廃光晶の欠片(後)
『ラスト。ちょっと話があるんだが』
何ですか?師匠、改まって。
『わかっていると思うが、注文が減っていてうちもだいぶ厳しいんだ』
はい、それはもう。目に見えて仕事が減ってますから。
『本当に、本当にすまないが、もう人を雇っている余裕が無くてな』
……ああ。それは、仕方ないですよ。今の僕じゃ、自分の食べる分も稼げないし。謝らないで下さい。師匠は悪くないですから。
僕のことなら気にしないでください。今まで、本当にお世話になりました。
仕方ないですよ。
頭を振って、脳裏に浮かんだ光景を追い払う。暗い場所では、何も見えないから余計な事を思い出すのかもしれない。
(この洞窟、こんなに長かったっけ)
大きく溜息をついた瞬間に、僕はつまづいて派手にひっくり返った。カンテラの火が消えて、視界が真っ黒に塗り潰される。慌てて地面を探る自分の手元さえ見えない。
(落ち着け。怖がることないんだ。どっちにしろ、歩いて行けば着くんだから)
立ち上がって恐る恐る足を踏み出した途端、突き出した岩に肩を打ってよろめいた。逆側に手を伸ばして身体を支えようとする。今度は指先が岩にぶつかって鋭い痛みが走る。まともに歩くことができなくて、僕は地面に這いつくばった。
闇の中で、鋭く尖った岩が僕を串刺しにしようと待ち構えているような気がする。そんなはずはないのに、そう思えてしまう。
(駄目だ。引き返そう)
そう考えて、すぐに恐ろしいことに気がつく。自分が歩いて来た方向はどちらだったか?混乱して地面を這い回ったせいで、それすらも分からなくなっている。
洞窟の中の空気を全部吸い尽くしてしまったんじゃないかと思うほど、呼吸が苦しい。
僕はその場に座り込んだ。
動いていないと途端に寒さが身体にしみてくる。肩が震え、歯が鳴った。
アイーダ先生に子供扱いされても仕方がないと思った。言われたことを守らずに突っ走って、結局どうする事もできずに、助けてくれるのを待っている。こんなのは、まるっきり子供のやる事だ。
遠くから不気味な音が響いてきて、身を竦ませる。入り口から風が吹き込んできた音だろうか。もしそうなら、音のする方に向かって行けば出られるかもしれない。
でも、もし違っていたら?例えばこの洞窟に何かの獣が住んでいるとか、洞窟の中で死んだ人の霊だとか、そういうものだったら?
馬鹿げた想像も、闇の中では現実と区別がつかない。ただただ膝を抱えて震えながら、近づいてくる音に耳をすます。
風の音や、獣の吠え声じゃない。何度も繰り返し聞こえてくるこの音は、人の声だ。それも、洞窟の中で何度も反響して不気味に聞こえているけれども、この声は。
「先生!」
僕は声を振り絞って返事をしていた。先生が僕の名前を呼んでいる。一度も呼んでくれなかった名前を。
どういうわけか、近づいてくる先生は明かりを何も持っていない。真っ暗な闇の中で、足音と息遣いが僕まであと数歩というところで止まった。
「何故言いつけを守らなかった」
押し殺したような声に僕は怯える。暗がりの中では、先生がどんな表情でぼくに問いかけているのか見ることはできない。
「僕は……僕のせいで、採ってきた石が駄目になって」
「廃光晶のことか」
「そうです。表面が濁った色になって」
「それは理由にならない」
その通りだ。黙って一人でここに来た理由にはならない。理由は他にある。
「迷惑を、かけたら」
自分でも声が震えているのがわかる。
「また……要らないと思われたら、追い出されたら、それが怖くて」
「……またというのは。細工師の仕事のことか」
「僕は、全然役には立たなかったかもしれないけど、でも、真面目にやっていれば、いつかは……恩返しも出来るって、そう思ってて」
何を言っているのかわからない。どうして僕はこんな話をしているんだろう。
「僕は、辞めたくなくて……」
この気持ちを口に出して誰かに言ったことはなかった。誰が悪いわけでもなくて、無理矢理誰が原因かを決めようとしたら、それは何もできない僕自身で。だからずっと、自分で飲み込んでしまうしかないと思っていたのに。
「もう、見捨てられたくない……」
情けなくて、恥ずかしかった。
自分がここに居なくてもいい、必要とされていないと思い知らされることは何より辛い。それは本当の気持ちだけれど、先生には関係のない僕の個人的な事情だ。どうしてこんな事を言ってしまったのだろう。きっと呆れられる。
投げかけられる冷たい言葉を覚悟して、僕は自分の肩を強く掴む。
「見捨てたりしない」
声の近さで、先生が僕のすぐそばに屈みこんでいるのがわかった。
「あの杖が作れるようになるまで教えると、そう約束した」
その時、僕は自分で思っていた以上に、どうしようもなく自分が子供だと気がついた。
先生の息が上がっていて、ローブの裾からぽたぽたと雫の滴れる音がした。雨の中を、僕を探して、ここまで急いで来たのに違いなかった。
自分が認められていないことに不満を持っていた僕の方こそ、先生のことを信じていなかった。いらなくなれば簡単に見捨てられると思い込んでいた。僕は、こんなに大事にされているのに。
「ごめんなさい」
自然とそう口にしていた。涙が溢れるのもそのままにして何度も何度も謝った。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……」
不意に、遠慮がちに僕の肩に手が置かれる。
「……廃光晶は手の脂が付きやすい。それでよく曇るが、きちんと磨けば元に戻る」
それじゃあ、全部が僕の早とちりだ。情けなくて余計に涙が湧いてくる。
「先に言っておけばよかった。すまなかった」
「先生は悪くないです。僕が馬鹿でした」
「ラストは馬鹿じゃない。私が悪かったんだよ」
驚いて顔を上げる。いつもの先生の口調と違う。
「私は言葉が足りない。魔女として語れないこともあるけれど……単純に、人と話す事に慣れていない。教え方も上手くないし」
「そんな事は……」
先生がそんな風に思っていたなんて、僕は知らなかった。考えもしなかった。
「でも約束は守る。それは信じてほしい」
黙って頷くと、地面に落ちたカンテラを拾い上げるらしい物音がした。どういうわけか先生には、この暗がりの中でどこに何があるか見えている。
「家に戻る」
いつもの口調でそう言って、先生が僕の手を握った。相変わらず冷たい手のひらだったけれど、何故か今日は暖かく感じる。
狭い洞窟の中を手を繋いで歩くのは大変で、あちこちぶつかって擦り傷を作ってしまったけれど、そんな事はちっとも気にならなかった。洞窟を出ても、雨に打たれながら家に着くまでの間、先生はずっと僕の手を握っていた。
そして僕はやっと思い出す。あの日、岩の裂け目から落ちて動けなくなっていた時。僕に近づいてきた先生は、杖はついていたけれど、足を引きずってはいなかった。
だからきっと、僕を背負って家まで運んだというのも嘘じゃない。あの時先生の足は両方とも動いていたのだから。
それがどういうことなのか、何故先生はそのことを言わないのか。謎が解けたようで、まだその先に謎がある。
今言えないことを、いつかは全部話してほしい。そんな関係になれればいい。
そう思いながら僕は歩いた。
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