第十九章 前夜(17)

十七


 ハイビームで照らされた前面の道路には木が茂っていた。いや、正確に言えば、切り通しの法面のりめんが土砂崩れを起こし、こちらの二車線を完全にふさいでいたのだった。土砂崩れが起こってからそう経ってはいまい。だが、待っていれば復旧の工事車両が来るとはとても思えない。


 土砂は反対側車線までには達していなかったが、高速道路の真ん中には中央分離帯のガードレールがあって、杏児の運転するピックアップトラックは、これを踏み越えては行けない。


「こんなところまで来て立往生か、参ったな……」


「杏児、今、どの辺りなんだ?」


 ユキの前のナビ画面を覗き込みながら万三郎が訊く。


「GPSは信用できないけれど、さっき確かに松阪インターを越えた。もう少ししたら道が分岐する。分岐したらもう、伊勢神宮までそんなに遠くないんだけどな……」


 ナビの地図を拡大、縮小しながら杏児がつぶやく。


「歩ける距離?」


 ユキの無邪気な問いに杏児が笑った。


「ハッハ。いっそ風で吹き飛ばされた方が早く着くかもな」


 万三郎が言う。


「杏児、戻ろう」


「松坂インターまで戻って一般道に降りるか? かなり時間がかかりそうだが仕方ないな……」


「いや、運が良ければさっき通ったトンネルの手前か向こうで、ガードレールが外れて、対向車線に移れるかもしれない」


 ユキが素っ頓狂な声を上げた。


「ええっ、逆走するの? やめてよ! 対向車が来たら衝突しちゃうじゃない!」


 万三郎と杏児は思わず顔を見合わせる。


「ユキ、大丈夫だよ、この道走ってるのって、俺たちくらいだから後続車なんて来てない。だからぶつからない」


「ど、どうしてそう言い切れるのよ? 万三郎の言うようにトンネルの手前で反対車線に移れたとしたら、そこから先、ずっと逆走じゃない! 静止してる土砂でもぶつかりそうになったのに、この雨の中、相手が向かって来てたら、お互い気付く前に正面衝突するでしょ!」


 万三郎はユキ越しに杏児に助けてくれと視線を送った。杏児は両腕を広げて手のひらを上へ向け、「お手上げだよ」というポーズをした。その仕草を振り返ったユキが見てしまったものだから、まずかった。


「今の何? み、三浦杏児! わ、私を馬鹿にしたでしょ! こいつ馬鹿だと万三郎に合図したんでしょ!」


 まあまあと万三郎がユキの肩を叩く。


「ユキ、どうしてそんなに車の運転を恐れる?」


 ユキは大きなため息をついた。


「い、ETになる前の……トラウマよ」


 杏児が急に深刻めいた表情でユキに言う。


「ひょっとして、新たに判明した高速学習の副作用か?」


 ユキはキッと顔を上げて杏児に向き直った。


「とととにかく! 逆走はダメ」


 杏児もイライラを隠さなかった。


「じゃあ、どうするんだよ」


「かか考えて!」


「考えたのが逆走なんだよ! 分からん奴だな、君は!」


「たた対向車来たらどうするのよ、分かんない男ね、あなたは!」


「いいか、ユキ。対向車は、こ・な・い! 来ないんだッ! ここまで走って来て一台も対向車に出会わなかったろ? これからも一台も来ない」


「もももし来たらどうする?」


「ああ、もう! もし来たら、ドジョウ掬い踊りやってやるよ、地球を救ってからな」


「杏ちゃん、昔のこと引き合いに出して私を馬鹿にしたわね」


 杏児はつっかかってくるユキを無視して車のギアをバックに入れながら言った。


「来たら向こうのヘッドライトで分かる。向こうも、こっちのヘッドライトで分かる」


 万三郎が慌てて言った。


「杏児、待ってくれ」


「待てないッ!」


 イライラした杏児がそう言い放って車の向きを変えようとした時、万三郎が言った。


「対向車が、来た」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る