お題 百合2

 とても素敵な景色を見たとき、ほとんどの人たちは心を跳ねさせるだろう。それは彼女もそうだった。彼女は最近そうなった恋人と一緒にこの景色を見たとき、同じような反応を示した。


 空を透けさせている眠り雲、穏やかな日差しにあくびをする山々。滝は雪解けの喜びではしゃいでいて、その力が見に来た人々を優しく圧倒する。

 隣にいる恋人が滝に向かって指を差した。大きくて指の節々が目立つ手。この手に触れられて、握られて、抱かれて、でも優しくされたいと思う人は多いだろう。


 良いと思う。


――節々が目立たない指、丸く握りたくなる手。


 良いと思ったから彼女は彼と恋人同士になることを選んだ。

 低い声は豊かな響きで安らぎを与えてくれる。息を多くささやかれれば愛されているのだと感じられる。一緒に歩いていくべきなのだとわからせてくれる。


――きんきんと高い、ぎゃあぎゃあとしたうるさい声。


 背も頭一つくらい大きくて、彼女がぶつかっても大きな背中はぴくりとも動かないのだ。


――小さくて、簡単にどこかへ行ってしまう背中。


 彼女の目の前にハンカチが出されていた。恋人が出してきたものだ。やや困った表情を隠せていないので、彼女は自分が何をしてしまったのかと考えてしまう。考えようとしたときに頬につうっと涙の流れていく感覚がして、気づけば見ていた景色がぼやっとしてしまっていて、これは泣いてしまっていたのだとわかった。


 悲しいであるとか、嫌であるとか、そういうわけではないと彼女は説明した。ここで本当かどうか尋ねてこず、自分なりの推理を披露することもないから好きなのだ。ハンカチを出してきてただ隣にいてくれる。


――げらげらと笑う顔。からかってくる。


 鳥が鳴いた。頭の上で。見上げてみれば一羽のトンビが風に乗って遊んでいる。獲物を狙うようには見えない、じっとその姿を見ているとなんだか首がこちらに向いて、目が合ったように感じた。そんなことあるはずもなく、わかるわけもないのに。


 手を伸ばしてみてもトンビは彼女の細い腕めがけて降りてくることはない。ただくるくる空を回ってぴいひょろぴいひょろ鳴く。やがてトンビは別のトンビと出会い、仲良く風に乗るが、それでも彼女の頭の上から離れることはなかった。見せ続けている。


 ハンカチがどんどんと濡れていった。それはやがて布を越えて地面へと雫を落とし始める。雫は水たまりになって池になって彼女の体を空気から離す。


 浮かぼうという気持ちはわかなかった。流れずにそこにたまり続ける水の中でじいっとして、どこからかぼとぼとと落ちてきた椿の花が視界を覆っていった。


 大きな手が彼女を掴み、池から引き上げた。ハンカチはほんの少し濡れたくらいだった。恋人はゆっくりと優しく彼女の肩を持ち、自分のところへ引き寄せた。体が触れ合ってお互いに安らぎを抱く。


 トンビはもういなくなっていた。どこかもっと良い風を見つけたようだった。二羽でもっともっと気持ち良く風に乗り続けるのだろう。


 彼女はひどく疲れてしまって、すぐそこにある人一人が座れるくらいの石に腰を掛ける。恋人はそんな彼女を気遣って、あらかじめ買っておいた水を渡す。こくりと一口飲んでみれば気持ちは大分落ち着いた。


 大学生になるまでそういう環境だったからなのだろうか、本当に。


 今でもたまに彼女はそう考えてしまうことがある。目の前に素敵な恋人がいるのに。とても満足していて楽しくて、ずっとそばにいたいと思っているのに。


 だからと言って自分をさげすんだりはしない。そんなことをするのは嫌だった。今の自分があるのは色んな人たちがあってこそだからだ。ひどく自分を傷つけたくなることはあるだろうが、自分と手をつないでくれた人たちのためにもこらえることは強さだと信じている。


 それでもどうしても、ふと最後の声が聞こえる。


「もう大人になろ?」

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ぬめ短編~私こんなお話書いてます~ 武石こう @takeishikou

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