風繋ぎの杖(後)
杖の材料は揃った。
まずは枝から樹皮を剥ぎ取り、石と砂を使って磨く作業から始まる。ささくれ立って握るとちくちくしていた枝が、次第に角が取れてさらさらした手触りになっていくのは心地良い。
「羽根の並べ方は決まっている。小さな物から次第に大きく、同じ枚数で小さな物に戻る」
「全部で何枚使うんですか?」
「決まりはない。枝の大きさによって変わる。目安としては……」
指示された通りに、洗って乾かした羽根を大きさを揃えて並べていく。なるべく傷が付いていなくて、形の似通ったものを並べるのが大事らしい。
何度も並びを入れ替え、取り除く。山のようにあったと思った羽根はなんとか杖を一本作るのに足りたという具合だった。
「枝の片方。宿り木の側にこのナイフで切り込みを入れ、羽根を差し込む。松脂を塗って固定する」
手渡されたナイフは柄も刃も石でできていて、ずしりと重く感じられた。
「石のナイフって、使いにくくないですか?」
「この山の石で作っている。枝を落とす時はさすがに斧を使ったが、できる限りこの山で手に入れた材料だけで作るのがいい」
「それは、その方が魔法の力の流れが良くなるから。ですか?」
若干、顔色を伺いながら尋ねる。
「わかってきたじゃないか」
見本になる、アイーダ先生の作った杖を何度も眺めてから椅子に腰掛ける。枝は手と、床と、脚で押さえて固定した。
「……行きます」
ナイフが当たると、がつんと思ったより大きな音がして顔から血の気が引いた。でも、僕が力を込めて振り下ろしたつもりのナイフは、枝の表面にほんの小さなかすり傷を作っただけだ。
もう一度振り下ろす。結果は同じだ。切れ味の悪い石のナイフではなかなか深く切り込みを入れる事ができない。もっと強く、力を込めて刃を突き立てなければいけないのだろうか。でも枝を折ってしまったら元も子もない。
「失敗するのが怖いか?」
やっとの思いで手に入れたこの枝を、無駄にしたくはない。また探すのが面倒だということではなくて、手伝ってくれた先生にも、この枝を使っていた鳥達にも申し訳が立たない気がする。
「怖くても、手を動かさなければ何も作れないぞ」
「……分かっています」
二度、三度と深呼吸を繰り返す。言われている通り、怖くてもやるしかない。
「少し力を抜け」
大きく息を吸い込んだところでそう呼びかけ、先生が背中側から腕を回して僕の手を握った。
冷たい指先。思わず強張った腕の力を、ゆっくりと抜いていく。導かれるままに振るったナイフは、先ほどよりもずっと緩やかな動作に見えて、しっかりと枝に突き刺さり、切り込みを作った。それを確認して先生の手は離れる。
「力を入れるだけではなくて、どこにどのように刃を立てるか、よく考えて打つこと。"円環の緑の杖"を作った時と、そこは同じだ」
そうだ。僕がやっていた金物細工と魔法の杖では、材料が違う。性質が違う。木には力に強い向きと弱い向きがあって、枝の表面は磨いても凹凸がある。それをよく考えて加工しなければならない。
少し枝を回して、先ほどの斜め上の位置。よく見て、指で触れて感触を確かめ、もう一度ナイフを振るうと、今度は僕自身の力でナイフは刺さった。
何度も、何度もナイフを振り下ろす。単調な作業だけれど、慣れてきた時ほど手元が狂いそうになる。集中力の問題なのだろう。
そうして作った切れ込みに一本ずつ羽根を差し込んでいく。
「間隔は同じになるように。上から見ると分かりやすい」
試しに上から見てみると、全然角度が揃っていないので少し慌ててしまった。位置を調節してようやく全ての羽根を差し込み終えたら、松脂を使って固定。
あとは松脂を乾かすために、一晩そのまま置いておく事になった。
