円環の緑の杖(中)
甲高い小鳥の囀りで目を覚まして、僕は慌ててベッドから飛び出した。借り物の、ぶかぶかの寝間着から急いでシャツに着替える。
昨日はてっきり夕食の後にも杖作りの作業を続けるのかと思っていたけれど、お前は疲れているから休めと、きっぱりそう言われた。実際ベッドに入ってすぐ気を失うように眠ってしまったので、そうして良かったのだろう。それにしたって、初めて訪れる家(それも、魔女の家)でぐっすりと熟睡し、あまつさえ寝坊しているあたり、我ながら神経が図太すぎる。
寝室を出ると作業場ではアイーダ先生が大きな杖に石のナイフで掘り込みを入れているところだった。この家には時計がないので今が何時だかわからない。わからないけれど、さすがにまだ昼よりは前のはず。挨拶はこうだ。
「おはようございます!すみません、遅くなりました!」
「別に遅くはない。朝食にする」
そっけない返事ではあったけれど、責めるような口調ではなかった。
昨日の夕食は先生に任せきりだったので朝食の準備は僕も手伝おうと意気込んだけれど、頼まれた事は火を起こしてヒキガエルのスープを温め直すだけ。どうやらここで暮らす以上は、この食事には慣れなければいけないらしい。
「枝の組み方を教える。手本を見せるからその通りに」
食事を終えて作業場に立つと先生はそう言って、僕が拾ってきた枝の一本を手に取った。先端に十字を作るように細い枝を置き、蔦で結んで固定する。それを中心に円を描くように、細かい枝を蔦で結びながら置いていく。
その作業の速さに僕は唸った。細くて長い指がよく動く。目で追っていて、何をしているのかは分かるけれど、どうしてそんな速さで出来るのかはわからない。
あっという間に、この前見たのと同じ杖が完成した。
「最初からこの速さでやる必要はない」
先生はそう言うけれど、それはつまりいずれ同じような速さで出来るようになれという意味なんだろう。僕は椅子に座り、枝を手に取って、大きく深呼吸をした。
(とにかく……やるだけ、やってみよう)
気合を入れて作業を開始したものの、僕は何度もめげそうになった。
そもそも蔦で十字に結ぶのが上手くいかず四苦八苦する。ようやく固定しても、そこからがもっと大変だった。枝の長さはまちまちで、形もそれぞれ違う。それを組み合わせて円の形にするのは思った以上に難しく、結ぶ時に変に力を入れたりするとぱきりと音を立てて枝が折れてしまう。
子供の遊び道具みたいだなどと思ったことを恥ずかしく思いながらも手を動かし続け、ようやく完成した時には額にびっしょりと汗をかいていた。先生が作った時に比べると、多分五倍くらい時間がかかっている。
「ここと、ここが良くない」
先生が指で示した箇所は、確かに円がいびつに歪んでいる。
「……やり直します」
結び目を解く時に、また細い枝を折ってしまった。
その後も、僕は何度も失敗を繰り返し、先生に指摘をされた。
円が大きすぎる。形が歪んでいる。結び目が多すぎる。持ち上げただけで形が崩れる。枝が折れている。
すぐ隣に置いた先生の見本が、あまりにも遠い。失敗するたびに結んだ蔦を解き、また結ぶ。そしてまた失敗する。
もう何度目か自分でもわからない挑戦を始めようとしたその時、突然先生が僕の手を掴んで止めた。
「何故その枝を手に取った?」
「えっ……?」
触れたその指の冷たさにぞくりとしながら、僕は困惑した。一番手近にあった枝を手に取っただけで、深い意味はない。
「漫然と作るな。枝の一つ一つ、きちんとどこへ当て嵌めるか考えて作れ」
「……でも、先生は枝を選んで作っていなかったように見えました」
「枝を選ぶところから無意識に出来るようになるのは、もっと慣れてからだ」
僕は溜息をついて、膝の上で拳をぎゅっと握った。
「上手くいきません。失敗ばっかりです」
「だろうな。失敗するのは嫌いか」
「好きな人は、居ないと思いますけど……」
間違えるのはみっともない。それまでの作業が徒労に終わってしまうのは、悲しい。
「……仕事をしたことはあるのか」
「金物細工の工房に、二年くらい居ました」
「ならば習わなかったか? わけもわからずに、なんとなく上手くいってしまう方が良くない。後から間違い始めても気がつかなくなる」
言われてみればその通りだ。勤め初めの頃バスカル師匠に似たようなことを言われたのを思い出して、僕は余計に恥ずかしくなった。仕事の内容が変わっても、そういう部分は同じなのかと、今さらそんな事に気が付いた。
(それなら。仕事の仕方が、同じなら)
僕はずっと気になっていたことを聞いてみることにした。疑問を抱えながら作業をするのは集中しづらい。工房に勤めていた時は、もっと分からないことをどんどん質問していたような気がする。
「あの。枝を、折ってはいけないっていうのは、何故なんですか。それが気になっていました」
「……うん」
先生は顎に手を当てて目を閉じ、黙り込んだ。僕は息を飲んで言葉の続きを待つ。先生の長い睫毛か、唇が再び動くまで待ち続けた。
「魔法は……魔法の力は。いくらでも湧いてきて、思い通りになんでもできる。そんな風に思われることが多い」
言われてみると、たしかに僕もそんな印象を持っているかもしれない。
「そうではない。やり方がまずければすぐに枯れる。正しい手順で行うほど、力は強くなる。当然、逆の事も言える」
「枝を折るのは、正しい手順ではないということですか?」
「ああ。お前はまだ、この森に来たばかりで馴染んでいない。そういう人間が手を加えると……魔法の、力の流れ、が悪くなる。力の流れに影響する」
魔法に関する事になると、先生はどこかゆっくりと、言葉を慎重に探しながら語っている気がした。それはひょっとしたら、前に僕に言ったこと、つまり魔法の杖の作り方は教えるが魔法は教えないと言ったことと関係しているのかもしれない。そのせいで余計に話が分かりづらくなっている気もするけれど。
「……最初に拾った枝が大事なのも、そのためなんですか?」
「そうなる。私たちはこの杖を"円環の緑の杖"と呼んでいる。草木を操るのに適している」
先生は自分の作ったそれを持ち上げて僕に見せた。
「だからこそ、森や、木の枝が持っている力の流れを活かさなければうまくない。最初に拾った枝ほど、お前に馴染みやすい」
なんだか、ひどくぼんやりとした話だ。
「僕にもその、力の流れが見えたら、杖を作るのは楽なんでしょうか」
「それはできない。見えるのは魔女だけだ。魔法術士だって見えているわけじゃない」
「……見えていなくても、魔法の杖は作れるんですか」
先生はいっそう長く考え、ようやく返事をした。
「……作れる。暗い道を手探りで歩くようなものだが」
僕は、月の出ていない真っ暗な道を手探りで目的地へ歩き続ける自分を想像した。それはとても心細くて恐ろしい事に思える。
先生が黙って自分の作業に戻ったので、僕もまた枝を手に取って杖作りを再開する。作っているうちに何本も枝を折ってしまうので、もう一度枝を拾いに行った方がいいかもしれない。いつになったら、基本の杖が作れるようになるんだろうか。
結局この日、杖は完成しなかった。
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