幕間・変わり行く町
蜂蜜漬けの焼き林檎をスプーンですくって口に運ぶ。散々ご馳走を食べた後でも、その甘酸っぱい味わいは十分に僕の舌を楽しませてくれるはずだった。
実際はもぐもぐと口を動かし、ただ噛んで飲み込んでいるだけだ。ちっとも心が踊らない。
原因は明白で、一昨日から僕は先生とろくな会話をしていない。一つ屋根の下に住んでいてまともに会話できないというのが、ここまで気まずいものだとは知らなかった。
今朝は机の上に目録と数本の杖、それから現金を無言で置かれたので、ダーネットの町に降りて来た。チックさんに杖を納品して食事を摂る、この前と全く同じ流れ。
もしも僕が考え足らずで失礼なことを言ってしまったのなら、いくらでも先生に謝る。許されるにしろ許されないにしろ、話はそれで何か進展するだろう。でも今回はちっとも心当たりがない。
先生がなにを考えているのか分からない。
分からないといえば。
支払いを済ませて店を出た僕は、もう一度通りの様子を眺めてみる。
街を縦横に走る水路。流れは陽の光をきらきらと反射して、せせらぎの音は初夏を迎えようとする陽気の中で涼しげに響いていた。
町の中央にある大きな広場には噴水までできていて、それを囲むように露天商が装飾品や食べ物を並べている。
ここは本当に、つい先日まで寂れた宿場町だったダーネットなのだろうか。通りを歩く人の数も、田舎にしては随分と増えたように思う。
前回町に降りてきた時、近くで何やら工事をやっている様子だったのは覚えている。しかしそれが、川の水を引き込んでまるごと町の作りを変えてしまうようなものだとは思わなかったし、こんなに短い間にそれが終わってしまうとも思わなかった。魔法を使った工事で何倍にも作業を短縮しているのだろうと想像はつく。
全然知らない土地に来てしまったようで落ち着かない。
チックさんのお店に戻ると、例によって頼んだ品物はすっかり揃っているようだった。目録に乗っていたのはガラス瓶、針と糸、最新の薬草の本、ここ最近の瓦版のまとめ、等々。今回のおまけはナッツとバター入りのクッキーだ。荷物をまとめて背負いながらチックさんに尋ねる。
「随分、変わりましたね。町の様子が」
「そりゃあね。ここは特別車両の停車駅に決まったからな」
チックさんはスカーフもシャツも、この前見た時とまるで違う形のものを身につけている。僕には分からないけれど、多分最新の流行に合ったものなのだろう。
「特別車両?」
「おい、知らないのか? どこの田舎から来てるんだ君は」
曖昧に笑ってごまかす。まさか山の中で魔女と一緒に暮らしていますとは言えない。
「魔法蒸気列車の一番新しい型だよ。やかましい音が出なくて、段違いに速い。ここから王都まで一時間かからずに着けるようになるんだとさ」
「一時間……!?」
魔法蒸気列車だって十分速かったのに、それを超えるとなるといったいどれだけの速さで走るのか想像がつかない。
「ただ、特定の駅にしか止まらないんだよな。これからこの町は稼ぎ時だ。少しは世間の動きに気をつけておいた方がいいぜ」
「はあ」
「はあ、って他人事みたいによ。あのな、今、魔法の杖の需要に供給が追いついてないんだよ」
「そうなんですか?」
確かに、あちこちで魔法が使われるようになったら、魔法では作れない魔法の杖が足りなくなるのは道理だけれど。
なんとなくその辺はうまく回っているのだろうと勝手に思っていたのが、そうでもないらしい。
「ばあさんが何処から杖を手に入れてるのか詮索はしないが、じゃんじゃん回してくれと言っておいてくれ」
そういえば、先生が"ばあさん"呼ばわりされている件についてはまだ謎のままだ。世の中の事も先生の事も、僕には分からないことだらけだ。
「……それじゃ、また来ます」
店を後にし、町の正門へと向かう。会話のない家に帰らなければならない。
汽笛の音に振り向くと、遠く駅のホームでは、魔法蒸気列車がもくもくと蒸気を噴き出しているところだった。
町の中には建物がいくつも増えている。今まさに基礎を築いていて、これから建つらしい家もある。町そのものが大きくなり始めているのだ。
色々なものが、すごい速さでどんどん変わっていく。僕はどうだろうか。あの日から何か変わっただろうか?
比較すると目眩がしそうだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます