもこういう時は話を変えた方がいいと思って、結果、僕は迂闊な質問をした。
「ところで、先生って実際には今いくつなんですか?」
「……今年で二十八だが」
「えっ」
「何故驚く」
「いや、あの、もっと上だと思っていたので」
「老けているということか」
どうも雲行きが怪しくなってきた。
「僕、夕飯の材料を調達してきます」
「おい待て、ラスト」
きつく睨む目から逃れて、僕は転がるように家を飛び出した。
見上げると陽射しが強くて、空は目に痛いほど青く澄んでいる。
夏がもうそこまで来ているのだ。
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