第二十章 伊勢(13)

十三


 スピーカーの向こうでは男の声が誰か別の人に接続状態を訊いているようだったが、やがて咳払いに続いて、辺り全体に響く音量で男が話し始める。


「聞こえているか、救国官ども」


 電波状態が悪いのか雑音が多いが、その声に聞き覚えがあった。


 三人の眉が上がる。


「【bad!】か!」


 万三郎の声に、途端に声の主が不機嫌になる。


「【bad!ベャアーッド】だ! 何度言ったら分かるんだ、馬鹿野郎!」


 万三郎は目を丸くしてユキと顔を見合わせる。


「こっちの声が聞こえている……」


 杏児は思わず辺りを見回す。


「どこだ……」


 だが、見える範囲に【bad!】は見当たらない。


「ここだよ」


 きょろきょろする三人をあざ笑うかのように、【bad!】は続けた。


「こっちからは、声だけじゃなく、お前らのアホ面まで見えているんだ。監視カメラと盗聴マイクをしかけておいたからな」


 万三郎が声を上げた。


「【bad!】、【hope】たちを攻撃したのはあんたか」


「ベャアーッドだ。ああ、そうだ。お前たちが発射する全ての【hope】は、これからも俺と手下どもが責任を持って撃ち落とす。おう! 【hope】たち、聞こえてるか。そこんとこ、よろしく!」


 スピーカー越しにそれを聞いていた【hope】たちが一斉にざわめいた。


 万三郎が驚いてつぶやく。


「撃ち落とすって……あいつもカタパルト持っているのか……」


 即座に【bad!】が反応した。


「中浜、そんな便利なものは持っていない。お前、持ってるんなら後でぜひ貸してくれ。俺がエネルギーを手下どもに注ぐ、手下どもは、ここにいる【-less】どもにそれを分け与える、すると【-less】どもは元気に飛んでいく……と、こういうシンプルな仕組みだ」


 万三郎は虚空に向かって反論する。


「エネルギーを分け与えるって、【bad!】、あんた自身がワーズに過ぎないじゃないか」


【bad!】は、万三郎が言い終わらないうちに、いらだった声をかぶせた。


「ベャアーッドと呼べと言っているだろうが! それが、俺が普通のワーズ【bad】(悪い)と決定的に違うところだ。いいか俺は、普通に悪いんじゃない、桁外れに悪いんだ。そりゃあもう、極めつけに悪い。極悪だ。悪のパワー全開だ。驚くほどの悪なんだ。ほら、トマトでもあるだろう? 普通のやつと違って、驚くほど甘いやつが。あれと一緒だ。ブランドだ、悪のブランド。差別化して違いを際立たせるブランド戦略なんだ。それがベャアーッドなんだ。そのロゴマークが『!』なんだよ」


「呼びにくいんだよ!」


「うっ、くぬぷぷぷ……」


 万三郎に一言で全否定されて、【bad!】の声色は明らかに当惑の様相を呈していた。


「ど、努力しろ。何回も言ってりゃ、言えるようになる」


 しかし実際のところ万三郎は驚愕していた。要するに【bad!】は、普通のワーズとは違って、他のワーズに分け与えることができるほどの、桁外れに大きいエネルギーを持っているということのようだ。それは彼が、ワーズの枠を超えて、ヒューマンやソウルズ並みに進化しつつあるということなのかも知れなかった。


 脅威を感じて思わず口をつぐんだ万三郎に代わって、杏児が叫ぶ。


「【bad!】、卑怯だぞ、姿を現せ!」


 話題が変わって元気になった【bad!】は、杏児をあざ笑った。


「おうおう、三浦救国官どの。威勢がいいじゃねえか。さすが地球を救う立場ともなると違うねえ」


「誤魔化すな!」


【bad!】は真面目にな声に戻る。


「誤魔化してるわけじゃねえ。そこに行こうとしているんだが、混み過ぎて動けないんだ。まったく、どんだけ【hope】がいるんだよ」


 万三郎が、姿の見えない【bad!】に再び言った。


「【bad!】、分かってるだろう。【hope】たちを飛ばしていかなければ、アポフィスがぶつかって、俺たちは皆、死んでしまう。今、あんたと争っている場合じゃないんだ。頼む、どうか邪魔しないでくれ」


【bad!】の声が大きくなった。


「おっと、俺が席を外していても、多くの手下どもが【-less】の近くに待機しているぜ。俺の移動中に意表をついて【hope】を打ち出しても無駄だからな。そして、死んでしまうのは、お前たちと、エネルギーがゼロになるワーズたちだけだ。俺たちは死なない」


「小惑星は、俺たちとあんたたちを区別などしない」


「そうだ区別などしない。だが、俺たちとお前たちでは、向き合い方が違うんだ」


「どういうことだ」


「こういうことだ。知りたいか――」


 万三郎はぎょっとした。今、最後に聞こえた、【bad!】のものではないその声は、スピーカーからではなく、万三郎のすぐ後ろから聞こえたからだ。万三郎は後ろを振り返る。果たしてそこには、【bad!】ではない、見覚えのある顔が車椅子に乗っていた。

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