あらゆる自殺の方法

@miyabisyousan

第1話ヒナの場合

まだ、冬の気配がそこはかとなく残る4月の夜。

風が、ヒナの部屋の掃きだし窓を震わせていた。

「今日買った花は、しおれていないだろうか。」

ふと心配になって外に出てみる。

昼にはまだつぼみだった小さなその花は、風に耐えながら、けなげに花を咲かせていた。

安心と嬉しさが混じった息をほっとつく。

鉢を室外機の陰に置いたとき、ゴウっと音が鳴り、思わず外に目を移した。

9階のベランダから見る外の世界は、いくつものマンションが、なにかの記念碑みたいに並んでいる。

まるでストーン・ヘンジみたいだ。と、ヒナはそっと心の中で反芻する。

それから自分がなぜ、イギリスにある、石を積み上げた奇妙な遺跡の名前を覚えているのか、思いを巡らせた。

茶色い小さな蛾が、目の前を一回転してベランダの白い鉄柵にとまったとき、はたと、あぁ、あれはずっと前にインディ・ジョーンズの冒険で読んだのだと思いだした。

インディ・ジョーンズのどんな冒険だったのかは、いまとなっては思い出せない。

でも、ストーン・ヘンジという不思議な語感と、あの奇妙な遺跡の写真をはじめてみたときの感触はいまも残っている。

「きょうはいけるかもしれない。」

そうつぶやいてみる。

久しぶりに耳にした自分の声は、病人のようなかすれた声だった。

もう一度、こんどははっきりと声にだす。

「今日はいけるかもしれない。」

乾いた風がビュウとヒナの横を通り過ぎ、髪が顔をたたいた。

思わず自分の手の平に視線を落とす。

いつも見慣れているはずの手が、古代に海底に沈んでしまった大陸のようにみえた。

「いこう。」

そう決めた。

ベランダの柱をそっとつかむ。

それはひんやりとしていて、中学2年生のときの担任の女教師を思い起こさせた。

「かまうもんか。」

ヒナはそのいつも化粧品臭い女教師のことが大嫌いだった。

自分でさえ忘れていた記憶を、思いだした。

見慣れているものが、違う記憶と結びついた。

ヒナは柱をか細い指でぐっと掴むと、重力にあらがいながら自分の体を手すりにあげ、そのまま柱を頼りに立ち上がった。

一呼吸おいて、足元から目線を上げると、そこにはマンションはなく、ストーンヘンジと草原と抜けるような真っ青な空が広がっていた。

「やっぱり、ここはストーンヘンジだったのね。」

ヒナは笑うと、身体をイルカのように弓なりにして、闇が広がる足元の草原に飛び込んでいった。


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