風繋ぎの杖(中)
小さな瑠璃色の羽根を拾い上げると、頭上からピィピィと甲高い鳴き声が聞こえた。この羽根の落とし主だろうか。それともたまたま今鳴いただけで、別の種類の鳥なのだろうか。声はするけれどもその姿は見えない。
樫に付いた宿り木を探し始めてから、八日が過ぎようとしていた。羽根だけはやたらと数が集まって、地形にも、木の分布にも多少は詳しくなった気がする。
先生の家からしばらく歩くと、山を降りる以外の方角はきつい傾斜と生い茂った草むらに阻まれている。一度ダーネットの町まで降りてからでなければ、登山道に戻るのは難しい。誰かとばったり出会うこともない。
今僕がいる場所には、宿り木自体はちらほらと見えるけれども、付いている枝の太さが足りないように思えた。前に先生に見てもらったものとあまり変わらない、という事は条件を満たしていないはずだ。
(何か、探す手がかりになるようなものがあればいいんだけどな)
上に下にと視線を動かしていると、茂みから小鳥が顔を出して、何度も首をかしげるような動作を見せた後に高く鳴いた。仲間を呼んでいるのだろうか。
(……鳥?)
ざわざわと揺れる木の葉の下で、僕の中に一つの考えが浮かんだ。
「鳥の鳴き声?」
「はい。今までずっと目でばかり探していたんですけれど、宿り木に住み着く鳥がいるならその鳴き声も手がかりになるんじゃないだろうか……と」
家に戻って早速思いついたことを相談してみると、先生は頬杖をついたまま思案顔になった。
「普通はそういうこと、やりませんか? やっぱり地道に探し続ける方がいいでしょうか」
「……最初から楽な道を探し始めるのはただの横着だが、私の目から見てもお前は十分な努力をしている」
珍しく普通に認められると、それはそれで何だか背中のあたりがムズムズする。
「その上で、工夫をしてみるのは悪いことではない。自分に合った方法を見つけられればその方がいい」
「ありがとうございます。やってみます」
そうは言っても、どの道簡単ではないのはわかっていた。慣れていない僕には、よほど特徴のあるものでないと、鳥の声なんてどれも同じに聞こえてしまう。
短い間隔で立て続けに鳴くもの、時々しか声を上げないもの、まるで歌うように鳴き続けるもの。一度意識し始めると、森の中にはたくさんの鳥の声が溢れている。
まして、宿り木の近くにいる鳥の声を聞き分けたところで、必ずしも目当ての場所に導いてくれるわけじゃない。この試みは何度も空振りに終わった。
もしも僕が注文を取って杖を作るいっぱしの職人だったら、こんな風に、確証もないやり方を試してみるなんて悠長なことはやっていられないだろう。
時間をかけられるのは、僕がまだ先生から学んでいるだけの立場だからだ。その分、学んだ事はきちんと身につけなければならないと思う。
ふいに、澄んだ笛の音のような独特の鳴き声が耳に入った。この辺りではあまり見かけないけれど、よく宿り木に出入りしている鳥の鳴き声だ。振り返って、耳を澄ます。右か、左か。高い位置か、低い場所か。距離は近いのか、遠いのか。首を回し、耳の横に手を当てて、歩きながら声の出所を探る。
そうして音を頼りに近づいた樫の根元で、僕はそのまま上を見上げた。木漏れ日の眩しさに一度目を細め、手を翳してそれを遮りながら目を凝らす。
「あった……!」
長さも太さも十分な樫の枝から、垂れ下がるように茂っている宿り木が見える。何度か通った場所なのに見落としていたらしい。
少し離れたところに留まっている小鳥が、僕を見下ろして首を傾げ、また鳴いた。
そこからは無我夢中だった。場所を忘れないように何度も確認しながら家へ戻り、先生を連れてもう一度その場所へ辿り着く。
「ああ。あれなら申し分ないな」
先生の太鼓判が貰えた瞬間、僕は力が抜けてその場に座り込みそうになった。まだ材料が見つかっただけだというのに、報われた感慨は大きい。
「よかった……でも、あそこまで登って枝を落とさなきゃいけないんですよね?」
「それは問題ない。私がやる」
枝まではそこそこの高さがあり、縄か何かを使わなければ登れそうにない。が、先生の手には羽飾りのついた例の杖と手斧だけが握られている。
先生は斜めに傾けた杖に腰掛けるようにして、奇妙に響く言葉を放った。
「疾く風の渡り 土から月」
杖についた羽がいっせいにざわめき、ローブの裾がふわりと宙に浮かんだ。呆気にとられている僕を置き去りにして、先生の身体は高く昇って行く。風が木の葉を舞い上げるように、右に、左にと揺れながら。
「……飛んでる」
空を飛ぶ魔法なんて初めて見た。そのうちに先生は、片手をついて器用に杖から木の枝へと飛び移った。そのまま手斧を振るって二度、三度と打ち下ろす。
「落ちるぞ。下で拾ってくれ」
そう言われて、あわてて走り込み、落下する枝を受け止めた。切ったばかりの枝は葉の色も青々しく、匂い立つようだった。
先生は木の枝の上でまた魔法を使い、ぐるぐると螺旋を描くような軌道で下りてくる。なるほど、足の悪い先生が街まで行くのに、こうやって移動していたのだ。人目につかない場所でしか使えないだろうけれど、高さに関係なく移動ができれば相当行き来するのは楽になる。
やがて地面に着いた先生は裾を手で払い、杖を使って僕が抱きかかえている枝を指し示す。
「その枝を駄目にしたら、もう一度探し直しだ。気をつけろよ」
言われるまでもなくそのつもりだ。すぐにまた同じようなものが見つかるとは思えない。
「勿論です。それより、あの! 空を飛ぶ魔法ってあるんですね!」
「あるが、何だ」
興奮気味に尋ねると、先生は片眉を上げて身を引いた。空を飛ぶということに対する浪漫はあまり理解されていないようだ。
僕ははっきり言って魔法にあまりいい印象はないけれど、あんな魔法なら少しだけ使ってみたい気がする。
「疲れるから必要な時にしか使わない。昔この魔法を見られたせいで、魔女は箒に乗って空を飛ぶなどと思われたようだな」
そういう話は僕も聞いたことがある。確かに、羽飾りの具合が遠目に見ると箒みたいに見えるかもしれない。
「戻るぞ。そろそろ夕飯の支度もしなければな」
そう言うと先生はまた杖をついて歩き始めた。飛んでいけば簡単に家に着けそうなものだ。飛ぶ魔法を使うと疲れる、というのは確からしい。
どこからか、またあの鳥の鳴き声が聞こえる。僕は思わず振り返ってその姿を探した。
「何だ?」
つられて立ち止まった先生の声に、僕は背を向けたまま答える。
「……この枝も、鳥にとっては、大事な隠れ家になっていたりするんですよね」
「それを言い始めると何も出来なくなるぞ。悪いと思う必要はない」
再び足を進めながら、先生は小さな声で一言付け足した。
「せめて、大事に使うことだ」
確かにその通りで、僕自身にとっても、これは杖作りを学ぶために必要なものだ。無駄に切ったわけじゃない。無駄にしてはいけない。
一度だけ、森とそこに住む者たちに頭を下げて、僕はその場を後にした。
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