町での食事
遠くカッコウの声を聞きながら、僕は額の汗を拭った。街道は雑草だらけの山道に比べると格段に歩きやすいけれど、人とすれ違うのが久しぶりで、背中の荷物がぶつかったりしないかとひやひやしてしまう。
僕はアイーダ先生と二人で暮らしている山中の家から、麓の宿場町ダーネットへ降りてきていた。用事は、荷物の換金と手紙を出すこと、あとは荷運びと、それから食事のためだ。
最初の成功をまぐれ当たりにしないよう、毎日"円環の緑の杖"を作り続けていたところに、先生から突然お使いを命じられたのが今朝の事だ。
「この杖を、ダーネットのチックという男に卸す」
先生が手に掲げているのは、僕がここへ来た時に作っていた青い石と飾り紐のついた杖だ。
「それ、売ってしまうんですね」
「当たり前だ」
「なんとなく惜しい気が……」
「飾るために作った物じゃない。使われなければ杖として意味がない」
それはそうなのだけれど、僕は先生の作った杖ならいくらでも眺めていられるし、ここから無くなってしまうのは少し寂しい。
「でも卸すのってどうするんですか? 誰かが取りに来るとか?」
「逆だ。お前が持って行く」
「僕がですか!」
全く予想していなかったので、思わず大声を上げてしまった。責任重大だ。
「紹介状と地図を書いた。頼んだぞ」
そのまま朝早く家を出てきて、昼過ぎにようやくダーネットの町に着いたので、前に先生が言っていたように半日かかっている。
疑問でならないのは、先生はいままでどうやって杖を卸していたのかという事だ。足が不自由な先生が、僕でさえやっとの思いで降りて来たような山道を同じように半日歩いたとは考えづらい。そもそも町に降りたところで魔女である先生が普通に杖を売ることができるのだろうか。
どちらも解決するような魔法があるのかもしれないけれど、詳細を教えてもらえるかどうかはわからない。杖作りに関することなら何でも答えてくれる先生だけれど、魔法に関することとなると、そうとは限らないからだ。
とにかく、まずは頼まれた仕事を済ませなければならない。目印になる鹿と金貨の絵が描かれた看板はすぐに見つかった。
店内には眼鏡の男性が一人座っていて、手にした布で高価そうな壺を磨いている。鷲鼻で、少し強面。背は高くないけれど、ぱりっとしたシャツや危なげなく壺を回す手つきなどからいかにも仕事の出来そうな雰囲気を感じる。
「あの」
呼びかけると男性はちらりと僕を見、鼻を鳴らすと、すぐにまた壺を磨く作業に戻ってしまった。
客商売とは思えない態度だ。それとも、子供の入るような店ではないから冷やかしだと思われたのだろうか。
「すみません。こちら、チックさんのお店で間違いないでしょうか?僕、アイーダさんの使いで来たラストと言います」
「あん?」
おずおずと紹介状を差し出すと、受け取った男性は眼鏡をかけ直して書面に目を通し始めた。この人がチックさんらしい。
静かな店内に、振り子時計のかちこち言う音だけが聞こえる。
「品物を」
一瞬きょとんとしてしまったけれど、僕は慌てて背中の荷物を降ろし、包みを解く。あの美しい飾り紐のついたものと、その他に合わせて三本の杖が姿を現した。もちろんどれも僕の作ったものではない。
チックさんは杖を手にとってあちこちから眺め、やがて近くにあった布で包み、出掛け支度を始めた。
「ちょっと時間を潰しててくれ。代金と、頼まれた物を揃えるから」
「ええと、はい。じゃあ食事をして来てもいいですか?」
「勝手にどうぞ」
なんだか追い立てられるように店を出た。
知らない人と会話をするのも久々だったし、忙しない人なのでむやみに緊張してしまった。ともあれ、これからしばらくは待ち時間だ。
食事の前に、まずすっかり後回しになっていた親宛の手紙を出す事にする。
しばらく師匠と一緒に離れた町を回りながら仕事をします。連絡がつかなくなるけど心配しないで下さい。返信不要です……と、書き出しから終わりまで嘘を並べ立てているので、さすがに良心が痛む。まだまだ僕の杖作り修行は先が長そうだし、どこか適当なところで一度家に顔見せに帰らせてもらうことは出来るか、戻ったら先生に相談してみようと思った。
これで用事は全て済んだ……わけではない。もう一つ大事なことがある。
どういうわけか知らないけれど、先生は町で食事を摂るようにと僕に言いつけた。しかも、なるべくいいものを食べるようにと昼食代にしてはやたら多い金額を待たせてまで。
僕は今まで二度ダーネットで食事をした事があって、二回とも同じ店を利用していた。安くてそこそこ量がある、労働者向けの大衆食堂というやつだ。
そして品書きの中に、この手の食堂にしては少し高いなと思って最初から敬遠していた料理がある。
(……こういう時に食べなくて、いつ食べるんだ!)
