廃光晶の欠片(前)
会話のない生活が続いた。
アイーダ先生はなんだか難しい顔をして瓦版に目を通したりしていたけれど、その理由を尋ねる事もできず、僕は今までに習った杖の作り方をひたすらおさらいしていた。
円環の緑の杖については手本を見ながらでなくても枝を組めるようになったし、あとはどれだけ早く、正確に作れるかを突き詰めていけばいい。
風繋ぎの杖は、枝を自分で採っていいのかどうか判断ができないので、ひたすら宿り木のついた樫の枝を探して場所を覚えておく。
それから、僕は魔法で空を飛べないので、もしも自分で枝を落とす事になったら木に登らなくてはならない。枝に縄をかけて登る練習をしておく。できることはそれくらいだった。
変化のない繰り返しの日々が過ぎていく。
「新しい杖の材料を採りに行く」
先生が突然そう言いだした時、僕は内心ホッとしていた。どちらが謝るでもなく、何事もなかったみたいに次の工程に入るのは不自然だけど、これ以上この状況が続いても息がつまって仕方がない。だから、全然納得はしていないけれど黙って従う事にする。
昼間だというのに火を灯したランタンを手渡され、連れてこられた場所は、家から北側に位置する岩場だった。
先生は何も言わないけれど、僕が落ちて来た場所はここから少し先に行った所。今回の揉め事の、そもそもの原因とも言える場所だ。言葉にできないわだかまりが胸の中でぐるぐる渦を巻いている。
先生が蔦の絡んだ岩の一つを強く押すと、まるで扉のように動いて洞穴が姿を現した。魔法を使った様子はなくて、単に岩で塞いで入り口を隠しているだけのようだ。
火のついたランタンはこの中に入るために準備したものらしい。無言で踏み込んで行く先生の後に、僕も続いた。
洞穴の中は涼しいというより肌寒い。壁に手をつくと、冷たい石の感触が指先に痛いほど感じられる。
一人通るのがやっとのひどく狭い通路は左右に曲がりくねっていて、足場も悪い。先生は特に歩きづらそうだ。
家からそう遠くない場所にこんな洞窟があるなんて、と思ってから、そうではない事に気がつく。たぶん順序が逆で、こういう場所の近くに家を作ったんだろう。
どれ程の時間、闇の中を歩いただろうか。そろそろ足がくたびれてきたなと思う頃に、先生と僕は行き止まりに辿り着いた。
「わっ」
突然先生がランタンに覆いをかぶせたので、驚いて声を上げてしまった。唯一の光を失って、周囲は完全な暗闇に支配される。でも、気がつくと目の前の壁があちこち薄ぼんやりと光を放っている。近づいてよく見てみると、光っているのは壁にくっついた何かの結晶のようだった。
「これは廃光晶という」
「ハイコウショウ?」
聞いたことのない言葉だ。
「廃れた光……今より、ずっと昔の光を持った水晶のこと」
蝋燭の火や、日の光や月の光とも違う。穏やかで、見ているとなんだか寂しくなってくるような不思議な光だ。
先生はその廃光晶の一欠片に、手に持った布を被せ、力を込めて折り取った。
ばきん、と大きな音が洞窟の中に響き渡って、残された壁の光が一斉に震えたようだった。
そのまま欠片を布で包み込み、僕に手渡す。
「慣れるまで、ここには一人で来ないように」
言われなくとも、用も無いのに一人で来るような場所でもない。でも洞窟の中は一本道だったし、なんなら僕一人の方が歩くのは速いような気もする。
もし、これを取って来いと言われたら一人で取って来る事だって出来ると思う。
(……また、子供扱いされてる?)
無言のまま洞窟の中を歩いて、来た道を引き返す。
歩きながら考える。僕は、先生にどう思われているのだろう。魔女とは全然違う、平凡で呑気な生活を送って来た人間。余計な事を言って苛立たせる無神経な若者。それとも、簡単なことも満足にできない、無力で小さな子供。
気がつけば、僕は先生に名前を呼ばれた事さえない。それが一人前の人間として扱われていない証明じゃないだろうか。
「少し休む」
家に着くなりそう言い残して、先生はさっさと自分の部屋に引っ込んでしまった。やっぱり、あの洞窟を歩くのは大変だったのかもしれない。
一人になった僕は、机の上に置かれた布包みを広げてみる。
日の光の下で見ると、廃光晶の欠片はただの透き通った石にしか見えなかった。暗闇の中だからこそきれいに見えるものなのだろう。手のひらで包んで隙間から覗いてみたりしても、あの儚げな光は見ることができなかった。
落胆し、もう一度石を布に包んでしまおうとして僕は手を止めた。
石の表面が曇っている。
向こう側が透けて見えるほどきれいだったはずの廃光晶が、白っぽく曇っている。
慌てて布で表面を擦ってみても、曇りは取れない。
(なんで?)
僕は必死に考えを巡らせた。
廃光晶。昔の光を持った水晶。暗い洞窟の中にあって、取るときにランタンの火を隠して、布に包んで持ってきた。もしかして。
(光に当ててはいけなかった……?)
心臓が痛いほどに鳴っている。僕のせいだ。せっかく採ってきた杖の材料を、不用意な行動でだめにしてしまった。
先生はまだ休んでいるけれど、この事を告げたら、どんな顔をするのだろう。怒るだろうか、呆れるだろうか。
気がつくと、僕は黙ってランタンを掴み、玄関の扉を開いていた。
いつの間にか外は細かい雨がぱらつき始めている。翳した手の甲やズボンの裾を濡らしながら、走って、走って、もう一度あの場所へと向かう。
馬鹿なことをしている。その自覚はある。
それでも、何故かやめようという気持ちになれない。こうしなければいけないと感じている。
蔦の多い岩場。見覚えのある岩を手で押してみると、それは見た目よりもずっと軽く動いて、洞窟の入り口が姿を現わす。
"慣れるまで、ここには一人で来ないように"
先生の言葉が、頭の中に繰り返し響いている。それを振り払うようにランタンを掲げ、僕は暗闇の中へと足を踏み出した。
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