その夜、ベッドの中で僕は夢を見た。あの小さな鳥が首を傾げて、ナイフを枝に打ち付ける僕をじっと眺めている夢だった。
かん、かん、かん、と規則的に音が響く。そこに時々鳥の鳴き声が合わさって、音楽を奏でているようだった。
明けて翌日。空は見事な快晴で、少し動けば汗ばみそうな陽気だ。ちょっと風があるけれど、先生によれば空を飛ぶ魔法を使う時はその方が良いらしい。
しばらく辺りを見回した後に、先生は僕の作った杖を斜めにして腰掛けた。
「疾く風の渡り 土から月」
魔法を唱えて浮かび上がった先生の身体は不安定にぐらぐらと揺れている。出来の悪い杖ではうまく飛べないのだろうか。焦ってもどうすることもできず、僕はそれを見上げてうろうろするばかりだ。
そのうちに、真っ黒なローブの裾をはためかせてゆるゆると下に降りてくる。
「どう、ですか?」
「少しじゃじゃ馬だが……まあ、いいだろう」
先生は地面に足を着き、乗っていた杖を僕に手渡した。
「完成だ。これは風繋ぎの杖、という」
出来上がった杖をもう一度まじまじと眺める。先生が作ったものと比べるとどうしてもあちこち歪で、惚れ惚れするとは言い難い出来だけれど、それでも嬉しいものは嬉しい。
嬉しい気持ちのついでに、僕はちょっと冒険をしてみる事にした。
「あの、先生にお願いがあるんですけど」
「何だ。改まって」
「この杖で、僕も乗せて飛んでもらえませんでしょうか」
恥ずかしさをこらえて、一念発起しての頼みだったのだけれど、返ってきたのはため息混じりの返答。
「ダメだ。重すぎる」
「ダメなんですか!」
実を言うとかなり期待していた僕は、本気でがっくりと肩を落とした。杖がうまく作れたのだから喜んでいいはずなのに。
「この魔法はそんなに簡単じゃない。私が作った杖でも二人で乗るのは無理だ」
その言葉に、ふと、ある疑問が浮かんだ。
「あれ。でもそれじゃあ、先生はどうやって倒れてる僕を家まで運んだんですか?」
何気ない質問のつもりだった。僕が落下したあの岩の裂け目から家まで、そこそこ距離がある。風繋ぎの杖で飛べないなら、きっと何か僕の予想もつかないような魔法を使って移動したのだろうと、そう思って聞いたのに。
先生は答えなかった。息を呑む音が聞こえたように思う。
「先生?」
「……あの時はお前を背負って帰ったんだ」
言いながら、先生は僕と目を合わせない。
「どうして嘘をつくんですか。先生」
「嘘などついていない」
「あんな所から僕を背負って、魔法で飛びもしないで、背負ってきた? そんなの……無理じゃないですか。無理ですよ」
本当は、無理だなんて言い切れない。足の悪い先生でも、僕を背負って家までなんとか辿り着いたのかもしれない。
でも、もしそれが本当なら、先生はすぐにそう答えるべきだったと思う。沈黙の長さは嘘の答えを考えている時間だったと、僕はもう、その可能性を疑えなくなっている。
「……北側に行ったのか」
「行きました。禁止されてたわけじゃないし」
何も責められる理由は無いはずだ。
「背負って来たんだ。お前が覚えていないだけだ」
「そんなはずは」
「もういい。話は終わりだ」
怒鳴るように強引に会話を打ち切り、先生は家の中に引き上げていく。僕はその背中に何か声をかけようとして、何も言えず、ただ黙って見送った。
一人になるとあたりがしんと静まり返って、風が木々を揺らす音さえうるさいほど耳につく。
杖作りを通して、先生のことが少しづつ分かり始めてきたような気がしていた。次第に心の距離が縮まってきたような気がしていた。
そんなものは全部僕の勝手な思い込みだったのだろうか。ぶつけられた理不尽な怒りが理解できなくて、僕はいつまでも立ち尽くしていた。
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