聞き返されて決心が鈍ったりしないよう、僕は店に入るなり出来る限り大きな声で注文をした。
程なくして僕の前に並べられたのは、鳥肉を香辛料入りのタレに漬けて焼いたものと、野菜がたっぷり入ったスープと、あとは中がみっしりと詰まった黒パン。
町中に住んでいた頃でも、十分にご馳走と言っていい食事だ。山の中でヒキガエルや野草を食べて飢えをしのいでいた今の僕には、脂の照りが宝石のように美しく輝いてさえ見える。一口かじって、感嘆の声を抑えることができなかった。
「うまい……!」
夢中になって次々と口に運ぶ。肉の旨味が、ぴりりとした胡椒の刺激が、程よく煮込まれた野菜の甘みが、香ばしい麦の香りが、どこまでも僕を幸せの高みに運んでいく。
(ああ。食事っていうのは本来こういうものだよなあ)
一人感慨に耽っていると、近くの席にがやがやと騒がしい一団がやって来た。服の汚れ具合からすると、この辺りで土木工事をやっている人たちだろうか。
「あの若造。こっちが何年この仕事やってると思ってんだ」
「魔法術士がそんなに立派かってのよ」
大人たちが揃って機嫌悪そうにしているので、僕は縮こまった。何も人が美味しいものを食べている時に近くで殺気立たなくてもいいのにと思う。大方、魔法で仕事のできる若者の指示で動いているのが気にくわないというところだろう。
「俺も魔法術士になろうかねえ」
「お前じゃ無理。第一、杖が買えねえよ」
「ガーランドの杖は? 他のより安いんだろう」
「安いったって、俺たちの給金何ヶ月分だよ」
どっ、と笑いが起きる。
僕は黒パンでスープの残りを拭いながら、今聞いた話の事をぼんやりと考えていた。
ガーランドというのは、確か魔法の秘密を世界に晒した魔法術士の名前だ。同名の他人でなければ、その人が、杖を作って売っているのだという。つまり先生の商売敵というか、同業者ということになるんだろうか。
(どんな杖を作るんだろう)
杖を作る人があちこちに居るのなら、僕が弟子入りするのはアイーダ先生でなくても良かったのかもしれない。山に戻れば、また食卓ではヒキガエルが待っている。
そんな事を考えながら残りのパンを口の中に放り込み、よく噛んで味わい、飲み込んだ。
支払いを済ませて、もう一度チックさんの店に向かう。またあの山道を、今度は登って帰らなければならないのだし、急いだ方がいい。僕が惚れ込んだのはあくまで先生の杖なのだ。
店へ着くとチックさんが軽く片手を上げ、そのまま傍の荷物を手で示した。
先生が書いた目録通りに揃えたものらしく、おそらく僕用の寝間着だとか、縄や瓶などの雑貨が色々。少し期待したけれど、食料品は塩だけだった。
僕はこれを全部持って帰らなければならないということで、閉口するしかない。
「金はここで確認してくれ」
「あ、はい」
言われるままに領収書の額面と、手提げの中に入っている金額を確認して、僕は閉口を超えて絶句した。今まで見たことのないほどの大金だ。この辺りは別に治安が悪くはないけれど、これを持って一人で帰らなければならないと思うと足が竦んでしまう。
青くなっている僕に気づいているのかいないのか、チックさんは半笑いで話しかけてくる。
「しかしお前、アイーダの婆さんの孫か? それとも親戚の子かい」
「ば……?」
婆さん、というのは先生の事だろうか。あまりにも恐ろしい発言だ。本人に聞かれたりしたらと想像するだけで身震いしてしまう。
「子供一人で金の受け取りに寄越すなんざ、婆さん、腰でもやっちまったのか」
どうも話が読めない。チックさんは先生と面識がある風なのに、いったい誰の話をしているのだろう。先生の悪いところは腰ではなくて足だ。
「えー……はい。まあそんなに悪くはないんですけど、大事をとって」
迷った末に僕はしらばっくれる事にした。
芝居を打つ必要があるなら前もってそう言っておいてくれない先生が悪い。
「そうかい。まあ、気をつけてと言っといてくれ。こいつはおまけだ」
チックさんは笑って、水色の飴が入った瓶を荷物に追加した。
町の門をくぐる頃には、既に背負った荷物がずしりと重い。ますますもって、先生は僕が来るまでどうしていたんだろうと不思議が募る。
もらった飴を瓶から一つ取り出して口に入れた。しゃりしゃりした食感と、すっと鼻に抜けるハッカの香りが心地よい。
「よし。行くか」
気合を入れて、僕はダーネットの町を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます